ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

読書の梅雨

最近は久々に読書シーズンです。司馬遼太郎さん三昧です。年齢によって視点が変わるので、読んでみると面白さが違います。今は『空海の風景』『菜の花の沖』『胡蝶の夢』を読破し、『坂の上の雲』と読み進めています。



空海の風景』は小説というよりも、司馬さんが「空海とはどういう人か」を思索した、そのプロセスが公開されているものに思えます。自分は今、英国メイドや執事の資料本を作っていますが、その過程に似ているのです。



参考文献や本人の言葉や周囲の反応から、その人を浮かび上がらせていく。昔は気づきませんでしたが、文中にあまりにも『〜といったに違いない』という「推測」が多すぎるのです。登場人物の心理を想像しつつも、言い切らないところに誠実さを感じつつも、空海という偉大な存在を描くには、言い切れないだけの大きさがあったのかもしれません。



一方、『胡蝶の夢』は蘭学と医学の視点から幕末を描いた異色作です。あの当時の司馬さんの作品を誰か系統図にしてくれないかと思うぐらい、登場人物の照らし方が面白いですね。この本を読むと、語学を勉強したくなりますし、語学が輝いていた時代なのかなぁと思います。そういえば、『菜の花の沖』もプレ幕末、ですね。



空海の風景』も『胡蝶の夢』も時代は異なれども、海外の知識を日本に取り込み、普及させていく物語ですね。『菜の花の沖』は江戸時代の商品経済と、19世紀のロシア・イギリスなどの視点も描いたものでありつつ、お金を稼いで会社が大きくなって、人が潤っていく構図、人の「仕事」を作って「市場」を繋いでいく生き方は鮮やかです。



登場した人たちの情熱、周囲との関係、組織を作っていくこと、お金の工面、後世への影響、文化を超えたコミュニケーション、そして言葉や道具としての語学など、「ストーリーや人物の生き方」だけで見ていた昔と異なって、もう少し遠くから見た視点で見られるようになりました。



坂の上の雲』では秋山好古馬術を習いにフランス行きますね。ちょうど今、イギリスの馬車・馬術関係の本を読んでいるので(コーチマンとグルーム)、なんでフランスなのか、というのも繋がりが見えてきました。



馬術自体は単純に言うと中世ルネッサンス期に古代ギリシャの技術書を参考にイタリアで発展し、フランスがその後は引き継いでいき、秋山好古がきたと。分厚い馬術の本を見たら、「イギリス貴族はグルームから馬術を学ぶ」とだけ短く記されており、歴史的に特筆すべきことがないことに愕然としましたが。



実際の所はフランスへ留学した時に学んだり、ロンドンに乗馬学校があったり、学ぶ場所はあったようです。とある公爵家では坊ちゃんたちを丘の上へ連れて行き、馬に乗せて、「さぁ、行け」と馬を疾走させる鬼軍曹のようなグルームがいたり、珍しい所では騎兵隊に入隊した人は馬に乗る前に「鉄の馬」で訓練させられたり、という描写を見たことぐらいでしょうか。



話はそれていますが、『坂の上の雲』に戻ると、秋山真之広瀬武夫が軍艦を見に訪問したイギリスもちょうどヴィクトリア朝末期〜エドワード朝ぐらいの時代なんですよね。産業の観点からも、彼らの滞在記は面白いです。



そして『坂の上の雲』といえば日露戦争ですが、『菜の花の沖』に登場するのは帝政ロシアの発展・飛躍の時期でもありますし、主題が「ゴローニン事件」なので、『菜の花の沖』を読んでおくと、ロシアへの理解も深まります。ロシア最期の皇帝はジョージ5世と血縁だったりもしますしね、と力技にて、司馬遼太郎さん・イギリスを結び付けました。



他には大学時代に友人から教わった佐藤賢一さんの『二人のガスコン』を読書中です。そういえばデュマの『ダルタニャン物語』を読んだ気がするものの、長かったり、ポルトスが大変だったり、ロシュフォール伯爵の最期がなんともいえなかったりした記憶があります。長すぎるものでは『失われたときを求めて』もそうですね。


フランス、困ります。



雑談繋がりで面白いのが、佐藤賢一さんの本を教えてくれた友人が薦めてくれた作家がドストエフスキー(ロシア)、夏目漱石(明治日本・イギリス留学)なんです。好きなもののつながりは幾らでも見つけられるというところでしょうか。