ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

同人誌1トンの印刷コストと向き合うリスクマネジメント

注意事項

このエントリは以下のエントリの続きとなります。事前に読まれているのを前提に書いておりますので、ご留意下さい。



同人誌1トンを刷った経緯と部数決定のプロセス


はじめに

これで「コミケカタログよりも分厚い1kgの同人誌」1,000部を刷った「1トンシリーズ」(?)のノウハウは最後です。正確には「リスクマネジメント」ではなく、「ダメージコントロール」かもしれません。



前回のノウハウ(訪問数の考え方と、スペースに来る人たちの動きや、売れる理由の把握)は常日頃の参加で自覚的に身についたもので、総集編発行の際の重要な材料となりましたが、普段の同人活動で「常に」考えると疲れるかもしれません。何か問題があった時(部数が出ない)、リスクを把握したい時(何部刷るのか)に、参考とするノウハウにしていただければと思います。



久我はコミティアで「暇」だったので、数字を記録しました。時間的に間ができにくいコミケでは数のチェックはしませんし、コミティアでもだいぶ問題が見えてからは、記録を止めています。チェックした方が「変化」が見えますし、男女比を追加すると、より具体的なデータになりますが、これは別の話になると思います。(たとえばアキバBlog様で取り上げられた直後、1:1だった訪問男女比が2:1になる:アキバBlog様が男性向けのメディアなのだろう、という推測など) これは「楽しみ方についてのノウハウ」で、後日書きます。



総集編『英国メイドの世界』を通じた最後の同人ノウハウは、「勝負する所で勝負するためのリスク管理」がテーマです。どうしても書きたくて、どうしようもなく作りたい本に「出会ってしまった」同人作家にとって、「作るしかない」事態に直面するかもしれません。自分には、それがこの本でした。



そんな同人において直面する、「活動の転換期に訪れるかもしれないリスク」の自分なりの解消方法を伝え、活動を続ける人の考えるヒントになれば幸いです。同人に盛り上がって欲しいですし、いろんな形の「同人」があることを伝えるためでもあります。



前回より長い……「はてぶ」でコメントいただきましたが、同人誌にした方がよさそうですね(笑)


目次

[1]同人におけるリスクマネジメント
[2]印刷に際して自分に課した前提条件
[3]意思決定:許容できるリスクの上限=1,000冊
[4]結果
[5]回避したはずの再版リスクに直面した原因
[終わりに]リスクを見極めて活動を楽しむバランス

[1]同人におけるリスクマネジメント

三重苦とその打開策

一般的な同人活動(同人誌を印刷し、頒布する活動)で、現実に影響を与える一番大きなリスクは、過剰在庫です。



「1:在庫確保スペースの問題(場所)」

「2:回収できない印刷代の悩み(お金)」

「3:1と2の重圧と、売れないことで自分を否定されたと感じる(心理)」



まさに、三重苦です。



この問題への打開策として、「1:在庫」は「印刷所を活用すること」で解決し、「2:印刷代」と「3:売れない」はマーケットを把握することで適正な印刷部数の確保と、購読率を上げる努力をすることで認識を変え、引き受けるリスクを軽減できることを示したつもりです。ところが、「2:印刷代」についてしっかりと伝えきれていないと思い、このエントリの締めくくりとして書くことにしました。


印刷代の問題

一連のエントリをネットで書くことで、同人誌発行をされたことがない方が多く読まれていますので、補足します。「なんで完売するのに、再版しないの?」との問いはありますが、今回は自分の体験談・「自分がこの『英国メイドの世界』を再版しない理由」をお話します。これは、既存の読者の方で総集編を最終的に入手できなかった方たちへ、サークル主からの「増刷しないことへの言い訳」でもあります。



印刷代は一定ラインを超えると「趣味」といえなくなります。



結論から言えば、総集編1,000部のコストは100万円を優に超えました。



総集編を作ることだけは決めていたので、一生懸命原稿を書きました。当初の想定では400ページぐらいだったものが、次第に増えていき、気づいたら572ページになっていました。原稿完成時に印刷代を試算したら、血の気が引きました。



