ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

「電子書籍」はアクセス解析的観点で読者を可視化するか

久しぶりに電子書籍の話題です。電子書籍が紙の本ではできないことはいろいろとありますが、中でも、実装によっては「ユーザーの読書の仕方・進行・傾向」まで可視化できる可能性がある点です。(主にコンテンツがウェブにあって計測可能か:GMAIL的なもの。あるいはアプリに計測可能な仕組みがあり、情報を収集する形態か:後者は情報のやり取りに本人の同意が必要でしょう)


ウェブによる可視化と類似した電子書籍

ウェブサイトはいわゆる「アクセス解析」で、ユーザーがどのような検索ワードでサイトに到達し、どのページを見て、どのぐらい滞在したかが分かります。で、これは広告メディアとしてネットがテレビや雑誌と異なる点として強調されるのが、「(少なくともアクセス解析の情報から判断できる範囲において)その広告をユーザーが実際に見ているか、わかる」点です。



メディアに掲載する広告価値の可視化は難しく、テレビであれば視聴率調査ですが、あれはモニターの家庭に機器を設置するのでサンプリングされたものです。録画環境によりまた異なるでしょう。(通信販売のCMは電話での申し込みで、効果が可視化しやすい) 雑誌も一度売ってしまえば「売った」記録は残っても、「広告に接した読者は何%」かまでは計測できませんし、効果指標の一形態として「読者はがき・資料請求数」があげられるでしょう。



こうした媒体の広告効果を可視化する意味で、テレビキャンペーン用の検索ワードをテレビや雑誌などに掲載したり、テレビを見ながらアクセスできる携帯電話を効果の可視化に利用しています。ウェブ万能論のつもりはありませんが、たとえばネット上で閲覧できる動画は「視聴者が何分で離脱したか」まで計測可能です。ウェブはある程度、サービス提供者がサービス享受者の環境を「可視化がしやすい」と言えるでしょう。



前置きが長くなりましたが、「何を可視化できるか」というメディアとしての電子書籍を考えると、今まで出版社が可視化できなかった「実際の漫画や小説などの完読率」(最終ページまで到達したか)や、「読書の周期」(電車で読んでいるのかな? あるいは数年周期で読破されている「大切な一冊」)的なところまで計測されるでしょう。プライバシー関連やPDFなどは抜きにしますし、環境面でも諸々考えないといけないことは多いですが、こうなると、作り手にフィードバックされる情報が多くなります。



紙は「一度刷ったら終わり」といわれますが、ウェブは「公開が始まり」です。ユーザーが訪れた結果から満足度や行動をアクセス解析で観察し、ボリューム調整したり、言葉を変えたりします。出版社の可能性も、作家が得られる新しい機会も、ここにあるのではないかと思います。感想や書評と言うレベルの話は既に可視化されていますので、「実際の体験・声にならない行動」について、です。これは個人を特定すると言うより、「読者の可視化」が、本格的に行われることを意味します。


同人誌即売会で体験した「読者」のアクション

私の事例ですが、以前、1冊1kgあるメイドの資料同人誌を作りました。同人としては大変話題を呼んで最初に刷った1トンが3ヶ月で完売しましたが、今までに「読破した」と告げてくれている方は非常に少ないものでした。辞典的なものですし、「ネタとして買った」というのも当然考えられますが、個人的に「冒頭の章(使用人の歴史)が面白くないから挫折したのだろう」と推測しました。実際、私自身、この章をなかなかうまく作れず、一度は同人誌に掲載するかどうかを悩みました。必要な情報は載せていますが、「楽しんで読ませる」ことには至らなかったからです。



冒頭の第一章から先に進めば、20種類近い使用人の解説を行った章があり、「読み終わらない」と言う方には、「自分が読みたいところだけ読んでみてください」「使用人の一職種だけでも読める作りです」と説明してきました。しかし、それでは不十分で、やはり「最初」は重要です。似たような体験は、同人誌を何冊も作っていた頃、同人誌即売会で「本を手にするのに、読まれない」理由を考えていたときに、していました。




3:一番古い巻(シリーズ物の1巻)だけを読んで買わない



これが、一番残念な結果です。そして、事実として、久我のサークルで一番起こった結果です。久我の本は資料本という性質上、頒布期間が長すぎ、また扱いたい題材を一度に作れないので毎回研究発表して、徐々に空白を埋めていくシリーズ物だったので、欠点がありました。



シリーズ物の体裁で売っているので、確かに普通に考えれば1巻を手にします。しかし、1巻は自分の実力が最も低かった時期の作品です。もしかすると新刊や、他の巻を読めば興味を持ってもらえたかもしれないのに、一番未熟な本を読んでそれがすべてだと判断されるのは、不本意です。1回のイベントで5〜10 人ぐらい、いたと思います。母数と累積するその数を考えると、無視できない数字です。これを改善するため、伝え方を変える(各巻は独立しており、自分が必要なテーマを選んでもらう)方法を行い、そこそこ出たような気がします。



同人誌1トンを刷った経緯と部数決定のプロセス


以上の経験から「『最初』が面白くないと分かりにくいし、伝わらないし、読まれないかもしれない」と考え、上記同人誌の商業出版が決まった際には編集の方に上記経緯を話し、なるべく「最初は読みやすく」「世界を感じやすいようにしたい」、また「この本は『情報』だけではなく、『全体を理解しやすくする』ようにしたい」と、新しい章を設け、流れを分かりやすくする試みをしています。


ウェブ的なスタイル

本の種類にもよりますが、電子書籍をこの延長線上で考えると、作り手は「読者がどこで読まなくなっているか」と言う情報を得ることで、本の改善を行う機会を得られるのではないか、というのが私が考えることです。紙の本では一度印刷すると修正は難しくなりますが、そうではなくなります。



