起床:02:00、06:00
再び、目が覚めたのは午前2時。という暮らしが続きました。これは時差ボケなのでしょうか?
予定1:Eaton Place
ドラマ『Upstairs Downstairs』の舞台
イギリス・1970年代に放送され、第五シリーズ全68話まで続いたドラマ『Upstairs Downstairs』。日露戦争の1904年から始まり、使用人が主人公であるこのドラマの舞台を訪問したいと、2004年に渡英した頃より、考えていました。初めてのイギリス旅行は友人ふたりと一緒だったので、観光地とも呼べないこの場所に連れて行っては迷惑なので諦めましたが、今回は一人旅。
ドラマの公式ホームページを見ると、今も人が住んでいるものの、建物は残っているとのこと。それが、Eaton Place 65です。ということで、またしても観光地ではないですが、二日続けての舞台探訪を行いました。
『THE 1900 HOUSE』の舞台を訪問したように、今回のEaton Place訪問も目的があります。ロンドンの高級住宅街の面影を見ておきたい、歩いて肌で感じたい、との思いが強くあったからです。小説を書く上で、また同人誌の資料から知識以上の空気感を得る上で、実際に歩いて、歩いた人の視点でロンドンの街並みを描ければ、という部分もあったので、取材とも言えますね。とはいえ、再現するだけでは意味がありませんが。
Groucester Road To Sloane Square
だいぶこのエリアを拠点にしての観光にも慣れてきました。駅までの短い距離、信号の渡り方の感覚も取り戻し、地下鉄に乗ります。この日はCircle線に乗り、二つ先のSloane Squareまで出かけます。そこが、歩いて「Eaton Place」に行くには、最も適した場所だったからです。
今回の旅は、前にも書きましたが、「時間を無駄にしないために」行動時間を早めています。入場時間の早い観光地、無駄の無い移動、こういう舞台訪問は早い時間に。この日も出発はだいたい08:30ぐらいだったでしょうか? たった2駅しかないので、あっという間に到着です。
高級住宅街を歩く〜Mewsと
駅を降りると、Sloane Squareの名のとおり、「四角い」広場が駅前にあります。そこを手元の地図と見比べながら、一路、Eaton Placeを目指します。ヴィクトリア朝期ならば霧が出ていたり、家庭内の暖炉から煙が出ていた、或いは足元にきっと馬糞なんかがあったのでしょうが、現代ではそういうことも無く、新聞配達の人や、ごみ回収の人が普通に仕事をしていたような気がします。
スクエアの右上角に、北東へ伸びる道があります。多分、KING'S ROADの続き、ですかね。そこからCliveden Place、Eaton Gateを通過して、Eaton Squareにぶつかります。ここで左に曲がり、Chesham Stを通ってしばらくすると、Eaton Placeに辿り着きます。そう、あのドラマで見た舞台に、ようやく辿り着いたのです!
思い込み〜Eaton Place 65
高級住宅街っぽい雰囲気、玄関の真上には「テラス」、或いは「車寄せ」があり、「きっとお金持ちが住んでいるんだろうなぁ」という印象を受けました。同じロンドンの街並みでも、エリアによって、建物の玄関も違うんですね。
そして、ようやく見つけた撮影現場、遥々日本から来ました。「Eaton Place 69」を記念に撮影したものの、「確か、端の家だったよなぁ」と、場所が曖昧なまま、その場を去りました。住宅街と言う雰囲気に、気おされていたのでしょう。帰国して確認したら、「65」でした。
がっくりです。
『Upstairs Donwstairs』公式サイトでの撮影地レポート
BELGRAVE SQUAREへ
高級住宅街としてヴィクトリア朝でも知られる「BELGRAVE SQUARE」。数日前に見たオスカー・ワイルド原作『THE IMPORTANCE OF BEING ERNEST』の映画では、カントリーハウスから出てきたジャックが所有する、ロンドンのタウンハウスがありました。(ジャックが娘の結婚相手としてふさわしいか審査するブラックネル卿夫人の目からすると、このエリアは『よろしくない』との評価でしたが)