それでも、作るのか、と。



これは、「趣味」なのか、と。



1万部を頒布する同人作家ならばまだしも、1,000部を完売したこともありません。資料本という地味なジャンルを軸に趣味で同人をやっている自分にとって、衝撃でした。多分、コミケにこのジャンルで参加したサークル史上、歴代上位となる印刷代のはずです。


成功確率を高めるリスク管理

今回の総集編印刷は、趣味として続けてきた自分の同人活動の「限界点」でした。直面した大きな課題は「分厚い同人誌の在庫を自分でなんとかできるのか」と、何よりも「印刷代を支払う覚悟を決め、この本を作るのか」、でした。



在庫問題は「印刷所の倉庫を使う」ことで自分の日常生活に影響を与えない解決策を知っており、大きな問題にはなりませんでした。もうひとつの印刷代は頭を悩ませ、胃の痛い問題でした。



好きで続ける同人活動と常に自分に言い聞かせてきましたが、好きで続けるには常識的な金額を遥かに上回ってしまったリスク(印刷代)。それと向き合うには、前回のエントリのような思考は絶対に必要でした。同人活動で費やすお金は同人活動で完結させるよう努力する、それが今までの自分のルールでした。今回失敗したら数十万円の不良在庫を抱えるわけで、さすがにその結果を招けば、趣味ではなく苦行になります。



リスクを減らして成功確率を高めるには何ができるか? 本を出版するという結果を出すためにどのような考えをしたのか、それが今回の最後のエントリです。その意味ではこれこそが正しい意味での「部数決定のプロセス」です。


なぜこの本を作りたかったのか?

だいたい仕事において、無茶苦茶なプロジェクトは仕事のクライアントによって引き起こされるものです。低予算、無茶なスケジュール、そして度重なる仕様変更。今回、そのクライアントは、自分です。解決するのも自分です。



墓穴です。



しかし、無謀に思えても、なぜ作りたかったのか?



久我にとって総集編は、先に進むために叶えたい悲願でした。



過去に頒布したテーマを今書き直せば、絶対に当時よりもクオリティの高いものができる自信がありましたが、それには膨大な時間が必要でした。総集編の企画は印刷する2年前、2006年には考えていました。ところが新刊も並行して作っていたり、書き直しの分量の膨大さに悩んで、先送りしていました。とはいえ、総集編の前身となる1〜4巻+外伝1巻がイベントにないことから、訪問される初めての方に「総集編出ますか?」と度々聞かれます。その都度、「作るつもりでいます」というのを、多分、1年ぐらいやっていたでしょうか。



そんな自分に踏ん切りをつけ、2008年から本格稼動し、4月末〜5月は同人イベント3つにサークル参加し、初めて「総集編は夏に出ます!」と言い切りました。自分の言葉を守るためにも、期待に応えるにも、そして何よりも自分が過去に作った資料よりも良い資料を作るためにも、総集編の完成は絶対に必要なことでした。



良い本を作りたい、読んで欲しい、今の自分を伝えたい。



それだけです。



この時点での判断が正しいかはさておき、この前提で話を進めました。お金のことは一切考えておらず、「作ることは絶対に必要」との想いだけで、動きました。そして、原稿を作り終わった後、現実の壁にぶつかりました。


[2]印刷に際して自分に課した前提条件

そもそも、なぜ、1,000部なのかはこれから説明します。



1,000部の数字は自分を納得させる「確認」のための数字で、「絶対に1,000部は売れるマーケットがあるから1,000部にした」数字ではありません。自分の想定の上では1,000部いけると判断しましたが、仮にそうでなかった場合(その部数に満たなかった場合)、どれだけのリスクになるのかも考えなければなりません。



「1,000部売れるかもしれないし、売れなかったとしても一定部数売れれば印刷代は回収できる設定にしておく」というのがリスク管理です。潜在的なニーズと、許容できるリスクの妥協点が、結果として1,000部でした。


値段設定を始めに行った

同人誌の作り方や値段決定は人によって方法が異なりますが、今回、総集編を作る前から「値段は2,000円は超えない」という条件を課していました。総集編は1冊にまとめることで単価を下げられること(表紙代が浮く)や、総集編で合わせたものよりは安くしたかったからです。



また、同人誌として一見の方に購入されることを考えると(そのために作っているので)、2,000円が限度だろうと考えました。市販されている研究書(『ヴィクトリアン・サーヴァント』)もベンチマークにしました。それが3000円近いので、同人誌である以上、さすがにその値段にはしたくありませんでした。



