ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

地道に100ページぐらいの着地点

普段通りのTwitterメモ→ブログ整理と気楽に書いた「2つの使用人問題」を巡る19世紀末時点での女主人の見解が、日本の状況との重ね合わせで意外と読まれて驚きました。



メイドに残業代がないとか、労働時間の法的上限がない(日本は抜け道あり・ILOの条約で批准してないものも多々)とか、いろいろと似たものは他にもあります。



19世紀末のこのコラムでいただいた反響や視点を既存の原稿に盛り込みつつ、そろそろ20世紀後半の英国事情を書かないといけません。世界的なレベルのメイドの話は間に合うか怪しいですが、出来るところまではやってみます。



だいたい100ページぐらいで、この話が終わったら、貴族の生活や家事使用人のエピソードの方に戻ろうと思います。


「2つの使用人問題」を巡る19世紀末時点での女主人の見解

英国メイドの終焉を語る際には、「使用人問題」という言葉は欠かせません。英語では「The Servant Problem」「The Servant Question」と表記するこの問題は、時代によって「何が問題か」という意味が異なりました。



まず、19世紀末までに表面化した大きな問題は「優秀な使用人のなり手不足」です。こちらの見解は主に中流階級の女主人(=メイドの雇用主)の間で強い支持を受け、使用人個人の資質に対する攻撃や不満を含んだものでした。いわく、「昔の使用人は優秀だった」、いわく「メイドの質はひどく、訓練が足りない」など。



もう一つの視点が、同じ「なり手不足」でも、「メイドという職業全体」への需要に対する供給不足という、より高いレベルでの構造的問題を扱うものです。こちらが大きく顕在化し、政府が取り組み始めたのが第一次世界大戦に前後した時代で、1920年代以降はほとんどの場合、個人の資質云々ではなく、「待遇が悪いからなり手がいない」との社会問題として認識されています。



今回、夏の同人誌では『英国メイドの世界』で書いた続きとして、主に後者をテーマに扱いますが、たまたまネットをさまよっていたところ、前者の問題を扱った当時の女主人による著作を見つけました。ここで語られる世界は、空気感を知る意味で、非常に貴重です。



余談ですが、「使用人問題」はイギリスに限らず、19世紀末〜20世紀前半にアメリカでもフランスでもドイツでも日本でも形を変えつつ生じた事象であり、現在もいくつかの国々で生じています。


使用人への不満・被害者意識を丸出しする女主人

私が読んだ19世紀末の女主人の手による本は、質の悪い使用人に女主人がいかに苦しめられているか、を彼女の体験談や知人の経験、そして新聞などから集めた情報で満ち溢れた構成です。面白い点は、法廷の場で女主人は理不尽に負け続ける、との話です。



使用人の方が社会的立場が弱いことで同情を引きやすく、女主人に勝ち目はなく、女主人を保護する法律を作ってというのは、初めて見るものでした。ナースメイド、コックなど個別の職業についても彼女たちのひどい仕事ぶりのエピソードのオンパレードでした。



たとえばDevonshireから来たメイドの話は紹介状がないままに採用します。見た目も気質も良いように思ったものの、彼女は「父親です」「母親です」「親戚です」と、どんどんロンドンに親族がきたことにして、屋敷の金でもてなしを続けます。あるとき、このメイドが駅に迎えに行くと聞いた女主人が「その駅は、Devonshireからの到着駅ではない」と気づきます。他に、衣類をダメにされたり、ひどい目にあわされたりとして、紹介状を出さなかったという女主人の下を訪ねに行き、そこでこのメイドのひどさを教わり、解雇に踏み切りました。



もうひとつが、クリスマスの前に雇用したコックの話で、こちらは紹介状があったものの、コックの所業が怪しく、明らかに屋敷の食品や備品を部屋に持ち込んで隠し、同僚のハウスメイドから自分の行動を隠ぺいしようと動いています。途中で女主人は紹介状の主の下を訪ね、経済的に低すぎること(立派な家庭に努めたのではない)と、そこでこのコックのロンドンの家を突き止め、その家を訪ねて紹介状の筆跡が偽造されたものであること(姉妹の記述)や、コックの意図がクリスマスのための食材を持ち出すことにあると結論を下します。



