ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

吸収の季節終了・アウトプットしないと

この2ヶ月ぐらい、猛烈な勢いで「新規」の作品に接していました。普段の自分ならば選ばないような作品、今まで特に理由もなく接していなかった作品に接してみようというところです。



■PCゲーム

Fate/stay night

Fate/hollow ataraxia

うみねこのなく頃に

月姫



■小説

Fate/zero

空の境界



■アニメ

涼宮ハルヒの憂鬱

らき☆すた



■映画

スパイダーマン3』

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』



■コミックス

皇国の守護者



■旅行

フランス



で、今は『月姫/歌月十夜』の途中ですが、急に遊ぶ意欲がなくなりました。作品云々ではなく、いてもたってもいられないのです。



先を知りたいと言う気持ちよりも、「早く自分で物を作りたい」と思う気持ちが、どんどんと膨らみます。最近、資料本、そして小説も書いていませんでしたが、多様な表現にふれていると、自分がこれまで作りかけてきたものをきちんと仕上げたい気持ちが強くなります。



特にノベルゲーム的な物に接していると、自分が同人誌として作ってきたものの一部は、こちらの表現手法の方が適しているのではないか、とも思えます。



ゲームとしての面白さと呼ばれるもの、謎解きやミステリ的なものには自分自身がまったく向いていないと思いますが、例えば同人誌8巻で構築したような「屋敷で働く使用人」の群像劇的なものの続きは、「ノベルゲーム」的なアプローチの方がよいのでは、と思いました。



主人公を屋敷の主人にするか、ハウスキーパーにするかは課題がありますが、それぞれに日常のシーンを描くよりも、何かしらの選択肢で彫りつくすように描写できたら、今まで「同人誌・印刷」の制限で出来なかった・思いつかなかったことが、出来るのではないかと妄想が広がります。



音楽とか背景画とかイラストとかどうするのかという点は何にも考えていませんし、エロでもミステリでもないというところも深く考えていませんが、テキストを「主体的に読ませる」手法として、また「ひとつの世界を、光の当て方を変えて何度でも楽しむ」手法として、ノベルゲームを見直しました。



正直なところ、同人誌を通じてやりたい体験は、一般的なレベルではほとんど味わえたと思います。読者の方に出会い、同じ創作をされる方とも世界を共有し、一緒にモノを作る、というところまでは、コミケコミティアなどの即売会への参加で満足していますし、同人会場で味わえる楽しみや参加する喜びは、自分の人生を豊かにしてくれました。



しかし、それが「当たり前」になってきて、惰性になっていないか? 思い当たるところはいろいろとあります。



段々と社会人としての仕事も忙しくなる中、取捨選択しつつも、「挑戦」「楽しむ」ことを、また選びたくなりました。今年と来年の目標は「総集編完結」ですが、それと並行して、ノベルゲーム的なものを作ってみようと決めました。



あと、英語で創作したいなぁと言うのもあるので、英語力の飛躍的な向上、でしょうか。とりあえず、会社を辞めることは今時点ではないのですが、英語力に関しては再来年ぐらいをめどに旅立っても見たいので、地道に始めます。



現実的な目標を立てて……