同人に詳しい方々には頒布後「安すぎる」とご指摘いただきましたが、同人誌として読んでもらうには、この価格でないと躊躇されると判断しました。(それでもイベント会場で「高い」という方もいましたが)


ページ数増加による巨大なコスト

原稿が完成する前、2,000円で想定したページ数は400ページでした。1〜4巻+外伝1巻を再編集するとそれぐらいだろう、との見込みでした。それまで1冊の最大ページ数が180ページだった自分には、倍以上の数字です。ところが、アマチュアは際限を知らず、妥協を知りません。必死になって原稿を書いた結果、572ページ、コミケカタログより分厚い同人誌になっていました。



印刷所の料金表で印刷代を幾つかシミュレーションしたところ、2,000円のままでは、400部で全部売れても相当赤い感じでした。数十万円費やして、全部売れて、赤です。これはさすがにないです。



価格を上げることも考えましたが、2,500〜3,000円では、正直手が出にくいですし、個人的にも自分の本がその値段にふさわしいかには、確証が持てません。少なくとも同人イベントに参加される方が決断するには高い価格です。久我にとって「本を作る」が第一ですが(なのでウェブやダウンロードコンテンツにしていない)、次に「読まれること」が第二になります。読まれる障壁となる価格には、ページ数が増えてもしたくありませんでした。



そうすると、部数を増やすしかありません。


そもそも趣味で使う金額か?

ここでもう一度、足元を見直しました。



完売してもとんとん、にしては費やす金額が高すぎ、数十万円を趣味で費やすのは限度を超えて、道楽です。それまでの印刷代と比較になりません。「これはない」と、思いました。同人活動が成功して印刷部数がとんとん拍子で伸び、徐々に印刷代が上がっていったサークルならばまだしも、部数そのものは大きく変わらないのに突出した「高コスト」の本が目の前に振って湧いたようなものです。



正直、ここで止める判断もできました。ただ、産み落としてしまったものは作りたい、本にしたい欲求が強すぎました。出すといってきましたし、自分でもそのつもりでした。10名の方にゲスト参加もしていただいていました。退路は絶たれています。出さない選択はありませんでした。



普通ならばしない判断も、趣味だからこそできる、そう覚悟を決めました。



そこで、どうしたら作れるのか? どうしたら自分が引き受けられるリスクになるのか、どこかに方策はないのか、自分が無理だと思っているだけで現実的には無理ではないのではないか、というのを真剣に考えました。


再版リスク

印刷するに際して、もうひとつ解決するべき条件がありました。



完売しないようにする設計です。



再版貧乏という言葉がありますが、小部数で刷って完売、小部数で再版→完売が続くと、実際に経験しましたが、かなり疲弊します。自転車操業です。本が頒布されること自体は嬉しいですが、自分が関わるコストやそれ以外の手間、そして次の新刊を作る運転資金にも影響が出ます。印刷代がまだ抑えられているうちはいいですが、さすがに数十万円の印刷代で「完売→再版」は悪夢でした。



この分厚さになると、原価が異常に高くもなります。100部刷ってとんとんと、400部刷ってとんとんでは、まったく意味合いが違います。なぜならば、400部は在庫リスクが100部の時と比較にならないからです。売れればいいですが、常に売れないことも考えなければならず、半分在庫が残っても相当な金額の不良債権になるのです。



これこそが、完売で喜ぶはずのサークルが直面する、もうひとつの自覚されにくい「リスク」です。この危険性については、後述します。



尚、在庫数は印刷所に預けるので問題になりませんでした。


[3]意思決定:許容できるリスクの上限=1,000冊

「値段は2,000円」、「再販は絶対にしたくない」状況でしたので、ではどこまでが自分の同人誌の上限で、リスクとして許容できるかを考えました。



最悪を想定して行動するので、常に「売れ残り」「在庫処分」は視野に入れています。数字をいろいろといじってみて、直感的には800部ぐらいではないかと感じました。しかし、それでも印刷代はとてつもないものでした。ただ、数字を外して半分しか売れなくても、これならば印刷代の回収可能性が高まります。