もちろん、これは作家が衝撃を受けるデータが出る可能性を秘めています。しかし、改善して「作り直す」機会に恵まれることで、作品の概念も変わってくるのではないかと思います。書き直すことで改悪されるかもしれませんが、書き直すことでよくなるものもあるでしょうし、紙で行うよりは行いやすくなるでしょう。



編集をされる方には当たり前かもしれませんが、情報の出し方、順番ひとつで読者の感じ方は大きく異なります。その順番を少し変えるだけで、読者が体験する「流れ」が変わるかもしれません。そういう意味では編集は必須だと思いますし、データが編集の仕事に寄与する可能性もあるのではないでしょうか。(読者のパターンごとに構成が変化する雑誌とかもあるかも)



何かしら、作ったものを可視化し、反響を得て、良い作品作りを目指すスタンスとして興味深かったのは、以前感想「魔王と勇者の物語から受け取ったもの」を書いた作品の作者・橙乃ままれさんのコメントです。編集を、「ウェブに委ねる」というのでしょうか。






これらに加えて、読書行動と言う「感想ではない」データが電子書籍にも持ち込まれ、作品の発表後、より「生き物」のように成長していく、揉まれていく。初期の読者の反響を受けて改修されていく、そんな作り方も増えていくのではないかと、私は思っています。



電子書籍は、読者の体験を「可視化」する可能性を秘めています。それ自体は大きな機会です。そのあたりを考察している人がいるかなぁと探してみたところ、こちらのCMSとIAの専門家で、かつアクセス解析でウェブを可視化される方の記事が、より深く広く語られていて、響くものがありました。



CMS+IA (2):コンテンツの意味と価値を読み解く


同人誌即売会で得られる「創作を続けやすい環境」

電子書籍について、出版社やプロ漫画家、作家や編集者、ジャーナリストの方による活動や発言が相次いでいます。そんな中で、プロではないアマチュアの延長で表現機会を得て作品の評価・代価を得る可能性について、以前、電子書籍のインフラ普及が「同人活動」に及ぼす影響を考える(2010/02/04)を書きました。



今回は、上記エントリを書いた時に考察を深めたかったものを書いていきます。まず、「表現の場」としての同人活動同人誌即売会への参加)の魅力は何だろう、という点を掘り下げます。一般的に同人活動は商業出版より規制が少なく、誰もが自由に始められる所に魅力があります。



しかし、それはウェブでも同じですし、電子書籍でも同じことは出来ます。それでも、同人イベントは表現の場として優れた点を持ち、創作を続ける上で極めて大きなメリットを与えてくれます。プロとして食べていくのは難しいとしても、趣味として続けながら読者と出会い、活動の幅を広げる上で、同人はプラスになる循環や体験を積む機会となると私は捉えています。



ウェブにせよ、電子書籍にせよ、創作を行う方にとって同人には他にない機会がある、というのを描き出すのが今回の趣旨です。私の体験を踏まえ、同人誌即売会(以降、同人イベント)の魅力を3点、書きます。



なお、私の同人活動は「創作」「評論」「歴史」に含まれる、オリジナルでの英国に実在したメイド・執事などの使用人の生き方や仕事と、今も残るイギリス貴族の屋敷での暮らしを紹介する資料本作りです。また、資料で扱う時代の雰囲気を分かりやすく伝えるため、超短編小説の創作もしています。


目次

  • 同人イベントの特色
    • 1:既に読者がいる・読者のシェアが行われる
    • 2:成長を見てくれる(見せたい)読者との出会い
    • 3:人と出会える・結果が出やすい
  • 個人が続けやすい環境としての同人


同人イベントの魅力・特色

同人活動電子書籍についてのエントリを書いた時、はてぶで指摘を受けた点は「電子書籍になったからといって、売れる・読者がいるは限らない」「どれだけ読者と接点を持ち、見つけてもらえるか」の問題は解消しない点です。いわゆるプロモーションの問題で、ただ本が増えても見つけられなければ、読まれません。



この点は同意します。同人イベントでも、状況はまったく同じです。同人イベントに参加しても、読まれるとは限りません。読まれなければ作品としての評価は、存在しないも同じです。



電子書籍を個人で出版する場合、読まれるための努力としてウェブによる情報発信は必須となるでしょうし、最近読んだ『電子書籍の衝撃』あたりでは、個人によるコンテキスト作り(文脈・個人によるピックアップ・書店化)による露出機会の増大を期待されているようでした。(出版社ブランド・リアル書店の媒体認知としての価値の大きさがどれぐらいなのか知りたいところです)



同人はその点で既に「コンテキスト」の中で作品は発表されており、恵まれたポジションにいます。なぜならば同人誌であることと、同人イベントの地形効果(コンテキスト的なもの)を借りられるからです。


1:既に読者がいる・読者のシェアが行われる

私が主に参加しているコミケコミティアなどは何十回も開催される歴史あるイベントです。コミケの場合はここ数年で3日間の開催で60万人、1日20万人が来訪するといわれています。コミケ77では1216万冊の同人誌がサークルによって持ち込まれ、944万冊が頒布されました。(『COMIKET PRESS31』P.6に依拠) 主催者と参加者によって維持されてきた場は、実に巨大です。



同人イベントに参加すれば、まずこの場の力を借りられます。よほど珍しいテーマを選ばない限り、自分が所属するジャンルには他のサークルがいて、大小あれども一定数の読者がいます。参加すれば、読んでもらえる可能性が高くなります。



既存のアニメやコミックスなどの原作を利用した二次創作の場合は、このメリットが最大化されます。同人イベントを訪問する参加者は個々の作家のファンであるだけではなく、ジャンルのファンとして、ジャンル全体の作品を見ようと試みます。


