ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

二つの意味でメイド研究は同時代的

使用人の研究をしていると、その労働環境も目に入ります。前回書いたことと重なりますが、ざっくりとした感覚的に、貴族や裕福な屋敷に仕えた使用人は全体の多分3〜5%以下(上級使用人のいた屋敷・体験した「経験者」ならばもう少し多いかもしれません)、少し裕福なところ(使用人3〜5人)で10〜20%、残りは1人で働いた職場だとも思います。



つまり、執事がいるような職場は研究対象の「面」としては存在しても、「深さ」の点では浅く、絶対数では当時をまったく代表していません。『英国執事の流儀』で言及しましたように、限られた世界です。久我は屋敷で働く使用人の「仕事」を軸に、「面」を広げていますし、過去にその研究領域を「山」に例えましたが、実際は「海とその深さ」に近しいかもしれません。



屋敷や領地を中心とした執事やガーデナー、ゲームキーパーなどの仕事は「海の広さ」でありつつも、その「海の深さ」でいえば、水深は深くないのです。最近読んでいる18世紀の資料本はその「面」の広さよりも、「深さ」こそが、「光の届かない、埋もれてしまっている深海」を掘り当てることを、目指しているように思います。


同時代性:テーマの同時代性

1970年代に一世風靡した使用人ドラマ『Upstairs Downstairs』はその影響力の大きさゆえに、幾つもの「カウンター」を生みました。あそこで描かれているものは、すべてではなく、また現実とは異なるものも多いと。あのドラマをきっかけに登場した資料本も多いですし、使用人経験者が自身の体験を綴った手記も出ています。



ではその後、使用人研究がどうなっていったかですが、その「リアル」という提案でさえも、今読んでいる資料本(1996年刊行)のような「カウンター」を生んでいるのです。この資料本が面白いのは、「使用人の時代を過去にしようと、ノスタルジックにしようとする歴史かもいるが、これは同時代の問題」でもあるとも、この筆者は述べています。



たとえば産業の発展段階にある国家において、地方から発展して人口が増大した都市へ女性の人口が流れる傾向を示し、流れてきた非熟練労働者である女性たちの受け入れ先が、家庭内使用人になると彼女はいうのです。これは18世紀以降のイギリスでも見られた傾向です。



同時に、使用人的な雇用も続いています。現代のプロフェッショナルな職業にあるイギリスの人々には家事に費やす時間をアウトソーシングし、自分たちよりも「安価」な給与でそれを行ってくれる人へ託す比率も伸びているそうです。19世紀以降の女性たちは働くことそのものを制限されたこともありますが、構造としては似ていると、この資料本の筆者は主張しています。



では、彼女の資料本より前に使用人を扱った本を記した研究者は、そのことに無関心だったのでしょうか? それが今回気づかされたことですが、たとえば1970年代に使用人研究の金字塔とも言える著作『ヴィクトリアン・サーヴァント』を記したPamela Hornさんは、この著作を受けてか、20世紀の使用人事情を描いた『LIFE BELOW STAIRS』(2001年)の終わりの方で、「同時代の問題であること=ケータリング・ハウスクリーニング・育児(ナニー)・ランドリーの産業の発展・アウトソーシング」を取り上げています。



労働環境の不安定性、現代におけるセーフティネットとの言葉も、使用人に限らず、18〜19世紀の労働者階級の不安定さを見ると、現代がどれだけ進歩したのか、また進歩していないのか、興味深いものになるでしょう。使用人の年金や病気の保障は主人の善意によるもので、社会制度として成立するのは20世紀になってようやくだったと思いますし、主人の屋敷に住み込んで働くが故に、失業時の生活で将来に必要な貯金をすり減らしてしまうこともあり、その結果、女性が売春に流れることもありました。



自分でフローチャートにまとめているところですが、働く親にも生まれる子供にも厳しい選択肢です。18世紀は低すぎた賃金がだんだんと上昇して、20世紀、特に第一次世界大戦以降は多くを雇うのが難しい状況にもなっていきますが、低すぎる給与と社会インフラの脆弱さが個人の人生をあっけなく貧困に陥れ、貧しさは子供の代にも再生産されていく流れもありました。(ただ、20世紀に書かれた『ハマータウンの野郎ども』の構造とはまた違っていますし、そちらよりも根深いです)



そうしたこともあって、段々と時間がかかりながらも問題は改善へ向かっていきましたが、そのうちのいくつかの要素が、少なからず似た構造で「現代社会」でも同時代の問題として、イギリスでも、そして今の日本でも繰り返されていればこそ、研究は同時代性を帯びているともいえます。



もっと掘り下げると類似点は幾らでも出てきますが、専門でないことも多く、また自分が知らないだけで専門分野で研究されているとも思うので、使用人の話ではここまでとしておき、後日、自分の中でまとまった時に書きます。


研究の同時代性:現代も研究は発展途上にある

メイド研究は同時代と比較できる問題でありつつも、終わった時代に光を当てること自体も、まだ進んでいます。先に述べたPamela Horn氏の使用人研究は、19世紀→20世紀と続き、今度は18世紀にさかのぼっています。