警察沙汰→裁判・有罪、というところで落ち着きましたが、彼女が語る使用人問題は「質的問題」が軸足です。


解決策は教育・訓練

この「質的問題」に対する彼女の解決策は明確です。「優秀な使用人確保のための訓練」を提唱しています。職業に就くには、メイドたちは訓練が足りなさすぎる、その割を女主人(夫や子供の相手をするし、彼女の場合は身体が強いわけでもないので)は食っている、というものです。



引き合いに出されたのは、女主人たちの夫が活動する商業領域で雇用する、書記や店員、あるいは看護婦です。その職に就く前に訓練を受けているか、徒弟時代や見習いなどで訓練を受ける機会があると。メイドの訓練は女主人が行い、「使用人は女主人が作り上げる」との言葉もあるとしつつ、この本の著者はこのことを否定します。



ここで、私が分からなかったのは、この彼女が主張するロジックです。他の領域でも結局、「職場で一定の訓練を受けさせている」点で、女主人の置かれる境遇と変わりません。もちろん、業務の定型化が難しく、家族によってニーズが異なる仕事の複雑性が高い家事労働の訓練は、他の職種と若干異なるところもありますが、未熟な人間ならば雇わなければいいのです。



しかし、女主人は自分たちの負担を下げるためにメイドを雇用しますし、経済的に厳しい人々は安価なメイド=訓練を受けていないメイドを、「自分の意志で雇う」わけです。優秀なメイドが欲しければ、見合う代価を払えばいいだけです。しかし、代価を支払わず、優秀なメイドが欲しい、と言っているようにしか聞こえません。



メイドの仕事に時間の規律がない点について欠点として認めていますし、他の仕事との比較もしていますが、その時間の規律がない状況を生み出す業務の中心が「女主人」であることへの言及や反省が見つかりませんし(方向性として男性の無理解や男性軸の社会的価値観を責めている?)、メイドが過ごす部屋を快適にしたり、外の空気を吸わせるなどを提案しつつ、どう業務を減らすかの視点がありません。


メイドの職業訓練は需要に追い付かない

最終章で「私には夢がある」「ユートピア的であるが」と、メイドに限らず、女性の様々な職業の訓練校的なものを提案していましたが、ここでも説得力がありませんでした。職業訓練は受けられる人間の数も限られ、決して、巨大な需要を満たしえるものではないからです。



また、これは後の時代にも同様の経緯が見られますが、メイドの職業はこの時代、結婚=引退でした。つまり、他の職業より受けた訓練を活用できる期間が短くなっています。訓練を行い、優秀な人材を確保するならば、経験を重ねたメイドでも働ける長期的に勤められる環境が必要だと考えます。



結婚したメイドを好まないのは、メイドの側の都合ではなく、雇用主側の要請です。結婚したメイドの就職は難しく、なぜ実質的な引退に追い込むかは、個人的に「住込み」だからだと思っています。住込みによって家庭内に私生活を持ち込まれるのは好ましくないですし、子供や家族を優先されて人手が足りなくなっても困ります。



それを抜きにしても、最も大きな問題は労働環境が悪いからなり手が減っていく事実です。この著者は「優秀な使用人を雇いたい」としていますが、「優秀な使用人を雇うには使用人水準の底上げが必要」(彼女が遭遇した無能な使用人、犯罪などから)としつつ、あくまでも使用人側に努力を求めている点で、19世紀末的といえます。


見たくない現実は見えない・見ようとしない

少なくとも、冒頭で述べた「使用人問題」の問題分析について、1920年代までには「家事使用人の待遇が悪すぎる」と、広く周知されています。「法的に労働環境が保護されない」「社会的地位が貶められている」「女主人の権限が強すぎるし、個人の処理能力に対して業務量が過剰」と問題が明らかにされています。



今回言及した本自体がきちんとした資料本で大きく言及されているのをほとんど読んだことがなく、どの程度の位置づけなのかは、まだ把握していませんが、彼女の語る正しさの是非はともかく、そうした視点が盛り込まれた本が刊行されたことが興味深いです。