私が参加している「創作少年」ジャンル自体は様々な表現が混在していますが、そこに含まれる「メイド」をテーマにした集合体に所属しているので、イベントに参加していると周囲は「メイド」作品を求めている方々に出会いやすくなります。また、コミケの場合はそもそも参加者が多いので、多くの人が通り、興味を持ってもらえるようなディスプレイや伝え方を行えていれば、読んでもらえる可能性が高くなります。



この点で、同人イベントは「コミケ」というブランドや「ジャンル」という地形効果、そして作家個人のファンなどが集合場となり、ゼロから始めた人でもその中に自分の作品と響き合う可能性を持った方と出会える機会を与えてくれます。地元のライブハウス的、かもしれません。



そして集まる参加者の多くは、同人イベントという「場所と時間を拘束される環境」にあえて参加している点で、同人そのものを好きで新しい作品との出会いに積極的な方の比率が高いのではないでしょうか。読まれやすい環境自体は、存在しています。



さらに、同人イベントは参加が難しい分、「出口」までが遠いです。イベント会場に来るがゆえに、イベントに閉じ込められる結果、同人誌を探すことに能動的になります。全員が全員そうではありませんし、有名サークルしか回らない方もいますが、折角来たことから、何か良い本に出会いたいと熱心に探す方もいます。



私がコミケの参加時に配置される「創作少年」ジャンルでは、だいたい時間の流れがあって、午後3時を過ぎたあたりで、スペースに来る方の雰囲気が変わります。創作の島を片っ端から歩いて気になった本を手にして、新規の本を探す方々が増えます。


周り終わってから残りの予算を確認し、自分のスペースに再度戻ってきてくれる方がいると嬉しくなります。私の経験として、コミケは「自分の好みのジャンルの本を買う」「好きな作家の本を買う」場だけではなく、「同人誌として面白いものを探している」人たちがいます。そうした一見の方に出会えるのは、一つの醍醐味です。



この同人イベントが持つ機能は出版社が刊行する雑誌に似ています。多種多様な作品が掲載されていて、連載してきた・連載している作家が雑誌のブランドを作り、読者との繋がりを築いてきました。新規の作家は中に入り、読者に読んでもらう機会を得ます。ある読者が読みたい作品は1つしかなかったとしても、雑誌として買うことで全部読み、興味がなかった作品を読み、ファンになる可能性を秘めています。



同様に、同人イベントは先人が積み重ねてきた資産が非常に大きいと感じていますし、同人誌において同人イベントが果たす「一定の読者がいる」場は電子書籍ではロングテールで形成されるとは思いますが、私にはまだ見えません。



作り手のサイトやブログによる個人の宣伝か、ユーザを囲い込んでいる「pixivやニコニコ動画的なコミュニティ」か、ニュースサイトなどがヘッドになるでしょうが、同人イベント的、あるいは雑誌的な意味で「表現機会を提供し、かつ読者との出会いを提供するメディア」の価値は重要になると思います。



もちろん、同人と電子書籍を切り離す必要は無く、両者を相互の宣伝手段として読者と出会う機会に用いるのも十分にありますし、相互を活用していく道筋については、今後、自分自身が実験したいと考えています。


2:継続的な活動を支えてくれる(頑張りを見せたい)読者との出会い

同人イベントは、創作者が成長しやすい環境です。同人はアクセスしにくい環境で「閉鎖されている」ゆえに、その世界に踏み込んできた人たちは基本的に同人表現に対して肯定的で、親切だからです。創作は自分をさらけ出すことで、自分が傷つけられる側面も持っていますが、同人の場ではファン同士の交流で庇護される要素も持っています。



これはサークル参加者としての経験ですが、参加し続ける限り、そして自分が成長する限り、期待を裏切らない限り、次第に読者は増えていきます。作品が受け入れられなければ、批判をされはしないものの、次のイベントで来る方が減ります。その点で、以前来た方とお会いできるかは、自分にとってのバロメータです。



ある意味、信頼をやりとりしているというのでしょうか。参加するたびに新刊を出すことも、来てくれる方との交流になります。新刊が面白くなければ当然のように次に来てもらえる可能性は低くなりますが、年に2度開催のコミケの度に新刊を出すだけでも、読者の反応は大きく違います。



ある方のブログを読者として更新・変化を期待して、定期的に訪問される経験や、掲示板やコメント欄、あるいはTwitterで「誰かに何かを書いた」方は、「返事」という変化をどこか期待します。ウェブで期待される「何か起こっているかもしれない変化」は、同人イベントでは「新刊」や「ペーパー」で、創作者と読者のコミュニケーションに昇華しているように思います。



同人イベントで「新刊ありますか?」と聞かれて「あります!」と言えるのは嬉しいですし、「新刊下さい」と中身を見ずに買っていただかれる方に出会うと、自分がやりとりしているものは同人誌だけではなく、信頼や期待なのだと感じる次第です。人気を得ることは難しくとも、信頼を積み重ねることはできると実感しています。



何よりも、サークルを訪れて下さる方々がいてこそ、同人活動が続けやすくなります。



私が『英国メイドの世界』という1冊1キログラムあるバカみたいな同人誌を1トン作り、その上で出版社からの出版化を実現できたのも、「総集編」を読みたいと言って下さった方々や、イベントで出会ってきた方々を驚かせたかったり、期待に応えたかったからでした。同人活動を始めた当初、そもそも総集編を作るぐらい活動が続くことなど思いしませんでした。