部数を増やすことはリスクを下げることであって、利益が出るのは運が良い結果でしかありません。本当に売れるかどうかなんて誰にもわからないですし、売れなかったとしても誰も責任を持ってくれませんから、「儲けを目指さない」としても「結果として利益が出る」ことは否定しません。



これまで自分がやってきた印刷代とは桁違いで、売れなかった場合のリスクがあまりにも巨大すぎましたので、自分を納得させ、その判断を誤らないようにするため、「同人誌1トンを刷った経緯と部数決定のプロセス」で書いたような数字を出して、自分に印刷をさせる根拠としました。



直感に頼らなかったといいましたが、直感に頼るにはリスクが大きすぎたのです。


過去実績から想定する最大部数を計算する

まず「刷りたい部数」があり、「その部数が現実的か」の判断をした、というのが正確なプロセスになります。市場規模を見込んで「売れるからこの部数にしよう!」という決定したわけではなく、「自分が印刷費をどこまでリスクとして許容できるか」「売れなかった場合も、どこまでダメージを受けられるか」を考えて、決定しました。



同人誌を刷る多くの人は「刷りすぎて在庫が余る」のを怖れます。その基準が本人の主観なのでコンサバ過ぎて完売することにも繋がります。しかし、いつまでも同じ本が売れるとも限りませんし、それは個人が許容できるリスクを計算した上なので、他者がとやかくいえる問題ではなりません。(その結果、自転車操業になったサークルの方に向けて解決策のひとつとして、「印刷所を活用した同人活動」を提案しました)



「印刷することそのものが、日常生活に巨大なダメージを与える」、そのことを前回のエントリでは伝えていませんでした。普通はこの印刷代を前に、「印刷」の決断は躊躇するものです。


印刷代を回収できる部数を下げて在庫リスクを下げる

3年で売れると数字上判断できても、本当に完売できなかった場合も考慮しました。原価の回収が行える頒布部数のラインを下げるためにも、数字を前回算出した方法で考慮しました。800部の場合と比較検討し、最終的に1,000部の決断をしました。



同人誌は100部増やすと1冊辺りの印刷コストが劇的に変化するので、1,000部刷ることで「仮に400部売れなくて捨てることになっても、原価は回収する」計算を行いました。1,000部刷って大量に在庫を余らせるリスクか、完売して自転車操業して結果として在庫が余る可能性が高いリスクか。リスク(趣味の限界を超えた印刷費)をどう回避するかに頭を悩ませたことになります。



自転車操業の恐怖は知っていたので、結論は決まっていました。前者のリスクならば引き受けられると判断し、印刷する決定をしました。成功確率というよりも、「引き受けられるリスクの計算」でした。



これまでの最大部数は、だいたい5年かけて頒布したもので、大手サークルと異なり、一度のイベントで売れるのは「1,000部」ではないのです。3年後に余っていても、その頃には印刷代は回収できている、という長期的な設計でした。(利益の額も結果として数十万円になりますが、短期間で完売すると思っていなかったので、昨年の納税額は想定外でした)



多分、ここが一番重要な「意思決定」だと思います。


[4]結果

この前提で過去の日記を見ていただくと、再版の辛さが分かっていただけると思います。



「何で完売したのに、喜んで再版しないのか?」



それは、部数予測が不能な未知の領域に足を踏み入れたからです。


個人の限界と、それを超えるための商業化への動き

1,000部が短期で完売したことは嬉しいことですが、「再版しないために刷った」はずが、「再版しなければならない」事態に直面したので困惑しました。基本的に久我のスタンスは、前述したように「多くの人に読んでもらう」なので、ここでも再版は前提ですが、精神的には趣味の範疇を超えるほどのリスクにもう一度、直面するのにためらいがあったのです。



個人で出版できる限界を超えた、と何度も言ってきたのは、あの経験を二度としたくないからでした。柳の下にドジョウは二匹いません。二度と再版できない(再版したくない)のと、同人マーケットでは1,000部が限界とも思っていたので、最初に1,000部刷った後は再版を考えず、すぐ商業化に向けて動き出しました。商業化が叶わなくても、在庫が3年は持つと思っていました。