私が読んでいる本に偏りがあるのを自覚しつつ、こうまで見える世界が違うことにただ驚きます。「ゆりかごを揺らすものが世界を制する」的な、使用人の影響力を語る上での名言は気に入りましたが。



いずれにせよ、今回読んだ本の著者である女主人は、何度もダメなメイドに引っかかりすぎているのが、どうにもこうにも釈然としません。紹介状を偽られる実体験が2回出ていましたし、途中で疑惑を持って前職の雇用主に確かめにも行きましたが、最初からやれば済むことです。痛い目を見ているのですから。



信じたくないことは信じたくない、見たい現実を見るという人間心理が、対応を遅らせているようにも思えます。


サービスを安価に使おうとすると、サービス提供者の労働環境を悪化させる

女主人の見解は、どこか現代事情に通じます。



今回取り上げた女主人の要望は「雇用主は何も変わらず」「良質な使用人を得たい」とするもので、その間にある「悪い待遇」「低賃金」(裕福な屋敷に比べて相対的な低賃金)には目をつぶっています。ところで、これは過去の女主人の「都合がよすぎる要求」だったと一笑にふせないと私は思います。



個人的に現代メイド事情も含めて学ぶ中で気づいたのは、育児領域や介護領域、もっと広くサービス領域を含めて、利用領域が高すぎるから安く利用したいとの気持ちや、不規則な時間に合わせて使いたいというニーズが、働き手の賃金を安くし、労働時間を不安定にする引き金になります。



当たり前といえば当たり前ですが、行政サービスの利用料金が安いのは、その分だけ税金でコストを吸収してくれているからです。しかし、財政負担の増大に繋がり、いずれ限界を迎えます。英国では1980年代以降、IMFの融資を受けたことでの公共事業への投資が削減され、個人の負担は増大しました。



会社契約の人々や、公共サービスで働く家事サービス提供者が増えると、個人対個人で契約した頃よりもひどい待遇は出来ませんし、料金もかさみます。その隙間を埋めたのが、個人契約、移民など法的立場が弱く、低賃金労働でも受け入れる人々でした。公共で削減したコストを個人が負担し、個人は「安価に使える人々」を求めざるを得ず、またその質に対して不満を述べる構造が続いていることは、留意が必要です。



何かを享受しようとするとき、安価な何かを求めてしまう時、削れるものは人件費にならざるを得ないものは、多々あります。たとえば工場の海外進出の主要因となる人件費の削減ですが、工場ができると地元で経済発展が生じて賃金が上昇し、より安い地域へと流れる構造もあります。これは、常に貧しい人・低賃金で働く人を求めるトレンドでしょう。「世界システム」という概念を示したウォーラーステインに興味を持ったのも、この辺りからです。



低賃金労働を称えて:ひどい賃金のひどい仕事でも無職よりマシ:ポール・クルーグマンの言説も、有名なものですね)



現代事情を踏まえると、給与は稼げなくなるものの、週休3日制度の世の中を希望するのが、私なりの解決策です。その分、雇用のシェアも生まれ、消費も生まれると思いますし、家族と過ごす時間も増えるはずですから。週1日休む安息日の概念はあくまでも人間の取り決めに過ぎません。週休2日ですら、完全に実現されていません。



近代やメイドを学ぶと、そんなことを思うのです。


補足事項:2011/06/26 22:30追記

多くの人に読まれると想定せず、やや粗い感じのメモとして書いていたので補足を行います。ご指摘、ありがとうございます。現代と過去との価値観の比較は難しいものですし、私の言及が足りなかった情報を補いました。










中流階級の女主人に選択肢はなかった点

中産階級の女主人にとって、ご指摘のように、選択肢はない状況でした。まず、当時の中流階級としてのステータスを保つためにはメイドの雇用が不可欠で(雇っていないと恥ずかしいとの価値観)、さらに中流階級らしい生活水準を営もうとすれば人手が必要でした。「一定の生活水準」を期待されながらも、では使用人に使えた所得が大きかったのか、といえば大きいものではありません。女主人は限られた予算の中から、選択をしなければなりません。