もしも、同人イベントによる積み重ねや繰り返しがなければ、読者の方々に出会っていなければ、その先には何もありませんでした。



今、商業出版に向けての作業を重ねていますが、そのプロセスを今まで出会ってきた方々にブログや同人誌を通じて伝えようとしてきたのは、自分が受け取ったものを返したい気持ちや、関わってくれたことで「ここまで来られました」という感謝を伝えたいからです。続けることの大切さは後日書くつもりですが、続けやすい環境であることは社会に出てから表現を続ける上でとてもありがたいものです。


3:人と出会える・結果が出やすい

ここ数年、イベントでの出会いの大きさに気づかされました。自分と同じジャンルに興味を持つ方との出会いは同人を始めた時点で思い描いていたもので、実際に得たものでしたが、ジャンルに興味のない方にも出会う機会があり、接点を持てるかもしれないことには驚きました。



これまでに同人イベントへ40回程度参加し、購入・未購入含めて「スペースを訪問して下さったことで出会った」累計の読者数を考えると、延べ5000人になるぐらいになるはずです。プロ作家にならなくても、コミケコミティアといった同人イベントに参加し続けることで、これぐらいの人に出会えるのは、同人の良さだと思います。



自分の仕事や他の趣味で、ここまで人と出会った経験は思い当たりません。しかも自分の作品を見に、時間を使ってくれているわけです。その全員すべてを覚えることはできていませんが、たとえばそうして接点を持った人からお話を伺うのは大好きですし、その方の人生のほんの短い時間にせよ、自分が関わりを持てるのは幸せです。さらに、そこで接点を持った自分が今後、いろいろなことをして頑張っていけば、「あ、あの時の」と思いだしてもらえるかもしれません。



自分の意思がなければ来ないある種の「辺境」に来ている、いろいろな何かの選択の末に同人イベントにいるわけで、そうした多くの参加者の人生とすれ違える場にいることは素晴らしいと思いますし、ある意味、その方々の人生ですれ違う「登場人物」にもなれるでしょう。



同人イベントでは必ず「結果」が出ます。結果が部数なのか売上なのか何なのかは人によりますが、何か思い描くものがあって参加するわけですから、自分が期待したその何かが「叶ったのか、叶わなかったのか」は、イベントが終われば分かります。



多くの情報も得られます。たとえば「どの本がどう読まれているのか」は、スペースにいることで分かります。短い時間で作品を伝えるのは不可能にせよ、どうやったら伝わるかを考え、サークルスペース上で工夫をしています。サークルスペースの展示も、「同人誌の中身を伝えるメディア」です。何かを伝えたくて表現をしているはずで、その表現を伝える同人誌の魅力を伝えるのはスペースにいる自分です。



話しかけて伝わることもあれば、そうでないこともあります。しかし、手に取られないと思ったら、本の付加情報の伝え方を工夫したり、言葉を変えてみたりする工夫ができます。実際、同じ本でも伝え方を変えたら、動きが変わりました。何か気になることがあればその場で調整可能なものは変更したり、次のイベントの新刊の内容・伝え方を再考したり、必ず次に繋げるように意識します。参加するだけで、何かは得られます。



本を手にする方の動きにも情報が込められています。これまでの経験上、読者の方に手に取ってもらい、読んでもらった際には内容で売れ行きが全く違います。短い時間で、伝わる情報は確かにあります。「買っていく方々」だけではなく、「読んで、買わなかった方々」と接点を持ち、学ぶことができるのも、同人イベントで実際に出会っていればこそでしょう。



人と出会える場所にいるだけで普段と違う経験をできます。


個人が続けやすい環境としての同人

「本で伝える」(読者にテーマを伝える)ことと、「本の存在を伝えること」(読者と出会う)は、同人も電子書籍も同じだと思います。本以外のプロダクトも同様で、良い物を作ったとしても使ってくれる方に出会えなければ評価されません。



その点、同人は「本の存在を伝えやすい」場であると思います。



結果の出やすさについてはウェブの方が可視化されやすい面もありますが、読者の顔が見える点で、非アクティブな読者にも出会えることが同人イベントの面白い点です。何よりも、訪問して下さる方から教わるストーリーや、読者の方の反応が大好きですし、そこで驚きを見たいので、出版化が決まった時には告知を先に同人イベントのみで行いました。



個人として「媒体・紙」が好きではありますが、実際のところ、同人の魅力で他でなかなか実現されにくいことは、自分で本を作り、読者に手渡せることではないでしょうか。また、場に対する帰属意識・仲間意識を持てるのも、今、感じている同人の魅力です。私がサークル参加者としてできることは、期待を裏切らないものを作り、「自分が参加する場」の価値を高めることへの協力や、先人が築いた場を引き継ぎ、バトンのように次に受け継いでいくことだと意識しています。



私はかつて、異常にマイナーな歴史の同人誌と出会いました。「こういう本、ありなんだ」と思ったことは、同人で資料本を作るきっかけのひとつになっています。同様に、私の本を手にした方が「あ、こういう本、ありなんだ」と思い、そこから新しい本や表現が生まれていけば創作をしていて良かったと思えます。また、誰かの本を買いに同人イベントに来てくれる方が新しくひとりでも増えれば、それは他のサークルにとっても新しい読者と出会う機会の増加に繋がります。同人への理解者が増えれば、創作の裾野も広がっていくでしょう。



この点でアマチュアにとって成長を促してくれる魅力的な場としての電子書籍の可能性は、私にはまだ明瞭に見えません。そもそも、両者で得られるものや置かれている環境はまったく違っています。



しかし、同人イベントに電子書籍が参入してくる可能性はありますし(試みている方もいます)、電子書籍メディアがあって成立するリアルイベントも登場してくるでしょうし、同人イベントが持つ創作がしやすい環境と構造をウェブや電子書籍で実現すれば、状況は変わるでしょう。