2004年に刊行した18世紀の使用人事情を扱った『FLUNKEYS AND SCULLIONS』では、18世紀を扱ったその1996年の資料本の筆者に応える意味でか、そしてかつての自分が扱えなかった時代について、補うような資料を発表しているのです。



例えば1996年の資料では1851年の国政調査において、「ハウスキーパー」と答えた人の職業に、「使用人」と「貧しい親族で手伝いをしている人」が混在していることを指摘しています。これはよく言われることですが、さらにその先もあって、そもそも「使用人」との言葉も、「広い傘の下の異なるものがある」といわれるように、多様なのです。



これも最近学んだのですが、18世紀においては「家庭内使用人」「親族の手伝い」「徒弟」(救貧院や孤児院が「職人の徒弟制度」のように、施設から費用を出して申請者の家に預けて「育ててもらう」)、「農場労働者」(農場で手伝い、家事もこなす)、「事業手伝い」(商店主や自営業者などの家の本業を手伝い、家事もする)など、幾つものパターンがあり、申告者によって立場も環境も違うことになります。



もうひとつ意外だったのは、「18世紀には国勢調査がなかったので、どれだけの使用人がいたのか推計でしかわからない」といった状況で、数字上においては「正解が存在していない」のです。推計も諸説あり、まさに「存在はわかっているけれども、底まで到達できない深海・海溝」ともいえるものです。そして、なぜこの時代の使用人の声が少ないかも、「リテラシー」の問題が関わってきます。読む方は聖書などの関係でそこそこ高かったようですが、書く方は限られていましたし、少なくとも20世紀前半に勤めた使用人の声が多く残っているのは、彼らが生きていることだけではなく、文字を書けたか、も大きな要素でしょう。



今まで出会っていなかった、たった1冊の本で、今までと異なる光が当てられましたし、まだまだそういう研究は沢山あるのでしょう。その上で、その研究を受けて書かれた2004年のHorn氏の本では、先述の本について疑問に思ったことへのフォローもされていて、研究者同士が相互の研究成果を利用していくことで、多角的に光が当てられています。



これと似た動きが19世紀にもあったようです。1840年代に「労働者階級としてのメイドを主役にした小説」が登場して売れたのですが、それを読んだ「13歳から17年間メイドを経験した女性」が、「リアルじゃない」と、「自分の体験」を手記にして、同じ年代に出版しました。彼女自身の境遇も興味深く、少なくとも母親の出身はLower Middle Classで、両親を亡くした後の就職先について、使用人の仕事に就くことを反対されています。



Google Booksでそのうち読めるようになったら紹介しますが、彼女の出版が、「誰かの発表」のカウンターとして出ているのは面白く、いつも繰り返しているのだと、感じました。伝えたいことがあるから、書かずにはいられないのだと。久我自身、「ヴィクトリア朝の扱われ方」への「カウンター」として、使用人を取り上げている面もありますが(最悪ではあるかもしれないが、良いところもあった)、その使用人の扱い方だけを切り離してみれば(良いところしかないように見える)、「カウンター」を受ける立場にもあるのでしょう。



話は戻りますが、少なくともイギリスにおける使用人研究は、「1970年代である程度固まっている」ように思えたのですが、実は30〜40年が経過する今にあっても研究され、光を当てられている分野なのです。これからも多くの視点が出て、過去に発表された資料を覆す視点や、補う視点が増えていく領域なのでしょう。少なくとも、「人が働く」限りにおいて、そして人が「家事を営む」意味において、この視点はなくならないものなのではないかと。



ただ、自分がそこに辿り着けるのか、追いつけるのかは分かりません。自分が好きな領域においてもまだまだ圧倒的に勉強が足りていませんし、役割の違いもあるかもしれません。数として最も多かったものを扱うことがいいのか、数は少なくとも存在したものを網羅していくのがいいのか、多分そこに正解はないと思いますし、好みの問題と思いますが、バランスが取れているのは面白いところです。



だからこそ、マップのようなものを描きたいです。少なくとも、山の頂か、海溝の存在は見えているぐらいには成長していると思いますので。(全然関係ないかもしれませんが、屋敷の構造図や外観、地図の描画をしたいので、絵を習いたいところですが……)



使用人の歴史をどのように伝えていくか、少なくともここ1〜2週間で結論を出すつもりですが、書くことは手のひらに乗せた砂を握るようなもので、必ず砂が零れ落ちていきます。そこをどこまでフォローするのか、それが続刊だったり、今だったらネットになりそうです。



もっと体系的にまとめられれば、同時代の学問として、あえて日本で扱う意味も描けそうな気もしています。気がしているだけかもしれませんが、このあたり、学問としての使用人研究の流れを、向こうの研究者がどのように見ているのか、把握しているのかは知りたいなぁと思います。向こうで勉強してみたいですが、語学を磨く必要と、本業を離れても大丈夫なスポンサーに出会うか、何か良い案を見つけたいところです。研究職でしょうか?



前回に続いてこのあたりのエントリが長いですが、消化していくプロセスであり、また追い込み中なのでアウトプットしている次第です。まぁ不思議なもので、「絶対数で多かったメイドへの言及足りないのでは?」との指摘を最近会った方に言われてから一ヶ月もしないうちに、そうした視点を過去最大に主張している資料に出会ってしまうのが、自分が運に恵まれていると思うところでもあります。