しかし、在庫がわずか3ヶ月で無くなり、かなり求める声が見えたので、刷ることは必要となりました。


完売後にリスクが最大化

3年計画は大幅に狂いました。狂ったというよりも、失敗ばかり考えていたので、成功したその先は白紙でした。ミヒャエル・エンデの言葉だったと思いますが、『人は叶わないと思った夢が叶った時がいちばん危険』なのです。



幸いにも『英国メイドの世界』が短期間で売れて想定外の利益が出たこともあり、リスクとして引き受けられるラインが下がったので再版に踏み切りましたが、実はこれが今回の出版で遭遇した一番大きな「リスク」でした。



最大を1,000部と見積もっていたので、それ以上の部数を増刷して完売できるかまったく分かりません。ノウハウが通用しない、どれだけ出るかの見通しが無く、「賭け」以外の何物でもありません。全部売れて赤字だけは避けたかったものの、さらなる再版は避けたかったので希望予測部数と、引き受けられるダメージと印刷費回収可能性を考えた400部に決定しました。これでも、わずかしか売れなければ、数十万円の不良債権です。



増刷した理由は、もうひとつあります。シリーズで本を作った結果、「総集編がないと、シリーズとなる新刊を買わない人が出る」可能性が繰り返すのです。最初のシリーズは常に在庫として持たなければならない。これが一回限りの売り切りではなく、常に再版が必要なシリーズ本を作ってきた結果に招いたことでした。



しかし、読んで欲しい、反響があったから応えたい気持ちは強く、自分が引き受けられるリスクの範囲で再版しました。



増刷はマーケットを考えた「予想部数」ではなく、「失敗しても引き受けられる部数」で刷りました。


初期想定部数を超える増刷は「ギャンブル」

最終的に増刷した400部も完売しました。再版に対するニーズはありましたが、ニーズを自分で可視化できませんでした。元々箱に入る部数が少ない=宅急便コストが高いなど、それ以外のコストも大きくなっていったので、再版の決定をしませんでした。



最初に1,000部刷るよりも、増刷で400部刷る方が危険なのは「想定できるかどうか」の違いです。終わりが見えない底なし沼に見えるほど、再版は恐怖に近しいものでした。既刊は原価が低かったので再版を繰り返してもなんとかなりましたが、総集編は印刷代が高すぎる分、わずかな計算違いでもクリティカルなダメージになるのです。




勝率が見えない勝負で、いわば「桶狭間の戦い」的博打でした。踏み切ったのは場の勢いですが、生き残ったのは偶然です。信長は二度とこうした奇襲をしなかったといいますが、まったく同じ心境です。行動予測とリスク管理を大切にしていたので、リスク管理ができない行動はギャンブルになり、心理的負荷が高く、個人での再版はもう無理でした。商業出版の話もこの頃には形が見え始めていたので、リスクはそちらで背負ってもらおうと、二度目の再版は行いませんでした。



総集編に続く5〜7巻も完売して、現在は絶版状況にあります。そちらの総集編を望まれる声もありますが、少なくとも今時点では様子を見ています。総集編と似た分厚さになったとしても、「シリーズ最初の総集編ではない」ので許容できるリスクでの印刷部数設定が、できないのです。



いつか心境も変わるかもしれませんが、あの分厚さの本は、二度と個人では作りたくないのです。それが理由で決意できていませんが、自分への説得材料と伝え方を変えることで活路が見えそうなので、そこは検討中です。


[5]回避したはずの再版リスクに直面した原因

これは余談ですが、「なぜ想定しなかったことが起こったか」を振り返ったものです。



想定以上にマーケットが大きくなったのは、他でもなく、アキバBlog様、そしてそれを基にしたネットの波及効果、さらにティアズマガジンなど、自分の普段の活動と縁がなかった「プラス要因」があったためです。



追い風が吹くことをまったく考えておらず(ある意味、成功したその先を信じていなかった・見たくなかった)、失敗要因ばかりのケアをしていたのが自分らしいといえば自分らしいですが、特にネットの効果が分かりませんでした。


今までと異なるマーケット:同人ショップ委託の「泥沼」

これまで、久我は同人イベントを主体に相手にしていました。自分が参加した同人イベントの自分を取り巻く動きは、ある程度、分かります。しかし、ネットは分かりません。ネットで情報を得た方が委託先の『とらのあな』に殺到したので、普段イベントに来訪される方が今もって入手できていない結果となるのは、想像していませんでした。