電子書籍が同人イベント的にコンテンツ制作の母体となっていくには、「1:多くの読者と出会う場の創出」「2:創作活動の評価を得られやすい(売上以外も)」「3:成長機会と読者のコミット」の3点が満たされることだと思います。2はウェブでの様々な機会で感想を得られますし、3の成長機会は個人の意識次第、読者のコミットは『電子書籍の衝撃』で分析された携帯小説の存在を見る限り(あるいはニコニコ動画など)、既に実現している点も多々あります。



個人が専業ではないレベルで物を発表する場として、どんな形が良いのかを考え、自分が参加している同人イベントの魅力を考察しました。音楽業界の構図で重ねると、また違って見えそうですね。


電子書籍のインフラ普及が「同人活動」に及ぼす影響を考える

AMAZONの電子媒体Kindleは、作家にとって表現の場としての敷居の低さを実現しつつあり、日本の電子書籍市場では目立たなかった「個人の作家(プロ/アマ問わず)による電子書籍化」の動きを加速させています。日本の作家(プロの漫画家・ライトノベル作家など)が登録を始め、先日、同人誌の登録を行った方も現れました。



日本初? kindleで日本語漫画を出してみよう企画(漫画家・うめさん)

Kindle Storeで小説を出版・その後ライトノベル作家・木本雅彦さん)

以前サンクリで出した本イラストレーター・なきうささん)



こうした動きを踏まえつつ、「同人誌の電子書籍化+一般流通に乗る」流れが、同人にどのような影響を与えるかを考えました。以前から少しずつ考えていたのですが、作家の方たちの動きが早いので、このタイミングでまとめました。



電子書籍の概要については、前のエントリ電子書籍・出版業界についての私的なメモ帳(2010/01/30)にまとめています。



以下、同人への影響の考察です。


注意事項

ある程度、AMAZONAppleなどの電子書籍の端末が普及し、かつ個人個人の作家が自由に販売を行える未来図を想定し、その際に生じえるメリットとデメリットを検討しています。まだまだ先の話かもしれませんが、今考えられることを列挙しました。また、私自身は同人誌における二次創作については当事者ではなく、そのジャンルで活動する友人の話や、ネットで見かけた情報を基に以下の文章を構築しています。当事者の方には当然、別の見解があると思います。



電子書籍と同人誌のどちらが優れているか、という議論ではありません。


目次

1:電子書籍メリットの考察
 1-1:出版しやすさ/在庫
 1-2:買いやすさ・マーケットの接点
 1-3:表現技法の広がり
 1-4:換金化/コピーコンテンツへの対応
 1-5:誤字脱字/改訂の容易さ
 1-6:海外市


2:電子書籍のデメリットの考察
 2-1:「利益追求」か「趣味の範疇」かの議論〜印刷代からの解放とその先
 2-2:電子書籍による買いやすさの向上がもたらすリスク:「同人」の枠を出ること
 2-3:電子書籍による買いやすさの向上がもたらすリスク:「書き手の責任」


3:「同人誌」のメリットを逆算し、電子書籍にできることを考える
 3-1:「同人イベント」「同人誌」のメリットは何?
 3-2:電子書籍時代の同人イベント


4:まとめ


1:電子書籍メリットの考察

まず電子書籍同人活動にもたらすメリットから考えます。


1-1:出版しやすさ/在庫

最も大きいのは印刷代をかけずに出版可能になることです。



50部単位、100部単位ではなく、それ以下からでも可能です。その概念が無くなりますから。



また、同人活動を続ける上で部数設定を間違えて膨大な在庫を背負うことは、とても辛いです。初心者ばかりではなく、「完売を続ける」中小規模のサークルでも起こりえます。小なりといえども、私自身、コストの大きさに再版を行わない判断をした経験しました。シリーズで同人誌を作るサークルにとって、過去の作品が在庫切れを起こして新しい読者が作品に接しにくい状態は避けたいものです。「既刊ありませんか?」と聞かれるのは申し訳ない気持ちになりますが、再版をしたとしてどの程度出るかは分からず、また総集編を出すにはページ数が増えすぎてコストが高い場合が多いです。



しかし、電子書籍市場が普及し、個人の発表が容易になれば、環境は変わります。



同人活動をする方にはデジタル入稿を行う方が一定数存在し、単純なPDF出力やデジタルデータの加工自体は難しくありません。また、マンガ表現に限れば本文中に複雑なデザインを必要とする部分は少なく、AMAZONなどで電子書籍の登録が容易になる面でもっとも活発化するのは、この層でしょう。(技術論的にはトーンの再現性や解像度の問題点等、微調整が必要とのこと。ここのKindleでコミックスを電子配信する…のまとめ(sarninの日記:2010/02/03)がよくまとまっていました)


1-2:買いやすさ・マーケットの接点

AMAZONを待たずとも、既に電子書籍で同人作家が自由に同人作品を頒布できる環境自体は、整っています。無償であればウェブで行えばいいですし、有償でも既に同人ショップ『とらのあな』DLSiteなどで同人作家によるダウンロードコンテンツ・同人誌の販売は行われています。



しかし、こうしたサービス自体がメジャーではなく、同人イベント同様の買いにくさがあります。



基本的に「個々のサービスごとにアカウントを作り、決済をする」方法は障壁が高いです。私個人の体験ですが、以前、同人誌『英国メイドの世界』を刷った折、「本は欲しいが、同人サービスは利用したくない」との見解をウェブで見かけました。ニュースサイトで取り上げられることで、本の存在が「普段、同人に関心を持たない層」に届いた事例です。