ここを歩いてみたかったです。Eaton Placeからも近い場所で、ウェリントン公爵記念碑のあるHydeParkCorner目指して歩き続けれ、通れる場所でした。
この界隈は大使館があちこちに居を構えていて、国旗がかなりの数、翻っています。高級住宅地の建物には幾つか特徴があります。ひとつはEaton Placeで紹介したような「玄関の真上のテラス」、もうひとつは建物の大きさ・高さです。
『Upstairs Downstairs』や、ロンドンで泊まっていたホテルも、よく考えれば、「高い階層」まであるんですね。地下1階に地上は屋根裏部屋を含めば、4〜5階建て。現代のマンションとさして変わりません。また、大きな建物も二種類あり、入り口の数が違っています。入り口が多ければそれだけ中が仕切られている、一軒家が幾つも連なっているイメージです。もうひとつは入り口が1つ〜2つ、これはきっと貴族のタウンハウスや、ホテルに近いものなのかと思います。
ということを考えつつ、歩いていくと、今度はバースで見た「クレッセント」(三ヶ月)の建物がありました。Wilton Crescentと名づけられたその場所は、ちょっと小さいですが、優雅な形をしていました。
順調に?進んでいたのですが、そのまま北上してHyde Park Cornerに出ようと思っていたところ、どこかで道を間違えてしまい、いつのまにか南下して、Victoria駅に向かっていました。辿り着いたのは、聖ピーター教会です。
St. Peter's
この後、GROSVENOR PLACEを歩いて、ようやく中間地点に着きました。
予定2:ロンドン散策
Constitution Hill
それから思いつきで、『THE GREEN PARK』の南、Constitution Hillを歩きました。乗馬道があり、涼しげな朝の空気の中、森を通り抜けていくと、その先にはバッキンガム宮殿がありました。ハイドパークの「ロットン・ロウ」に通じる道、つまりこの先に宮殿があって、王族がここを通った道なのでしょうね。一年ぶりですが、なんとなくでたどり着きました。
バッキンガム宮殿
朝なのですが、少しだけ観光客がいました。太陽の光がとても強く、輝いていました。前回来た時は写真を撮るのに苦労しましたが、今回は自由な場所から、宮殿を眺めました。
Spencer Houseの下見
宮殿前の最も大きな通り、THE MALLを進みます。何か王室関連のイベントがあると、この通りが人々で埋まります。そこから、明日の最終日にどうしても訪問したかったSpencer Houseの下見をするため、MARLBOROUGH ROADを北上して、地下鉄Green Parkの方へ。
この辺りは、Lancaster House、Clarence Houseがあるそうです。セント・ジェームズ宮殿の横を通り、Spencer Houseを探しましたが、よくわかりません。それっぽい建物が二箇所あったのです。
Green Park側から見た建物の写真はあったものの、入り口の側には何も目印も表札も出ていません。多分ここだろうと目星をつけて、北に向かって歩きます。もう、歩いてばかりです。
予定3:PICCADILLY
最高級ホテル・リッツのあるPICCADILLY。フォートナム&メイスンもあります。ロンドンのメインストリートのひとつです。今度は東へ向かいます。がが、時間帯が早く、十時前なのでお店はほとんど開いていません。
途中、去年も通り抜けた「バーリントン・アーケード」の写真を撮影しました。『アガサ・クリスティの食卓』によると、この場所は、『名探偵ポワロ』の『ベールをかけた女』の舞台になったとのこと。記憶が正しければ、確かに、宝石店に押し入った男は、アーケードを駆け抜けています、ということで1枚。
リージェント・ストリート
しばらく進むと、交差点、PICCADILLY CIRCUSにぶつかります。この場所はREGENT STREETとPICCADILLYの交差路です。アニメの方の『エマ』の中でも、かなり重要な場所として登場してきています。
