ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『ヴィクトリアン・コインエイジ』シリーズのご紹介と感想

自分の本の宣伝ばかりもなんなので、久しぶりに。



ヴィクトリア朝の研究をしていると、必ず読者の方から聞かれるのが、「1ポンドって日本円にしていくらなの?」という言葉です。ところが、これほど説明が難しい物はありません。日本円自体の相場は変動していますし、そもそもヴィクトリア朝自体が昭和と同じくらい長いのですから、戦前と戦後どころか、高度経済成長期の日本円と今の円では、大きく変動していますし、貨幣で買えるものも大きく異なります。



その答えに一番近いのは、同人誌『ヴィクトリアン・コインエイジ』を制作されている著者のmetchin様だと私は思います。



2年ほど前、metchin様から私の同人誌の感想をいただき、その中で「使用人の賃金に注目している」ことをうかがいました。さらに、同人誌で引用された和書からの翻訳について「この年代に、表記されている通貨は無かったのでは?」との問いかけをいただき、思わず唸りました。原書を見ると額面金額しか記されていませんでしたので、引用した和書を翻訳された方が誤解したと思える箇所でした。私には目から鱗でしたし、こうした視点で物を見ている方の存在に感動を覚えました。



metchin様はGuinea, Sovereign, Shillingsというホームページで長く考察を発表されており、今は同人誌即売会にて、成果をまとめた同人誌を発表されています。元々の研究のきっかけは、ヴィクトリア朝の階級による支払い手段(ポンドとギニー)の相違から貨幣そのものに興味を持ってコイン収集を始められたとのことで、そこから発展して通貨が通用した時代の通用価値に注目されて、今に繋がっているとのことです。



ギニー金貨の価値は1ポンド1シリングで5%(1ポンド=20シリング)が上乗せされています。これは専門職にある紳士(医師や弁護士)に謝礼として支払う通貨として通用したとされており、当時に独自の価値観が存在したことを示しています。ギニーのように、通貨単位とば別に「ソブリン」「クラウン」など通貨自体の名称が存在しているのも、イギリス通貨事情の面白い点です。



私は塩野七生さんが古代ローマの金貨を手に、当時に思いを馳せるという描写をされていたことに深く感銘を受けていますが、この同人誌(そして、上記ホームページ)を知るまで、ヴィクトリア朝に限らず、英国の歴史上で流通した金貨や銀貨の深い考察をあまり見たことがありませんでした。私が「自分が欲しいレベルでの、メイドを代表とする家事使用人の情報が和書になかったから、同人活動を始めた」のと同様、「日本のこの界隈に限らず、海外でも資料が少ない」ところから始まったとうかがっており、まさに「エッセンスが凝集された同人誌」です。



同人誌では使用人の賃金や当時の文学や、私たちに馴染みがある要素を事例として、当時の通貨価値がどれほどあったのかを分かりやすく解説してくれます。希少なコインを集めるコレクターという立ち位置ではなく、そのコインがどんな意味を持つのかを探求されて分かりやすく当時のエピソードや物を交えて解説してくれている点が、コインの素人である私にも楽しめる理由ではないかと思います。



同人誌一覧




すべてを触れると長くなるので、近刊の感想を。


通貨が「金銀」から作られて流通することの可視化

当たり前のことですが、過去の歴史において、市場には長く金銀銅の貨幣が流通していました。この金銀が貨幣として流通するにはプロセスがあります。まず採掘し、次に加工されます。この加工のプロセスも様々にありますし、打刻される内容も常に同じではなく、デザインの相違や原料・素材供給地表記などの情報が含まれています。



『ヴィクトリアン・コインエイジ3』で非凡に思ったのは、大航海時代の英国海軍が得た戦利品の金銀から、どれぐらいの通貨が作れたかを算出しているプロセスです。私は知識として海戦の結果として金銀を略奪したのを知っていますが、その金銀はいわば鉱山レベルでの財宝に匹敵しました。実際にその通貨が戦利品から作られたかはさておき、経済に与える影響は大きいことが伝わってきますし、通貨となることで流通していく描写や発想は、秀逸だと思います。



スペインとポルトガルの通貨制度も、『大航海時代』が好きな方には、楽しめる情報ではないかと。


非常に濃密なノウハウの開示

最新刊の『ヴィクトリアン・コインエイジ4』は、異色の作品です。年代別の通貨の鑑定方法が、自身の長い研究の成果として掲載されているからです。私は素人ながらも、このレベルの本はあまりないのではないかと思いました。あとがきには、洋書でも詳細に解説されることはないと記されています



これはmetchin様が個人で収集された通貨を徹底的に観察し、分類し、相違を見つけ、個性を見つけ出し、比較することで生まれた情報だと思います。まさしく、貴重な研究成果です。誰よりも、この本の完成を、metchin様が喜ばれているのではないかと感じます。




磨耗度の判別を自分で習得するには相当な費用がかかりますので、収集をはじめる時にこんな本があったら!というのを目指しました。ヴィクトリア時代の貨幣を収集、または実物を鑑賞しようとする場合に必要な磨耗度について、実際に収集を通じて独自に研究した判別すべきポイントについて「ソブリン金貨」と「シリング銀貨」の刻印ごとに分類して詳細な解説をしています。


『ヴィクトリアン・コインエイジ4』同人誌紹介から引用





私は異常なエネルギーを注ぎこんで同人活動をしている方ですが、同人活動では私以上の方々を見てきました。その中で、同じように「情報がないから、自分で調べてまとめた」だけではなく、「初心者だった頃の自分が喜んだであろう、ノウハウを結集した本」を作られているmetchin様の活動には、強い共感を覚えます。



また、私は「働く人」「屋敷の日常生活」を軸に、metchin様は流通する通貨という観点で過去の歴史を照らしているように、きっとまだ他にも様々な照らし方があるのだと思います。同人イベントを愛する立場としても、今後もこうした「世の中にないから、自分で作った・その上で、分かりやすく楽しめる」本が生まれていくことを願っています。



同人は本当、いろいろあってすごいんです。