同様に、私が利用した日本の電子書籍サイト「理想書店」では電子書籍媒体ボイジャーのパッケージを使っているようでボイジャーストアとなっていましたが、別の「ディスカヴァーデジタルブックストア」では同一のパッケージを使っているように見えながら、アカウントは共有されていません。一度に買えないのは、やや面倒です。



しかし、同じ仕組みで決済できるAMAZON(古本やお菓子や家電)や楽天市場に代表されるショッピングモール形式であれば、元々の会員数が膨大にいて、そこに「お店・商品が一つ増える」だけの話で、利用者には慣れ親しんだインフラで買い物できます。AMAZONAppleのような、大きなレベルのインフラで「他にコンテンツが買えるし、同人も買える」ようになると、買いにくさの障壁は一気に下がります。これは既存の電子書籍市場にもいえることで、入口の一元化は買いやすさにつながります。この環境が同人に与えるマイナス影響は、後述します。


1-3:表現技法の広がり

単なる紙を電子媒体に移すだけではなく、その媒体でしかできない表現を盛り込んでいくことがメディアとしての電子書籍には期待されます。



最近電子書籍に、参考用の動画埋め込みやwikiへのURL、Google Books、さらには参考書籍のAMAZONアフィリエイトといった、「参考にするコンテンツへの導線」があったら便利だなと思っていたら、それってそのままウェブでした。縦書きやデザインにこだわらない限り、「どこからでもアクセスできて、情報が読める」「課金できる」「コピーされない」、これで要件は成り立ちます。



AMAZONの入稿形式はHTMLの延長です。最近買った電子書籍のひとつはコピー対策か、ブラウザのプラグインで閲覧して、オフラインでは読めません。携帯端末で言う「電子書籍」は携帯端末からの「課金・コピーしにくさ・認証」で、端末内にコンテンツがあってオフラインで読める状況でないならば、「アクセス権」を売っているだけです。



つまり「電子“書籍”」ってなんなんだろう?



そんな事を思っていたら、このエントリで十分にまとまっていました。電子媒体で何ができるのかという根本的な話がありつつ、それ以上の表現技法や試み自体は、自由に行える同人的側面で広がり、模倣され、発展していくのではないかと期待しています。


1-4:換金化/コピーコンテンツへの対応

ウェブの存在は多くの読者と出会う機会を提供しています。しかし、ウェブは「無料」文化や、課金を行いにくい構造があります。



同人誌として「形」を持つことは、複製を難しくした上で作品の代価を受け取ることを可能とします。「ニコニコ動画」のユーザータグに「振り込めない詐欺」というのがありますが、無償のものでも作家の活動を支援したいと、実際にお金を払いたい層は存在します。しかし、なかなか分かりやすく統一的な個人向け決済システムは普及していません。(PayPalは代替策となるでしょう)



書籍の話として、電子書籍化が個人で行えるようになれば、課金/決済をそのシステムに任せることで、実現できます。その上で、携帯端末と連携することは複製を難しくする効果が期待できます。最近ではKindleが早くもクラックされ電子書籍のコピーや変換が可能にというニュースを見ましたが、少なくとも複製防止は電子書籍側・インフラが行ってくれる点は大きく、「複製防止+課金」のセットが行える点で、携帯端末への期待は高いです。


1-5:誤字脱字/改訂の容易さ

電子書籍化で比較的データをいじりやすくなるので、出版後に見つかった誤字脱字の修正や文中表現の修正対応が可能となります。見かけた記事電子書籍時代の著作権侵害では、盗用を巡る裁判で文中の2行だけのために、書籍の出版停止が命じられた事例を基に、電子書籍の修正のしやすさを取り上げています。



とはいえ、売り物である以上、一定の品質は必要ですし、そもそも以前あった表記が消えるのはデメリットです。頻繁に更新がされると今後、引用を巡って問題が起こるでしょう。(引用した個所が消されているなど)


1-6:海外市

これはAMAZONAppleなど元々英語圏を母体とするマーケットに、個人レベルで乗り込みやすくなる可能性について、です。英語の吹き替えをつけられれば、マンガ表現は海外で頒布できます。2年前のエントリですが、「iPhone向け多言語対応コミック」を実現された方がいますので、Kindleに求められていくのはこちらの部分が大きいでしょう。



アメリカで同人誌を売るということ(Keep Crazy;shi3zの日記:2008/08/16)



紙で出版することは現地の市場調査や出版までこぎつける多大な労力が必要でしたが、電子書籍化すれば、障壁は一気に越えられます。英語圏そのものがマーケットとして広がることは、同人作家に限らず、魅力的です。


2:電子書籍のデメリットの考察

次に電子書籍による作品の頒布がどれだけ同人誌にデメリットを及ぼすか整理します。


2-1:「利益追求」か「趣味の範疇」かの議論〜印刷代からの解放とその先

私は以前、『同人活動を続けるための利益』というエントリを書きました。ここでは印刷された「同人誌」の印刷代(ここでいう同人誌には同人ゲームやCDを含む)、在庫の搬入・搬出のコストやそれ以外の同人にまつわる諸経費が同人活動の内部で完結し、活動をつづける原資となる利益を生む構造があった方が長続きすると書きました。サークル活動が長く続けばそれだけ、多くの作品が生まれる可能性や多くの読者、そして作り手に出会える機会は増大します。その一連のプロセス自体は、大切なものです。



同人活動の継続性を高める手段としての「利益」



同人活動で最も大きなコストは同人誌の印刷代です。同人イベントに参加し、読者と出会い続けるには、一定の同人誌を刷り、新作を出す創作活動を繰り返します。そのために、印刷代は不可欠です。そして、電子書籍化した場合、印刷代は発生しません。印刷代から解放されたからすぐに利益を生みやすい構造が生まれるとは思いませんが(見つけてもらいにくさは変わらない)、印刷代を理由にした「同人誌は儲からない」論は成立しにくくなるのではないでしょうか。



