ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『自分をいかして生きる』感想

半年しか一緒にいなかったものの、会社を辞めた同年齢の人から教わって、自分の社会人人生や創作活動において大切にしている一冊があります。



自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)





その続編というか、補完する新作が出ていたので早速買いました。



自分をいかして生きる

自分をいかして生きる





同人活動やそもそもの何かを作ること、そして仕事をする中で考えていること、そうしたことを考えていた時に出会ったこの本にはいろいろなヒントがあります。自己啓発という方向ではなく、いろんな人の働き方が紹介されていて、モノを作ってアウトプットするまでにどれだけ考え抜いているのか、そして自分のスタイルに昇華しているのか、というのを感じる一冊なのです。



新作は、「自分が働くことについて違和感がないように」、心をクリアにしていくというのか、自分の声をしっかり聞いて、少し立ち止まってみようというようなものでしょうか。難しいのですが、前作ではアメリカの先住民族の成人の儀式として一晩野宿する、そこで選んだ居心地の良い場所が自分にとって基準となる大切な場所、とのエピソードを紹介されていましたが、こういう話もきっと、スティーブ・ジョブスの「Keep Looking, Don't settle」に通じるのかなぁと、今回は「その居心地の良い場所を考える」ことを大切にされているのかなと感じました。



一番大好きで、前回や今回でも強調されている言葉は、「いいかげんな仕事、これでもいいだろうと思って作られた仕事」、筆者の方はあえてそれを「愛のない仕事」とはいいませんが、手を抜いたことが伝わるような「作られたもの」に囲まれていると、自然と傷つき、ダメージが蓄積していく、との視点があります。



これは書籍を見ていても感じることであり、また同人活動をしていても感じることでもありますが、誰かが意図しなければ存在しない本が存在していることは、その人自身の存在を体現しているともいえます。有限の命を使って書かれているものは、その人の命の一部です。



ひとつの「命」である結果を見て、それが生まれたプロセスに興味を持つ。それは仕事の結果を見て、どのように実現したのかに興味を持つということですが、同人活動は本当に、「その人」がいなければ存在しないものである点で、高いエネルギーに接すると感動しますし、そのプロセスを知りたくもなります。少なくとも、「誰かにやらされたわけではない=言い訳が出来ない自分そのもの」が、その作品だとも。



今日読んだ新作は自分が思い至ったことがあると同時に、まだ咀嚼しきれていない新しい疑問や視点も多く、もう少し時間をかけて消化したいと思います。働くモチベーション付けについて、労働観について一歩踏み込んだ内容になっています。それは、100年以上前のメイドや執事の仕事を研究し、彼らの生き方を数多く見てきた自分にとっても、ひとつの視点としてあった方が良いと思えるものでした。



労働者階級に生まれた多くの使用人たちは仕事を自由には選べず、限られた選択肢の中から選びました。それを生きるためと割り切った人もいれば、その中で戦略的に行動してキャリアを形成した前向きな人もいましたし、自分の仕事にプライドや満足感を得た人もいます。それは使用人を離れてもいつの時代でも成立する、「仕事」と向き合うことだとも思います。現代人も、必ずしも全員が望んだ仕事をしていませんし、お金のためと割り切っている人もいれば、自己実現や何かの価値のために働いている人もいます。



答えのない「働く」「生きる」ということについて、一歩立ち止まって、無理に背を押すような本ではなく、考えるきっかけになる本です。同時に、「働くこと」を奨励する本ではありません。無意識の洗脳がないか、誰かにとって都合の良いモチベーションコントロールをされていないか、そこの視点が、今回とても新しい提案に思えました。まだまだ咀嚼が足りないので理解は表層的なので、もっと読み込むつもりです。



自分にとっては仕事も同人活動も、「生きる」ことの一部なので両者が今時点では一致していますが(過去は一致していませんでした)、一致させようと意識していたところもありますし、この方の本を読んで受けた影響も大きいと思います。