実質的に家事使用人の仕事はインフラのようなもので、手に入る選択肢から入手せざるを得ませんでした。その中で「手に入りやすい(未経験者・若い層の)人材の底上げ」を個人の教育で賄うのか、社会へと期待するのかで、女主人の見解に相違が出ます。



個人で教育を行う場合、低賃金で雇えるものの、教育コストが必要です。しかし、メイドが一人前になると、メイドはより良い待遇の職場を目指して転職していく可能性が高まります。この点で、全体での底上げが実現されれば、女主人は「教育」を自己負担せずに済むので、今回の女主人は後者を期待していると私は読み取っています。



今回の女主人の経済的余裕についてですが、彼女の家庭はメイドを2名雇っている描写があることから、中流階級の中でも中間より下、下層より少し上ぐらいの位置づけでしょうか。決して高給を出せる境遇ではありません。愚痴りたくなる気持ちは、分からなくもないです。



ただ、労働環境は、女主人のスケジュール管理や支持の出し方次第で改善する余地もありました。すべての中小企業がブラックでないように、すべての女主人の用意した職場がブラックだったわけでもありません。



この中で不幸なことは、女主人自身が適切な家事教育を受ける機会を持たず、人を管理した経験に恵まれた人が多いわけでもなく、様々な矢面や社会的規範にさらされていた点は、今回のテキストでは抜け落ちている部分となります。



人の管理をできずに失敗する、という点では現代のメイド事情でも繰り返しています。「メイドの雇用主は部下を使うマネージャーであることを理解していない」との指摘もなされています。


高賃金よりも「待遇改善」を求めたメイドたち

賃金について、家事使用人がどれだけ不満を持っていたかについては、実は他の要因に比べるとそれほど大きなものではないと言われています。あくまでも相対的なものですが、今回はあまり言及しなかった1920年代の「使用人問題」へのメイド職の聞き取り調査では、メイドが求めたのは「高い賃金」より、「労働時間の緩和」「自分の時間を持てる機会」や「社会的に低い存在として扱われる・機械のように思われることへの改善」でした。



住込みで働くメイドは他の職業に比べて家賃や食費を免れる点で相対的に得られる賃金は多く、貯金もしやすい環境でした。それが故に選ばれる職業でしたが、他の職業が商業領域で広がっていくと、「長時間労働の緩和」「自分の時間を持てる自由さ」を求めるようになりました。住居と職業が分離する商業系の仕事に対して、家事使用人の仕事は業務が終わっても家にいて、呼び出されるリスクを持ちました。



この点を、1920年代の「使用人問題」を扱う人々は理解しており、労働時間の規制や他に休日の定義など法を整備したり、休み時間に呼び出さないとか仕事の量を減らす工夫をするなど改善を促す提案を行いましたが、現実には高い失業率もあってか、法律は成立しませんでしたし、メイドを雇えない人々が生活水準を変えていく動きなども見られました。



最後に大きかったのは、人として扱ってほしい、との要望です。人として扱わずに機械のように思うから、自分では行わない長い労働時間を強いるのだと。「使用人は家具である」との言葉もありますが、以下は1920年代に問題を分析した心理学者Violet Firthのコメントです。




『女主人は使用人に労働を求めるだけではなく、女主人の優越を示し、彼女から賃金を受け取る女性に劣等感を抱かせる礼儀作法をも求めます。使用人の仕事そのものには軽蔑を受ける要素はありませんが、使用人に求められる態度には、雇用主から見下されるような、それも個人の尊厳を傷つけるような何かが存在しているのです』
(『The Psychology of the Servant Problem』P.20)


この補償は、高い賃金では解決しえないともViolet Firthは述べています。



私は「安い賃金」と書きましたが、低待遇も含めて「安いコスト」の方が言葉として適切でした。


補足:家事の大変さを書いたテキスト:『家事の歴史からメイドがいた風景を知る』シリーズ

前編:近代英国の家事についての読書メモ(料理や燃料、照明の話)