ここが、計算外で見えないところでした。今までの経験が通じなかったのです。買われる方の表情も動作も来訪数も購読率も、何も見えません。『とらのあな』初期納品が150部(初期の総印刷数15%)でしたが、最終的には700部(最終的な総印刷数50%)まで膨れ上がりました。再版後もニーズは強く感じましたが、自分の経験が通じない場所なので、在庫リスクが分からず、繰り返しとなりますが、勝負を止めました。


委託の位置づけ変化に気づけずリスク増加

とらのあな』委託で、リスクを下げる方法もありました。これは自分のミスで、価格の値上げを失念していました。増刷した時点でニーズが見込めており、また初期の1,000部と、完売してもぎりぎりに近い400部の増刷を同じ価格設定にしたままだったのです。その結果、リスクは余計に高くなっていました。



元々、『とらのあな』は「同人イベントを知っているし、来たこともあるけれど、会場に来られない方」のために行っていました。今までの全体部数でも10〜15%の比率で、個人で通販をしないので、サポートととして位置づけでした。総集編は値段が高かったこともあったので、サークル主が得られる価格をイベント価格2,000円よりも低い1,750円に設定し、委託手数料が上乗せされても高すぎないように値段を下げました。(税抜きできりが良い2,500円に設定)



初期の150部だけがその値段ならばよかったのですが、想定以上のニーズで、卸せば卸すほど、自分の印刷資金回収が遠くなっていくことになりました。(推定250円×700部の金額を得られなかった計算) 当時はそこまで考えていませんでした。また、特に400部の増刷は印刷コストが上がっていたので、『とらのあな』で吸収してもらうほど、自分の懐が苦しくなりました。これを計算しなかったので、自分が被るリスクの幅が大きくなっていました。



再版のリスクを、同人誌の値段を上げることで、同人誌を欲する人に背負ってもらえたかもと今ならば思えますが、値上げしたら買われるかは分かりませんし、当時はそんなことを考える余裕もありませんでした。委託はあくまでも「サポート」だったので、深く考えていなかったのが、「避けられたかもしれない失敗」でした。



また、『とらのあな』にそこまで委託をするべきだったかどうかは、わかりません。とにかく「ニーズに応える」ことに追われました。ニーズがある、その要望に直面することが「怖い」と思ったのは、初めてです。頑張ればもう少し部数は伸ばせたと思いますが、それは繰り返しですがギャンブルであり、自分の活動の本筋ではないので、止めました。


委託はリスクヘッジになる

同人ショップへの委託は印刷部数を増加させるサークルにとっては保険のようなもので、その結果、イベントで頒布する価格を下げることができますし、原価も下げられます。同人サークルにとって一定数の委託が見込めるようになるのは、売れ残った場合のリスクを下げる大きな効果があるのです。再版を絶対に避けたいサークルにとって、同人ショップは無視できない存在です。



大手サークルになると「買い切り」という契約があり、印刷した部数を買ってもらうことができます。これは最も安全な保険になります。大手サークルになればなるほど売上げも大きくなりますが、万が一外れた場合のリスクは甚大なので、相当、胃が痛いのではないかと。(但し、印刷費自体に「商業」がお金を出して関与することは、コミケの頒布物のルールでは、禁じられています)



委託は「売れないと返本」されてきます。基本、先方が本を確認し「この部数で納品して欲しい」といってきた数で納品しますが、見積部数は売上げを保証しません。自分の本の性質を知らないと、委託部数を当てにして過剰な数字を発注しかねないことにもなります。その損失を、同人ショップは被ってくれません。自分の本を一番知っているのは、自分です。


[終わりに]リスクを見極めて活動を楽しむために

総集編を作ったことに、後悔はありません。作ろうと決めた時から、数多くの信じられない出会いにも恵まれた本でした。だから、これを作ること自体に、迷いはありませんでした。



克服することだけを考え、ゲストの方の原稿に励まされ、友人に相談して支えてもらいながら、そして出会ってきた人たちに「総集編です!」といえる瞬間を夢見て、その先に進めました。本当に、「総集編はそのうち作ります……」と凹みながらいってきた自分が、「総集編です!」と言えた瞬間の喜びは、筆舌にしがたいものでした。



