ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

DVD『Lark Rise to Candleford: Series 2』視聴開始





間違って2セット買ってしまったこちらのDVDですが、ようやく視聴を開始しました。第一話はさておき、第二話はPost Officeで働くメイドが主役のようです。前シリーズのおばあちゃんメイド(代々仕える・口うるさい・態度がでかい)から代替わりしたメイドのMinnieは若く、軽率です。



仕事が出来ない(最低限のことをしない)メイドを見るのは、いらいらするなぁと、このMinnieを見て思いました。とにかく仕事以外のことに興味を持ち、自分の役目を果たさないのです。



とはいえ、そこはドラマです。面白いのが、主人公のLauraとの対比です。LauraはLark Rise村の石工の娘で、彼女のような少女はだいたいがメイドとして勤めに出ます。しかし、そのLauraは運良くメイドではなく、Post Officeの職員として働いています。



それは単なる「仕事の違い・役割の差異」なのですが、MinnieとLauraの立場の差は、対照的に描かれています。



そして、当時のメイドの立場の弱さも、感じます。仕事が気に入らなければ解雇すればいいのですが、解雇した結果の運命について、悩んだ主人もいたかもしれません。気立てはいい、でも仕事をしない、ならば役に立たないのと同じだから、新しい人を雇わなければならない。



働かないでお金を得られた上流階級と異なり、自分でお金を稼ぐ中流階級の人々にとって、メイドを見る目は違ってくるのでしょう。自分たちが必死に稼いだお金を費やしてまで雇ったメイドです。例えば年収400ポンドの人が年収20ポンドのメイドを雇えば、賃金だけの計算で言えば、自分の労働の5%はメイドの労働の代価と等しくなります。「元を取りたい」「損をしたくない」と思ったり、厳しく当たってしまうこともあったのではないでしょうか?



でも、役に立たないと解雇されたメイドはどこへ?



そうかといって、徹底的に鍛えたとしても、仕事が出来るようになれば、他の給与のいい場所へ転職していってしまうでしょう。メイドの転職に悩みつつ、彼女たちの仕事振りにも悩んでいた当時の人々の姿が、Minnieを見ると可視化されます。



それまで普通に育っていった少女たちが、どのように使用人という「制服」の中に心を押し込めて順応するのか、或いは仕事へのプロフェッショナリズムに目覚めてやりがいを見出すのかは、興味深いところですが、賃金に見合う仕事の結果を本当に主人たちが享受できていたのかも知りたいところです。



ところで、使用人の教育に関しては、最近読んでいた執事の手記に、すさまじい言葉があります。彼は第一次大戦後でしょうか、使用人を育てる学校についての新聞記事を読み、その試みが無駄に終わると皮肉っています。




最初にすべきことは、彼女たちの「意思」を打ち砕くこと。なぜなら使用人に自分の意思なんて無いのだから。
それが出来ない学校は、失敗する、というのです。



Minnieがどのように変わっていくのかは、ドラマを見続けることで確かめます。