ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

使用人の歴史へ・補い合う資料たちと知の連鎖

残りの大きな原稿は使用人の歴史だけで、18世紀を起点にしたものへの再構築を行う為、資料を精読中です。ヴィクトリア朝は最盛期であっても、「資料が残っている最盛期」でもあり、それ以前が栄えていなかったという話でもありません。使用人の参考資料のほとんどは最盛期を軸にしていますが、ぱっと最盛期が出たわけではないんですね。その勃興期としての18世紀は資料が非常に少なく、研究している本も限られていますが、だいぶ資料が集まってきた感じです。



最後に出会った18世紀を主軸とした本が面白かったのは、これまでに出た資料本は「ヒエラルキーのある上級・下級使用人を主軸にしすぎている」との批判を序文に記していることです。久我は意図的にその傾向を強くしていますが(「どんな仕事をしたか」「どのようにしたか」「暮らし」への興味が強く、Pamela Sambrookさんに親近感が強い)、この批判をした筆者、『ヴィクトリアン・サーヴァント』やそれ以外のを読んでいるはずで、事実参考文献にも多くの書籍があがっていますが、本場イギリスの研究者が10年前に書いたこの本でさえも、「庶民に近い使用人・ひとりではたらくmaid of all work」のような存在を「言及が足りない」と言い切り、そこをベースに資料を書いていることに驚きました。



研究は、際限ないなと。



まだあんまり読みきれていませんが、仮に序文通りの内容に仕上がっていれば、大きな発見とも言える資料本になるでしょう。逆にそれだけのことを言った本場の本でもそれが出来ないならば、なかなか到達することは難しいと思います。資料が残っていない、というのも大きいですし、細かい話で言うと、『ヴィクトリアン・サーヴァント』で使われている資料も、ヴィクトリア朝でないこともあります。その点で、自分の作る『英国メイドの世界』でも、時代はヴィクトリア朝を中心にしても、ヴィクトリア朝のみでは構成していません、というよりも構成できないのです。



ヴィクトリア朝そのものも年代が長い分だけ、時期による社会の価値観の相違も大きく、『ヴィクトリアン・サーヴァント』の筆者Pamela Hornさんが何十冊もヴィクトリア朝関係で多様な角度で本を記している理由が、わかります。何かを知ろうとすると多角的に物事を見ることになり、結果として本を書けるだけの資料が集まってしまうのではないかとも思えるのです。



個人的に、日本で新しく何かを研究するよりも、彼女の著作をすべて翻訳して出版した方が、ヴィクトリア朝研究は劇的に進むのではないかとも思えます。故に、自分で行うことに関しては、「自分でしか出来ない視点」を模索していますし、他者がやってこなかった視点を構築しているつもりですし、それだからこそ生き残れたと思います。ただ翻訳するだけならば、自分でなくても出来ます。



今、作りつつある本は完成形ではありませんし、一冊ですべてがわかるというものは作れるものではありませんが、少なくとも70〜80点は取れるような、そして調べようと思った人が調べてくれる、研究という観点での「航海図・マップ」のような位置づけのものにするつもりです。



一番大切なのは、「解りやすさ」です。伝わらないことを言ってもノイズにしかならず、言いたいことを詰め込むのも違っていて、その匙加減が難しいところですが、詳しくない友人や同僚を頭に描きつつ、作っていることが、今まで自分が続けられた強みだとも思いますし、同時に知らないことがあれば調べていく、知っていることで間に合わせないように気をつけたことも、成長に繋がったと感じます。2002年の頃に出会った『ミセス・ビートンの家政読本』も原書の『ヴィクトリアン・サーヴァント』も、他人が作ったものなので、自分が欲しい知識は網羅していませんでした。



同時に、これだけ時間を使っても、いかに自分が無知であるか、ということを知るだけです。多分、今、日本では相当なレベルにあると自負できます。しかし、だからこそ、自分の知らないことの多さに絶望もします。どこに欲しい知識があるかは見えていても、際限がありません。だから、自分の人生の時間で出来ないことは、他の人に託すつもりです。託す為にはいろいろと必要なので、そこは時間をかけていくところです。少なくとも、資料の良し悪しやどの筆者が「近い」のか「オリジナル」なのか、その辺りの見極めは出来つつあります。



こういうのは検索エンジンでは出来ない「目利き」でもありますが、Google Booksでは相互参照(この本はどの本で引用されている)のデータも存在し、ならばページランクに匹敵する「そのカテゴリのブックランク」的なものを人間の判断か、システムによる論理構築かわかりませんが、何かしら精度が高く実装できそうな気もします。実際、自分が英書の「素晴らしい資料」に出会えたのも数撃った結果ですが、「撃つ場所」は参考文献の参考文献から調べてもいますので、方法論としては同じです。



そういう意味では専門性の高い人によるアフィリエイトによる文献紹介は生き残ると思いますし、そのページ情報(Google Booksへのリンク情報は取得されている)と書籍情報をリンクさせて、補完しあっていけそうな気もします。



話が逸れていきましたが、無知の知、をこの年齢でより強く実感するのは面白いことです。もしも自分がこの領域に足を踏み入れていなければ、同人におけるメイド研究はどのような形で進んでいったのかにも興味はあります。いなければいないで他の誰かがやっていたでしょうが、研究室・研究会的なものを作りたくなる気持ちもあります。理解者が欲しいというよりも、共に航海する仲間が欲しいのだと。自分が倒れても、その先にトーチを繋いでくれる人に出会いたいのだと。個人的に森薫先生や村上リコさんへ思いいれが強かったのは、そのプロセスを共有し、同じ時間を過ごせた、という感覚(錯覚かもしれない)があったからでしょう。元々のゴールが異なっていますが、たまたますれ違っただけでも、良い体験ではありました。



ただそれは、メイドジャンルに限ったものでもありません。同人でこういう可能性がある事を示せたのも、意義があったとは思います。マイナーなジャンルでも、オリジナルでも、文章でも、突き詰めればいろいろと出来るのだと。



そのためにも、この出版はしっかりと仕上げます。



というのが、使用人の歴史を書く前の棚卸でした。正直、『図解メイド』も『エマ ヴィクトリアンガイド』も、総合的には分かりやすく素晴らしいレベルで歴史は書いているんですね。その上、『ヴィクトリアン・サーヴァント』という専門書でも扱われている内容を、あえて自分で書くからには、それまでに無い視点を大切にしつつ、本筋を外れず、分かりやすさに近づきたいと思います。



ラストスパートです。



ヴィクトリアン・サーヴァント―階下の世界

ヴィクトリアン・サーヴァント―階下の世界