二度は作りたくないですが、二度は作れないものを一度は作れたのは、大きな自信になりました。それまでの同人活動も、大きな力となりました。「何か、どうしても作りたいものに出会ったとき、それを作れるだけの力を持っているか」を、問われました。(自分から向かっていった、ある意味での墓穴でしたが)



苦しいことだけではありませんでした。作った結果、多くの方に出会えました。そしてそれがあってこそ、商業版に繋がる道筋も描けました。こうしてテキストをお読みいただけているのも、出会えたのも、あの本が名刺代わりになればこそです。



ものすごい、人生を変えるような良い体験になりました。


リスクに応じて考える

前回のエントリはどちらかというと「売れない嘆き」の解決策として、「原因の把握と対応」のプロセスを提案するものでした。しかし、売れていたり、そもそも母数が多い所では、あそこまで考える必要はありません。考えた上で結果が出る方が面白いですが、それは時間とリスクとの兼ね合いです。



同人は好き勝手できるのですが、リスクは常に転がっています。自分の取る行動のリスクが見えないと、活動が続けにくくなります。



自分のサークル活動で、今回が最も大きなリスクを取りました。「どうしても刷りたい気持ち」を満たすために、徹底的に考えました。印刷代がここまで高くなければ、シビアな計算はしません。今回自分が体験したことは、1冊のコストと重さが桁外れで、100冊過剰になれば100kgと、それまで経験したリスクとレベルが違ったのです。



たとえば「全部売れなくてもいい。在庫は余ってもいい」という気持ちで、そのリスクを許容できるならば、ここまでする必要はまったくありません。余ったものが重荷になるならば、考えた方が安全、という話です。久我が勝負したのはこの一度限り、この1冊だけでした。たまたま風が吹いたおかげで結果は良好でしたし、ここにいろいろと書けていますが、もしもうまくかなければ、とても書く気にもなれない大惨事になりました。



「在庫」「売上」の解決策を見出せたことでその先に進んだものの、そこに辿り着くまでは薄氷を踏む思いでした。本を書き上げることだけでも膨大なエネルギーを必要とし、虚脱するだけの大きな出来事でしたが、「同人誌に仕上げる」ことでも異常にエネルギーを使いました。実際、長い間、燃え尽きました。(100年前にメイドと結婚した英国紳士が書いた本と出会い、彼が久我の魂を甦らせてくれました)



『英国メイドの世界』は、「同人誌としての集大成」であり、「同人ノウハウの集大成」ですが、普通に趣味のレベルで活動をしてきたつもりが、いつのまにか未知の領域に足を踏み入れてしまったのは恐怖でしたし、作ってしまったのはアマチュアだからこその計算のなさです。同人活動をどのような位置づけで行うのか常に考えておかないと、判断を誤る可能性もあります。


仕事も同人も相互にリンク

そこで役立ったのが、社会人としてのノウハウです。



会社では、よほどの権限がない限り、人に説明しなければ何かを実現するのに必要な資源を与えてくれません。その説得や説明の時には、メリット・デメリットを伝え、相談することで、考えがまとまったり、他者から自分には見えないことを教えてもらうことも出来ます。



同人は個人ですべて行えます。人に伝えない、自分の立ち位置を認識しないままに、リスクを考えずに大金を投じる可能性があります。相談相手がいないこともありますし、各自のジャンルが細分化されすぎており、自分にとって正しいことが他人に通じるとも限りません。しかし、ここを「人に伝えるつもりで考えてみる」だけでも、大きくリスクは減ります。



普段、仕事で当たり前にこれ以上の決断をされている方も多いはずです。はてぶに「PDCA」と書かれた方がいましたが、正にその通りです。会社でPDCAを完結させるのは自分には難しいことですが、自分が主体の同人ではやりやすいです。それが、「同人」の魅力です。



どちらかで得た経験をもう片方で使えたら楽しいぐらいの気持ちでいますし、仕事で覚えたことや仕事で機会が無くて試せないことを同人で試し、同人で試したことを仕事に持ちかえるという繰り返しを意識していたのが、この結果に繋がった主要因にも思えます。「コンテンツを作る創作活動」ではなく、「本を出版する同人活動」の部分を、仕事的に取り組んだことが大きいです。注ぎ込んだ仕事のノウハウが同人によって実証され、仕事における自信にもなりました。