後編:近代英国の家事から見るメイドがいた風景(掃除や洗濯など)


第一次世界大戦後の英国メイド事情は非常に複雑

朝にいろいろと考えをまとめたので、書き出しておきます。



『数字で見る英国メイド』を作成中

日記というところでいうと、あんまり最近はそれっぽいことを書いていないなぁと思いつつ、昨日は夏の同人誌作成をしていました。


『数字で見る英国メイド』の予定ラインナップ

特に集中したのが、数字資料です。1851年から1951年までの国勢調査数字は存在していても、一冊の本にまとまっていなかったり、書き手によって国勢調査の生データを「家事使用人」に分類する定義が違ったりと、分かりにくいところもあり、この辺りを一か所にまとめて解消しようと思っています。



尚、「メイド」の話をする際の共通言語にして欲しいので、このデータについては、同人誌制作後にネット公開するつもりです。「メイドが多い」「メイドは若い」というのが、どこまでなのかを、アクセスしやすい形でインフラにしたいと思います。



数字資料としては、以下の4つの分類で収集中です。



■1.家事使用人の労働人口


 1-1.男女インドア家事使用人の労働人口

 1-2.屋外で働く男性使用人の労働人口



■2.家事使用人の年齢構成

 2-1.女性使用人の年齢構成

 2-2.男女使用人の年齢構成

 2-3.女性使用人の結婚年齢



■3.家事使用人の勤務期間

 3-1・女性使用人の勤務期間・地域別

 3-2・女性使用人の勤務期間・職種別



■4.家事使用人の平均賃金

 4-1.女性使用人の平均賃金

 4-2.男性使用人の平均賃金

 4-3.使用人の年代別賃金水準


家事使用人としての定義の違いによる数字の違い

特に難しいのが、労働人口のところです。まず国勢調査における「家事使用人」の定義が途中で変わっていくことで推移を追いかけにくく、さらに国勢調査上の生データを「家事使用人」としてどの職業を含めるかで、著者による定義の違いが出てきます。



まとまった国勢調査資料がない18世紀や19世紀初頭にはまず、「使用人」という言葉に「農業や商業といった、雇用主の家業に従事する使用人」も含まれています。さらにたとえば国勢調査の女性使用人のうち、1891年のデータのみ、「個人の家庭で家事をする妻や娘」も、「家事使用人」としてカウントされています。



また、1951年の家事使用人人口を複数の資料で確認していたところ、数十万人レベルで別の資料と差が出ました。これも、ベースにしていた資料は集計された合算データで、もう一つ見ていた方は、この合算する前のデータから「商業施設など」で働く家事使用人を、分離したものでした。


見えざる巨大勢力たち

私が扱っているのは「一般家庭で働く家事使用人(Private domestic servants)」ですが、さらに踏み込んでいえば、「家庭に住み込みで働く」使用人たちです。メイドオブオールワークやハウスメイド、ハウスキーパー、コックといった女性使用人で、たとえば「洗濯婦」(washerwoman)や「雑役婦」(雑役婦)といった「通い(非住込み)」で外に居を構えて勤めに来る人々は、含まれていたり、含まれていなかったりします。



1901年時点で家庭に勤める女性使用人が128万人として、この頃には日勤の雑用職charwomanが11万人、商業の洗濯関連で19万人が雇用されています。含めなければ128万人、含めれば158万人と、結構、違ってきます。これは元々の国勢調査の分類からしてそうなりますが、英国家事使用人専門研究者のPamela Horn氏の分類をベースに、私は後者の職種を、切り離して考えています。



「洗濯婦」「雑役婦」という領域も、規模的に今後注目されていいと思います。30万人、というのは労働人口の規模として無視しえません。


ガーデナーオブオールワーク?