実際のところ、「完売したけど、再版するにはお金が高すぎる」場合や、時間の経過を気にせずに気に入ったときに買ってもらう利用に最も適しているのが電子出版のインフラですが、利益に対する考え方、少なくとも「外からの見え方」は変容するでしょう。



前回書いたように、同人には印刷代以外の諸経費がかかっていますし、それ以上に、利益を上げられればそれだけ「製作時間の確保」に繋がる可能性が高まります。デジタル環境で同人誌製作を行う方は、パソコンの性能やソフトウェア、道具(ペンタブレット、ディスプレイ)の制作環境への投資で、製作の効率化や時間を有意義に使えるでしょう。また、自分ではできないけれどやってみたいことを、人に外注できます。



しかし、「同人誌ではなくなった場合」、同人誌の持つ曖昧性に保護された表現が変質し、趣味の範疇を越えたと解釈されたり、利益の得やすさが注目を集めたりして、批判を浴びる可能性が残ります。


2-2:電子書籍による買いやすさの向上がもたらすリスク:「同人」の枠を出ること

個人で誰もが表現活動を始められるのが同人活動の良いところで、また同人イベントを主体にした場合は「同じく好きな人」の理解に守られています。ウェブで同人誌を電子書籍化する、それも大規模プラットフォームで行う場合、この場を失います。



「同人」という限定された空間ゆえに、「ファン同士が、ファン活動の一環として、大好きな作品のキャラクターを用いて創作を行う」ことは一定のレベルで黙認されて回っている部分があります。(すべてではないです) また、同人誌は同人イベントに行かなければ(同人ショップに行かなければ)、入手できません。既に電子書籍化した同人作品(前述の『とらのあな』やDLSiteなど)が存在するとはいえ、こちらも興味がある人でなければ近付かない配布に留まり、あえて踏み入ろうとしなければ乗り越えられません。



しかし、AMAZONAppleで同人誌が頒布できるようになると、巨大なマーケットへ繋がります。同人の文化をまったく知らない方が簡単に入手できるようになると、同人イベントの目立ちにくさゆえに守られた環境から切り離されます。



仮に問題ある作品(著作権・コピー・表現)が登場した場合、「1:紙の制限がなくなるので同人以上に普及する=被害が増大する=表現者の責任範囲が増大するリスク」や、「2:作者以外による複製コンテンツによる著作権侵害=発見までの時間・個人で立証可能か・被害者が二次創作者の場合、立場が曖昧」、「3:表現規制論者に利用される」(極端なものが目立つ・入手しやすくなる)など、リスクが考えられます。


2-3:電子書籍による買いやすさの向上がもたらすリスク:「書き手の責任」

マーケットとダイレクトにつながる結果、個人個人の責任は大きくなります。



「売れすぎる」二次創作が表舞台に出た場合にどうなるのか(同人誌として「境界を越えて普及」したドラえもん最終話同人誌問題)や、成人向けの過激な表現が表に出るリスクは、非常に少ない事例としても、念頭に置く必要があります。



二次創作でなければ済む話でもありません。私自身、オリジナルの同人誌を出版社で出す際、出版表現上の注意点で編集や校正の方の確認を受けました。時代によって表現への配慮は異なりますが、リスクを減らす判断です。また、コミケ会場で行われる「修正が甘い成人向けコンテンツの販売停止措置」は、コミケが判断し、同人イベントとして問題が起こらないようにやっている措置です。



同人世界で許された表現が、金銭を得る形でそのまま多くの人の目に触れる可能性(あくまでも可能性です)が高まることで、作者のリスクが高まります。



二次創作が「権利者」の利益を侵害する可能性がある点は、たとえば「東方のアンソロジー」に見られるように、作品を使われることに権利者が同意し、利益を権利者に戻す仕組みができれば広がるでしょう。その場合、「商業アンソロジーとどう違うの」「同人なの?」という話が出ますが。



他にも想定していない事例は数多く出てくるはずで、進むべき足場を確かめる慎重さが必要だと私は思います。


3:「同人誌」のメリットを逆算し、電子書籍にできることを考える

電子書籍市場の拡大し、個人アップロードのしやすい環境が整ったとしても、同人イベントが残っていくでしょう。そもそも同人イベントにどういう役割があり、今後「電子書籍が同人誌になっていく」にはどういう環境が望ましいのかを整理します。



その上で、電子書籍が「同人イベント」に持ち込まれるのか、という問いかけをします。技術的問題や「同人イベント」という場の性質により、電子書籍化(少なくともイベントの場に持ち込まれる)は完全に起こらず、表現媒体としての紙の完結性や紙を所有したい欲求が消えないでしょうから、あくまでもブレストです。


3-1:「同人イベント」「同人誌」のメリットは何?