もちろん、個人だけでは作れません。印刷所にも事前にいろいろと相談し、柔軟な対応をしていただきました。これも仕事上の経験があればこそ、です。別の形で何か問題にぶつかった時に、この苦しい経験を乗り越えたことは、次に繋がります。同人活動は「趣味で完結し、仕事の役に立たない」ものではなく「仕事にも使える」ですし、逆に仕事で培った経験は「同人活動を支えてくれる」、そう思えるのです。



両者は共存し、補強しあえます。


続けることを大切に、楽しむ

この話は本来、読者の方にはまったく関係のない話ですし、水面下で努力したことは本来表立って見せることではありません。しかし、同人活動のノウハウとしてどこか役に立てばいいなと思って前回のエントリを書き、そこで補足仕切れなかったことを今回書きました。



飾らずに言えば、趣味でこれだけのお金を投じたのは、「馬鹿」です。「狂」かもしれません。しかし、「狂」にならなければできないこともあります。もちろん、決断が「狂」で、実現プロセスも「狂」では失敗します。この長いエントリは、いわば「馬鹿なことをしたけど意味があったし、多くの体験をできる価値がある出来事だった」と自分に言い聞かせる、長すぎる言い訳でもあります。



クールダウンのようなつもりで、当時を思い起こしています。前回のエントリほど役立つものではなく、苦労話になってしまいましたが、結局、何かの課題に資源を使ってどう実現してどこに落とし込んで、どんな効果を上げるかに、同人も仕事も境目はありません。



「創作活動」のノウハウに比べてあまりにも実務的ですが、「創作活動を続ける工夫」になるものだと考えています。どんなに優れたレーサーも、車がメンテされていなければレースに勝てません。レースに参加し続けるために、足場は必要です。営利目的は同人では否定されますが、営利目的の会社組織が行う運営方法で真似できる手法があるならば、真似していいと思うのです。繰り返しですが、目的は営利ではなく、「楽しむことを続ける」ためです。



自分が望む限りにおいて創作をしたいならば、創作をする環境作りまで含めてが同人活動で、無理しないで続く足場を「考えて作ること」が、結果として創作活動の安定に繋がりますし、「無理をしてでも作りたいものを作る」決断をさせてくれると信じています。



創作活動は楽しいです。苦しいこともありますが、楽しい出会いもいっぱいあります。自分が伝えたいことが伝えたい人に伝わるのは、もっと楽しいです。いつかこの活動を終える時がきますが、それまで続けられるよう、考えます。



何よりも、好きでいるには、努力が必要です。



同人は工夫次第で楽しく続けられますし、失敗もいっぱいできます。主体性を持って取り組めますし、試行錯誤がしやすい環境です。なので、もっと同人を楽しんで欲しい、楽しめる余地がある、しかし危険な場所もあるのでそこは避けていきたい、それを伝えることが、これら一連のエントリの終わりの言葉となります。



制作から1年経過しましたが、これを書いてようやく肩の荷が下りました。『英国メイドの世界』の制作にまつわるお話は、これでおしまいです。お付き合いいただき、ありがとうございました。



前回のはてぶやウェブで言及されたことについて、ノウハウとして残せそうなものは、後日あらためてエントリを書きます。さすがにそろそろ自分の創作活動をしないと、というぐらいに時間を費やしました。しかし、このエントリで自分の同人活動を可視化して再評価することはあらためて大切なことだと気づきました。これも、自分の「同人活動」ですね。



尚、これは「紙の同人誌」「同人イベント」にこだわって背負った苦労なので、ウェブでの発表やダウンロードコンテンツ等は一切考慮していません。昔ながらの手法で遭遇した問題ですので、新しい手法を取り入れている人たちには幾つかの問題は無縁ですし、そこでの苦労は新しい手法を取り入れた方たちがいつか話してくれると思います。


今後書こうと思うエントリ

・楽しむノウハウについてと、はてぶの補足(続ける・楽しむ)

同人活動における「儲け」と「利益」を区別する

・読者との出会い方で工夫してきたこと(母数を増やす試み)