ガーデナー(家庭勤め)の労働人口も見ていますが、1851年4540人が1871年1.8万人、その10年後に7.4万人に激増して、1901年には11.8万人と膨れ上がっています。意外と、ガーデナーは超巨大勢力なんですよ。こちらもあまり知られていませんが。もっと深めたい領域ですね。



というところで、少しやり取りがありました。













私は主に屋敷を軸に見ており、ガーデナーも[コラム]パクストンから再考するガーデナーの役割とコスト感覚に記したような世界から、1名しかいないような職場までありました。



ガーデナーやゲームキーパーの職種は、主人が関心を持ち、大規模で行えるだけの投資をしなければ、「1名」での雇用がありえましたが、ではその規模がどれぐらいなのか(1名雇用の合計が、全体に占める比率)は、今後、調べたいと思います。


終わりに

こうして数字から見るとあらためて、「労働者階級の女性は働いていた」ことが分かりますし、「働いて自分で稼ぐことが、社会的ステータスを失う」と考えられたヴィクトリア朝中流階級の女性は、数の上で「全体」を代表していません。もちろん、女性の就業機会や労働環境、待遇は男性に比して決して恵まれたものではなく、この点では別の視点での補足が必要になります。



ちなみに、手元の資料では14歳以下の女性使用人の比率は1881年時点で8%、1911年では3.1%となります。『シャーリー』に遭遇する確率は、そんなものでした。



本当の生データにアクセスすれば分かることも、もっともっとありますが、今時点では入手できていません。そういう意味では、深めていくと本当にまだ分からないことが多い領域です。向こうの大学にでも行かなければ、アクセスできない情報も多いです。「無知の知」的に、学べば学ぶほど、知りたい領域が広がっています。



個人の趣味では、結構、「知りたいこと」への限界も出てきているので、経済的に研究を続ける時間を確保できる立場(大学的な専門研究というより、現代との相対化というメディア的なもの)を、引き続き、模索したいと思います。



私は研究者というよりも、読者に近いガイド・ナビゲーター的な立場なので、行っていきたい役割はNPO的なメディアで、それを行えるスポンサーを募集中です。


近代英国の家事から見るメイドがいた風景(掃除や洗濯など)

昨日のエントリ、近代英国の家事についての読書メモ(料理や燃料、照明の話)の続きです。なぜメイドが雇わらなければならなかったのか、メイドがどんな環境で家事をしていたのかを、家事の歴史の観点で照らすものです。



参考資料は、近代英国三世紀の家事の歴史を扱ったA Woman's Work is Never Done: History of Housework in the British Isles, 1650-1950です。


衛生・清潔さ

CLEANINGの概念・価値観は相対的なもので、英国の地域によっても異なりました。18世紀の外国人旅行者が英国の清潔さを絶賛する記録が残っていますが、家事を行う裏側はそうではないとの指摘もあります。『英国メイドの世界』でも取り上げたと思いますが、たとえば肉をローストする際に回転させる動力として犬を連れ込む(キッチンに犬の毛が舞う可能性)、タオルが汚れているなどの話も残っています。



ただ清潔さは一種の消費や、生活習慣に根差すものです。労働者階級と中流階級では財力に差があり、たとえば洗濯の頻度や衛生観念にも差が出ます。同様に、アイルランドブリテン諸島でも生活習慣の差があり、アイルランド移民のメイドの清潔感が、雇用主をいらだたせることもありました。



繰り返しですが、清潔さは、消費です。しかし、英国ではメソジストで福音主義に影響を与えたJohn Wesleyの影響で、信仰と清潔さが結びついていました。清潔さは、信仰心と同じく大切にされたのです。その結果、清潔と美徳が結びつきやすく、罪を犯した人が清潔にしていると違和感があると、語った人もいます。



少し余談となりますが、19世紀に重んじられた「リスぺクタブル」という、「社会的に認められるかどうか」という指標の一つに、見苦しくない格好をすることも含まれました。そう考えると、先日のコラムで記載した「第二次世界大戦前後の時代にもっとも普及した電化製品のひとつ」が、「電気アイロン」だというのも、「しわのある服を着ることを忌避する」心理の表れかもしれません。



尚、清潔さが追及された点については、猛威を振るった伝染病(過去にはペスト、19世紀にはコレラ)への対応を公的に行うようになっていったことも影響しています。この近代における伝染病対策は、国家増強の資源・手段としての「労働者」を維持する権力の働きかけを、思想家フーコーは指摘しています。そのフーコーの言説に基づき、ヴィクトリア朝を考察したのは、下記書籍です。(私はまだ、ここの部分を学習中です)