同人イベントは何が楽しいのか、そもそも同人誌をなぜ作るのか。



なぜ作るのかは個人の事情次第として、同人イベントの作家側のメリットは、「1:ファン同士や作家とファンが作品を通じて好きを交流できる」「2:作家にとっては自由な表現の場となる。好きを表現しやすい」、そして「3:表現が受け入れられた場合に結果として利益が得られる可能性があり、活動を続けやすくなる・広げやすくなる」、この3点を指摘します。



同人イベントに来る方は基本的に「同人表現を好む方」です。同人誌への理解があり、同人作家の状況を知り、応援してくれる存在で、出会った方たちから暖かさを私は感じました。ある意味、「作家を育ててくれる場所」です。紙の制約を受け、読者に出会いにくい構造は確かにあります。しかし、「本の形で費用が生じる」ことは作家にとって作品を守る「防壁」にもなります。ウェブの無料コンテンツの場合は誰にでも見られることで、全く関心がない人が見たり、断片的評価を下されたりする可能性が残ります。



しかし、有料の場合は「買うまでの敷居の高さ」があり、そもそも同人イベントでしか頒布していなければ(あるいは同人ショップでしか頒布)、同人への理解がない人と作品が出会う可能性は極めて低くなります。読者数に上限はありますが、顔が見える方たちから暖かい評価を受ける環境は、創作を続けやすい要因となります。



さらにいえば、同人イベントに足を運んだ方は「目的の本を買うだけ」ではなく、「何かを見つけようと、作品との出会いを望んでいる」面があります。作家にとっては、興味を持ってもらいやすい環境です。「同人誌」であることが制約としてありつつ、「端末に依存せず、読める」「手渡しできる」「出会うきっかけとなる」「入手欲」「分厚さや大きさなど、本の不自由性が逆にメディア価値を持つ・表現手法となる」など、多くのメリットがあります。



私が事例として挙げた3点のうち、動画を主体にした表現を行う「ニコニコ動画」やイラストレーターが絵を軸に作品を投稿する「pixiv」では、「1」「2」は実現していますし、「利用者のコミュニティへの帰属意識」的なものが存在し、ある程度、創作を続ける上での「暖かい環境」でしょうし、ランキングの存在は「出会い」を提供してくれるきっかけになります。



しかし、「3」は今のところ、把握していません。制作に費やす「時間」への見返りを得ることは創作を続ける上で原動力の一つとなります。ウェブで課金の仕組みが整うこと・コピーされにくいことが、今時点では個人における創作活動にとって、電子書籍に期待されるものだと考えます。



ニコニコ動画やpixiv自体がユーザを集める部分では同人イベントと類似しています。上記した1〜3の要素、「ファンや読者と出会い」「作品が評価される環境」で「作品を作り続けるのに必要な利益」が得られる環境が作れれば、同人イベントに活動を絞る必要はありません。



この考えはまだ詰め切れていませんし、人によりけりであり、「紙」「リアル」の部分で今後も同人は生き残り、いくつかの要素をウェブがクリアできれば、同人イベントに参加しなくてもメリットを得られる作家が増えるはずですし、個人的にその存在自体は増えていって欲しいです。


3-2:電子書籍時代の同人イベント

ここから先は、妄想です。



仮に電子書籍で同人誌を作りつつ、誰もが携帯端末を保持し、それでも同人イベントで同人誌を頒布する場合の未来図を考えてみました。といっても、大したものではありませんが。



電子媒体を持ってきて、イベント会場のサークルスペース上でデータを転送する、というのが考えられるものです。コンテンツ自体のダウンロードはウェブで可能にし、認証キーをスペースで頒布する、というのもいいかもしれません。決済は電子マネーで。



このように同人イベントの構造だけは維持しましたが、スペースに在庫が不要ですし、参加者も「重さに関係なく購入できてしまう」でしょう。さすがに味気ないですが、同人誌との併売や、在庫を電子書籍化したものを会場限定頒布することなど考えられますね。



位置情報やセカイカメラ的な工夫でもう少し面白くできるかもしれませんが、リアルの場は「一回、その環境に封じ込められる」「移動に不自由さはあるけれど、その不自由さの中に自分の意図しない出会い」があります。来た以上、何かいいものを探そうとします。


4:まとめ

今時点で、考えうることを書きました。可能性の問題が多く、今後情報が増えていけば内容に変更が生じますし、事例も増えていくでしょう。ただ、事例が少ない領域である点で、個人で判断を迫られる部分が多くあります。



基本的には「作品を誰かに見つけてもらう」工夫をしなければならない点は、同人イベントと同じままです。AMAZONに登録したからといって、接点ができるだけで作品が見つけてもらえるとは限りません。



ただ、たとえばニュースサイトで取り上げられ、思わぬ露出をし、誰もが買いやすい環境が生じたところで「著作権に問題があった」場合、この被害は同人誌の比ではありません。プラスがある分、マイナスの買いやすさが増大する可能性が高いです。



とはいえ、今後個人の表現、そしてまずはマンガ表現の舞台として機能するはずで、この環境を楽しめる方には新しい視界が広がっていくでしょう。同人といっても千差万別で、私が指摘できたのは断片的なものです。




でももう売ってる場所が同じなのだったら、それは同人誌ではないんじゃないか、という疑問もなきにしも(笑) もう区別なんてなくなっていくと思います。みんな「漫画」でいいんじゃないの? http://bit.ly/cYqBgt http://bit.ly/cT0M2C

http://twitter.com/ume_nanminchamp/status/8615180928



Kindleでマンガを発売されたマンガ家のうめさんがTwitterで、同人誌のKindle発売についてコメントされていました。この言葉から私が感じたのは、「同人誌」が「漫画」となる場合に、ある種の「同人誌という保護」(先人の蓄積:参加者たちが作り上げたコミュニティとしての資産)から出て行き、表現者として個人で場と向き合う点です。



今はまだ一部の、本当に一部の方による登録ですが、日本語対応やインフラとして普及する場合には、「同人誌ってなんだっけ」との問いかけが今まで以上に議論されるでしょうし、Kindle電子書籍を母体にした新しい「同人イベント」的な、作品を生み出しやすいプラットフォームが生まれるかもしれません。



過渡期を迎えつつあるという認識でいますが、電子書籍への関心と、同人誌とどう向き合うか、自分がなぜ同人イベントが好きなのかをまとめる意味もあって、言葉にしました。私自身はKindleについては表現を行う場として試みるつもりです。