ということで、この辺りでだいたい10時ぐらいになります。土産物をデパートで買おうかと思いましたが、観光とショッピングが気持ち的に一致せず、面倒なので、そのままストリートを北上しました。
OXFORD STREETに出て、そこから西へ向かって歩き、Marble Archへと到達。というふうに、朝に出発して、ぐるりとロンドンを歩き回って、だいたい二時間近くが経過しました。
この次の予定地は、ケンジントン宮殿です。
予定4:ケンジントン宮殿への長い道程
Marble Arch
長谷川如是閑が書いていた「Marble Arch」、酷評されていました。バッキンガム宮殿さえも長谷川如是閑は酷評していましたので、話半分にせよ、あまり記憶に残らなかったのも確かです。
地下鉄Center線を乗り継いで、「Lancaster Gate」ケンジントン宮殿のある辺りまで移動しようと思っていたのですが、実はこの日、地下鉄はMarble Archより西へ行かないことになっていたのです。
戸惑った観光客?で駅は大混雑し、もうどうにも面倒くさくなって、「HydePark縦断の旅」再びです。友人が一緒にいればきっと、バスやタクシーを利用しましたが、運動を兼ねて、Hyde Park北東の端から、西のケンジントン宮殿まで、歩きました。
ケンジントン宮殿
ケンジントン宮殿は前回行けなかった観光地です、というよりも頭の中に入っていませんでした。特に強く行きたい、とは思っていませんでしたが、宮殿なのだから、バッキンガムぐらいすごいのだろうと、期待していました。
右手にオランジェリー(温室)を改装したカフェ、左手には庭園があります。庭園といっても長方形の四方を生垣に囲まれ、観光客は窓のように空いた生垣の隙間から、中を見るだけです。ここにはリスが生息していて、ベンチの上やその辺りを普通に歩いていました。
宮殿の入り口では簡単な荷物検査をされます。しかし、バッキンガム宮殿のものものしい警備とは対照的で、もはやこの宮殿が「生きていない」ことを物語っているようです。入場料は一緒ぐらいなのですが……
博物館?
ケンジントン宮殿は、個人的には満足できませんでした。宮殿の中が暗すぎ、地味すぎ、また宮殿保護の為かイミテーション的なものが目立ち、壮麗な雰囲気も厳かな雰囲気も感じられませんでした。
衣装や、いろいろな備品類が陳列されているので、博物館としてのイメージですね。バッキンガム宮殿は「宮殿に迷い込んで、圧倒され、ただ感嘆するのみ」でしたが、古色蒼然、「歴史」の過ぎ去った時間を体感する、その差なのかもしれません。
本によると、17世紀・ウィリアム三世とマリー女王がロンドンで彼らに適した住まいを探していて、見つけたのがこの宮殿(Nottingham House)でした。というふうに、初期から宮殿として建てられたわけではないようです。
19世紀のヴィクトリア女王の時代にはほとんど無視され、「他の宮殿の家具や絵画の倉庫」扱いされ、朽ちかける、とは言いすぎですが、それに近い状態になっていました。しかし、この宮殿でヴィクトリア女王は、女王になる以前、母と共にここに暮らしていたので、19世紀末に議会はリストアする資金を出し、1898年にリストアされたそうです。
その後、一時期は博物館として一般公開されたものの、第一次大戦中には慈善団体の事務所になったり、第二次大戦では爆弾の被害を受けたりと、様々な意味で「王族が暮らす宮殿」ではなくなり、「宮殿だった屋敷」という位置づけになっていました。そういう経緯を踏まえると、なんとなく宮殿についての感想として述べたものが、納得できます。
雑談:フットマン
唯一、道案内で立っていたフットマンっぽい格好をした人を見たとき、「あぁ」と思いました。背が高く、立派な人でした。
関係ないですが、従僕・フットマンの採用基準は身長、ところがこれは今もイギリスのホテルで当てはまると思うのです。街を歩いていると、多くの高級ホテルの前を通りますが、ホテルの前にはホテルを代表するかのように、ドアマン(という方が正しいでしょうね)が立っています。彼らは19世紀を想起させる制服に身を包み、ゲストの為に控えています。
偶然の出会い再び〜ジョン・エヴァレット・ミレイ
そこは、ミレイが生前過ごした家だったのです!
