『地上楽園バース』P51をご参照下さい。
社交都市としてのバースに君臨したジョン・ナッシュが、正装ではなく、エプロンをつけて入ってきた公爵夫人から、そのエプロンを剥ぎ取ったエピソードは有名です。その話はこの本にも出ていましたが、より詳しく書かれておりました。
18世紀初頭に、「ミルクメイド・スタイル」と呼ばれる、ミルクメイド(Dairymaid)のエプロンをつけてパーティに出るのが流行したそうです。ナッシュは「メイドの服装で出てきた公爵夫人」をこの場にふさわしくないと、そのエプロンを投げ捨てたそうです。
では、「なぜミルクメイド・スタイル」、つまり酪農や牛乳を扱うメイドのスタイルが上流階級で流行したのでしょうか? 「使用人の格好を真似する」のが流行するというのは、ヴィクトリア朝を学ぶ人間にとっても、不思議な話です。
その解答は、手元の1冊の本にありました。ヴィクトリア朝以前のある時代において、ミルクを作る仕事が「女主人の役目」だった時期もあったのです。そして、英国王女や、フランスのかのマリー・アントワネットもミルクメイドのように、Dairyに従事したのだそうです。
冬の新刊のDairymaidの項目で詳細に説明したいですし、ネタばれになるので情報の記されている原典を今は書きませんが、Still-Roomがかつて女主人の為の部屋であったように、屋敷によってはDairy-Room(もしくはDairy-House)が女主人の領域だった時代もあったのです。
ですからミルクメイドのエプロンをつけることは、それほど「忌避される」ものではなかったと言えます。