ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

映画『ミス・ポター』の見所ガイド





イギリスのAMAZONからのメールで、ふと思い立って買ったDVD『ミス・ポター』(『MISS POTTER』)。ストーリーについては言及せずに、それ以外の見所などをご紹介しようかと。(公式サイトに比べれば、ストーリーの情報は無い、と言えます)



『ミス・ポター』予告編(公式では試写会の募集も出ていました)



最初、「こういう構図の映画、どこかで見たような」と思いました。想起したのはジョニー・デップの『ネバーランド』。『ピーターパン』の原作者であるジェームズ・バリを主役にしたあの映画は「子供向けの作品を残した作家が主役」で、今回の『ミス・ポター』も、同じ流れです。



流れは同じでも、性別・立場が違えば、描かれる風景も違います。しかし共通するのは、ロンドンの街並み、田園地方の美しさ、綺麗な衣装にディナー、そしてメイド。



だけではなく、もちろん、人物描写、です。いえ、人物だけではなく、彼女が描いたピーター・ラビットをはじめ、様々な動物たちが、活躍するのもこの映画の特徴で、原作者の生み出した作品に対して、淑女の手を扱うような敬意を感じます。



魅力的な「これらが重なり合って、『ネバーランド』を思い起こさせる丁寧な作品に仕上がっていました。



上映時間はDVDのパッケージによれば88分、若干、短いかなぁと思えるものですが、個人的には満足でした。



ちなみに、恋人「ノーマン・ウォーン」を演じたのは、ユアン・マクレガーですが、その妹役アメリア(ミリィ)を演じた女優の顔、目元の辺りに見覚えがありました。女優の名はエミリー・ワトソン(Emily Watson)、「そうだ!」と思い出したのが、映画『ゴスフォード・パーク』で存在感を発揮したハウスメイド「エルシー」。



目元のあたりが、特徴的ですね。


ロンドンと湖水地方

ビアトリクス・ポターは32歳の独身女性、いわゆる「結婚し損ねた」オールド・ミスです。社交界に名を連ねる上流階級の彼女はロンドンに住んでいます。wikipediaによれば、1902年に彼女の絵本を出版してくれる出版社に出会う、とのことで、この映画は1902年、エドワード朝が舞台です。(注:wikipediaには物語のあらすじと言えるものがあるので、ご注意下さい。また史実との相違を検証している箇所もあります)



劇中で彼女は32歳と言いますが、wikipediaが正しければ出版できるのは36歳。また映画から伝わるビアトリクスの雰囲気も微妙に違っているので、ここは監督や脚本家がうまくアレンジしたようです。



ビアトリクスが過ごすロンドンの街並みは明るく、彼女の生家であるタウンハウスには使用人も大勢います。時々、回想として織り交ざる子供時代の情景では、ロンドンのタウンハウスに住みながらも、湖水地方にも出かける、という生活(ロンドンは初夏にかけて社交シーズンを迎えて、夏を過ぎてから裕福な人々は地方の屋敷で過ごす)を送っています。



登場するイギリスの田園風景は、ただ見事です。映画の音楽と一緒に流れるのは、丘の上の草原を流れる風の音。



本当に丁寧に作っています。


使用人

ビアトリクスの話は、過去と現代を行ったりきたりします。子供の頃はナースメイドが付きっ切りで、大人になっても常時彼女のそばにいるのは、ミス・ウィギン、いわゆる「シャペロン」です。(未婚の女性の監視役)



ビアトリクスが外を出歩く時は必ず付き添い、外でお茶をするときも近くのテーブルに腰掛け、ゲストを招いたディナーパーティでも影のように付き従います。



『荊の城』でも、メイド役のスーザンはそういう役回りで、お嬢様のモードの傍にいました。こういう監視の目を如何に乗り越えて、紳士はお嬢様と親密になっていくのか、知恵を絞ったことでしょう。



こういう視点でメイド(ミス・ウィギンは厳密に言えばメイドではないと思いますが)を見るのも面白いので、実在のメイドの言葉を、ご紹介しましょう。



ちょっと長い引用ですが、後半に「監視役」としてのメイドの言葉が出て来ます。




 使用人は家族ではありません。しかし、幼い頃、子供にとって使用人は頼るべき保護者、或いは、非常に親しい友人でした。階級の相違や区別、振る舞いの変容は後天的なもので、幼い頃から使用人を差別する子供は、それほど多くありません。
 とはいえ、必ずしも親密な関係を築けるとも限りません。ここで紹介するのは、お嬢様(姉)との距離を語るメイド、ローズ・ハリソンです。親しくしていたもうひとりのお嬢様(妹)についても、語っています。



『十八歳のパトリシアお嬢様と私との関係を語るのは、簡単ではありません。私たちは友達ではなくて、もし話しかれたとしても、彼女はそれを拒むでしょう。私たちは「知人」でさえ、ありませんでした。信頼を交わしたことも、議論をしたことも、私たちが親しくなるようなことは何もありません。(中略)私はそんなふうにお嬢様と話す時間や、愛情を期待していませんでした。それが、普通だったのです』