ミレイの絵を見に行ってたまたま銅像を見つけ、聖ポール大聖堂でも墓を探し当て、そして今日、偶然選んだ帰り道、見過ごしても不思議は無いのに、ミレイが生前住んでいた家の前を通ったのです。
まさに、ミレイに出会う旅でした。
予定5:チェルシー・カーライルの家
森薫先生も訪問
森薫先生が初めてロンドンを訪問した2004年。その時の旅行記で出ていて、一度は行ってみたかったのは、このカーライルの家です。
カーライルの家の外観のイラストは、以前に誤って二冊買ってしまった『Victorian Home』の中に掲載されており、そのイラストのコメントには、「カーライル家のメイドは地下で寝ていたが、彼女の為に屋根裏部屋を作った」というようなものがありました。
また、カーライル家はその一方で、メイドにはなかなか恵まれず、何度も入れ替わっている、悪戦苦闘している様子も資料として残されています。
その様子を見たかったのです。
再び住宅街
バスで行けばいいものを、と旅行記を見ている方は思うかもしれませんが、もう意地です。絶対に歩きます、という覚悟で、ホテルを出てから一路、南のチェルシーを目指します。チェルシーの辺りは地下鉄が無く、ちょっとロンドン中心地から外れた場所です。
ロンドンに到着した日に迷いかけた道を歩き、地図を頼りに二十分ぐらい進んでいくと、National Trustの看板を見つけます。その道を右に曲がると、本当に、普通の住宅街へ入り込んでいきます。
道を真っ直ぐ進み、T字路で左に曲がってしばらく行くと、それとわからないような、街並みに馴染んだ様子で、チェルシーの哲人、カーライルの家がありました。
普通っぽい、むしろ地味な家
当時の一般的な中流階級の家庭?
ということで、カーライルの家に入りましたが、かなり狭かったです。とはいえ、予感はありました。建物に入る前に、例の如く「階段の下」の様子を気にしたのですが、そこが今までと違って地下の溝が、「きちんとした階段」ではなく鉄のはしご、人がひとり通れるぐらいの幅しかないのです。
特に地図はありませんが、だいたいひとつの階に2〜3部屋ぐらい、1部屋が6〜8畳ぐらいでしょうか、ちょっと日本のマンション的な広さです。それが、四階ぐらいまであります。
メイドの為に設けたという屋根裏部屋には残念ながら入れませんでしたが、最上階は書斎になっています。この部屋は、街の騒音から逃れる為、カーライルが仕事部屋にした、という解説を読んだ気がします。
狭さ=メイドもそんなに必要ない
天井もそれほど高くは無く、やや手狭な感じでした。これまでカントリーハウス、広い屋敷ばかりを見てきた久我にとっては、初めてとなる感覚です。
ここで人が暮らしているとなると、確かに大勢のメイドは雇えないでしょうし、必要ないんですね。メイドの雇用人数指針として『ミセス・ビートンの家政読本』が有名ですが、『COUNTRY HOUSE LIFE』の筆者は、この本を鵜呑みにする必要は無い、と解説しました。
収入ではなく、生活スタイルで使用人の数は決まると。
その言葉はカントリーハウスだけだと思っていましたが、実際は中流階級の家庭でも当てはまりました。「家の広さ」が、この境界線になりそうです。必要性があっても、家に収容しきれないのではないか、と。
メイドを寝かせる場所が無い家、キッチンでメイドを寝かせた家もあると聞いていましたが、実際にカーライルの家に来ると、当時そうせざるを得なかった家々の事情が、明白になります。
こう考えると、アニメ版『エマ』の最初の雇い主・元ガヴァネスであるケリーの家は、メイド一人、或いは経済力の面でも広すぎる、のかもしれません。とはいえ、現代人が親の遺産で「自分の経済力では買えない家に住む」ように、当時も同じことがあったのでしょう。
メインディッシュは最後に〜『階段の下』
久我はおいしいものは最後に取っておく方なので、この後、いよいよ地下にもぐり、キッチンへと向かいました。ここも当然のように手狭なのですが、いざキッチンに入ると、衝撃を受けました。
いきなり、部屋に入って左側にベッドがあるのです。ここは蒸気が篭るキッチンでは……広いことは広いですが、中央にテーブルがあって、壁にはオーブンやいろいろと食器棚もありますが……ここで働くメイドは、かなり気分が滅入るでしょう。
KenwoodHouseで見たキッチンは広すぎましたが、ここは本当に狭かったです。外を見る窓は大きめではありますが、格子がはまっています。地下なので、見上げる地上はほんのわずか。精神的に、やられそうな雰囲気です。カーライルの家のメイドが、次から次へと転職していった背景には、この職場環境の悪さもあるのではないでしょうか?
これでもきっと、ましな部類なのでしょうが。
午後は遠征
これで、午前中のミッションは終了です。なぜここまでロンドン観光に時間を費やし、あえて最初に次の目的地、カントリーハウス『Osterley Park』へ朝から行かなかったかといえば、単純に開館時間が13時だから、です。
長いので、いったん、切ります。