『パトリシア様と違って、妹のアン様と私は親しい関係でした。でもそれは、お嬢様がスイスの学校から戻ってきたときに、終わっていました。戻ってきたお嬢様の私への態度は、姉と同じでした。私たちはもう一度出会ったのに、まるで他人のようでした……』『使用人であり続けること』P.150



 余談ですが、この記録に興味を持ち、実際にローズの手記を入手し、ふたりの関係を調べました。まず、ローズはパトリシアとアンのいるタフトン家に、十八歳の頃から働き、四年間、勤めます。
 身体が弱いパトリシアはテニスも乗馬も出来ず、ピアノをしていました。ロンドンではピアノのレッスンに通ったり、買い物をしたり、公園を散歩したりと、日常を過ごしていました。

 そのパトリシアの傍に、ずっとローズは仕えていました。



『私はパトリシアお嬢様の行くところならば、どこにでも付き従いました。まるで子羊のように。でも、私は子羊ではありませんでした。監視している、犬なのです。(中略)

 もしも奥様から、パトリシア様についてが何をしたのか、どう過ごしていたのか聞かれたならば、私はすべて正直に答えなければなりませんでした。そうしないと、私は紹介状無しで、解雇されてしまうのですから』『ローズ:使用人としての私の人生』P.19〜20



 使用人は時に信頼できる「友人」であっても、時に「自由を制限する監視人」にもなりました。パトリシアの距離感の理由を、これだけに帰することは出来ませんが、こうした要素も、忘れてはなりません。



以上、『ヴィクトリア朝の暮らし7巻 忠実な使用人』「主人と使用人の絆より」引用
他にも、使用人はいろいろとでてきます。冒頭ではフットマンが、幼少の頃にはナースメイド、そして現在進行形の世界ではハウスメイドが。


何よりも「絵を描くこと」「印刷されて本になること」

ビアトリクス・ポターという才能ある女性が真価を認められ、世に出て行き、力を発揮していく・自信を持っていく」中で出てきたシーンで最も気に入っているのが、「絵を描くシーン」と「絵本をカラーで刷る」風景です。



2005年訪問したテート・ブリテンで、たまたま画家ターナーのコレクションを見ました。その中に、「彼が当時使っていた絵の具・筆」などのセットが、置いてありました(旅行用の?)。



当時の人はどんな絵の具を使っていたのか、その材質などにも興味がありましたが、同じ展示室、自分を取り囲む数多くの彼の絵が、この小さな道具・絵の具から描かれたかと思うと、それが百年以上のときを超えて残り、人々の目に触れていることに、心が震えました。



この映画も、そういう細部をしっかりと描いています。



ビアトリクスが絵筆を走らせてイラストに文字通り命を与えていくところは象徴的なのですが、何よりも、今から百年前の印刷、それも「カラー印刷」で本が刷り上げられていくシーンは、必見です。



今の世の中、同人でもカラー印刷で本を作るのは簡単になりましたが、「あの時代の出版、こんな大変な雰囲気だったんだ」なぁと、伝わってきます。



本が刷られて、加工されて、店頭に並ぶ。



今の時代では当たり前過ぎるその光景が、輝いています。作家がいて、それを多くの人に読んで欲しいと願う編集者がいて、その実現に奔走する印刷所の人がいて、本が生まれています。



製本され、紙で包まれるシーンも、店頭に並んだ本を見るシーンも、こういう描写を見られただけで、久我としては満足です。



ビアトリクスが残した作品は時間だけではなく、国境をも越えて、日本にも届いています。物を作って、表現して、伝えていくことの素晴らしさを感じさせてくれました。



久しぶりに、落ち着いた感じのイギリス映画を見ました。



この映画のメイキングの本も出ているようなので、中古で買うことにしました。1400円ぐらいです。



The Making of Miss Potter: The Movie (Peter Rabbit)

The Making of Miss Potter: The Movie (Peter Rabbit)





日本の映画化に際しては英国旅行もある『ミス・ポター』字幕コンクール(2007/09まで)も開催しているようなので、イギリス好きな方は是非、ご応募してみてください。



部分的に、予告編も見られます。


最後に:撮影地のひとつは「オスタリーハウス」だった

公式サイトの「あらすじ」の下の方に、オスタリーハウスで撮影したとありました。偶然にも久我はオスタリーハウスに訪問しています(2005年)。



どこの場面で使ったか、確証はないのですが、美術館のような場所があって、内装が非常にロバート・アダムっぽかったので(若草色の壁、白い暖炉の文様:公式サイト「あらすじ」のページの下から2番目の写真の場所)、「コートルード美術館かな?」と思いましたが、多分、あそこがオスタリーハウス(THE GALLERY)です。



AMAZONのメールを見て『MISS POTTER』に興味を持たなければそれまででしたが、過去に訪問したことがある数少ない場所も関わっているとは、不思議な縁がある映画です。