ヴィクトリア朝の生権力と都市

ヴィクトリア朝の生権力と都市




掃除

ということで、清潔さの演出も大切でした。都市に住む中流階級の人々は、玄関前の階段に、白くする粉をまいた工夫をしたエピソードもあります。土足の生活と石炭の利用が家中を汚したと私は考えていますが、掃除に使った道具類には、砂や石鹸、そして掃除機が出てきます。

掃除機はなかなか普及しませんでしたし、初期は巨大な大きさでしたので家庭で買うには高価すぎました。そこでまず商業施設、リース、そしてエドワード7世がバッキンガム宮殿に導入することで王室でも利用されました。ちなみに、電気照明については、チャーチルの母親モールバラ公爵夫人の家庭が、ショーケースとしての役割を果たしたそうです。



生活レベルの変化は、掃除の負担にもなりました。同じ皿を使って食べる習慣が変化して個別に皿を用いるようになる(陶器類の安価な普及も必要)と洗い物も増えました。カーテンや絨毯で家を飾るのも掃除の質を変えますし、窓ガラスも磨かないといけなくなるので経済発展とも相関が強くなります。



だからメイドが必要、との話に繋がります。



余談ですが、この項目で何が一番驚いたかというと、大好きな作家トマス・ハーディの家に勤めていたパーラーメイドが、ハーディの家の暮らしを本にしていたと知ったことです。ハーディ研究者にとっては当たり前かもしれないですが。ハーディーは1840年生まれ、1928年に逝去で、結構長生きしていました。



このパーラーメイドは1920年代にハーディーの家に勤めた人です。この記録は入手し、トマス・ハーディに仕えたパーラーメイドの記録『Domestic Life of Thomas Hardy』(2011/06/04)で、紹介しました。


洗濯

洗濯は『英国メイドの世界』のランドリーメイドで学んでいるので復習や、他の資料から以前読んだ本の妥当性を補う感じでした。よく考えると、足で踏む洗濯って女性の足を見せてはいけない価値観の時代だと、すごいことだったんだなぁと。



ちょっと意外なのは、家の中で十分に洗濯出来る環境がないと、川沿いに出かけて水汲んでお湯沸かして、その川沿いで洗濯するという話でした。他に、衣類のシワをとるために、墓石の上に広げて木のローラーで伸ばした人がいたというミニエピソードが。絞り機がないので代用に。現実は想像を上回りますね。ここでも、そんなにしてまで、「シワ」を伸ばさなければならないのか、と。



洗濯の流れとしては、「叩き・もみ洗い」→「漂白(アルカリ性:尿や糞や灰→石鹸)」、他にのり付けや青み付けという話も出ています。現代でも室内干しは苦労がありますが、過去の英国の室内干しはさらに大変そうでもあります。煤が多いと、雨が降っていると外に干せないのは同じです。洗濯物を地面に落とした時の絶望感も、伝わってきますね。



英国貴族はロンドンに滞在中、領地のある屋敷に洗濯物を送り返しました。ロンドンで洗濯を行うよりも、豊富な水に恵まれ、石炭の煤も少ない地元で行う方が合理的でした。



最後に洗濯機の普及については値段だけではなく、給水と排水、並びに電気のインフラが必須だったので1948年の調査でも3.6%の家族が保持、というレベルでした。過去にあって、商業ランドリーの利用はなかなか進まず、1942年の労働者階級調査では73%の回答者が自宅で行っていました。



値段的に商業ランドリーは安いはずですが、ためらう理由として「衣類が傷む」「他の人の衣類と混ざるのがいや」「勝手に着用されるかもしれない」との不安だけではなく、「自らの手(家庭)で行いたい」(欲求か強迫観念かは別として)との心理も指摘されていました。



面白かったところは、自家製石鹸を作る障壁として、必要となる脂類が、灯火での利用と被って喰いあうとの話です。石炭利用が進むことも自家製の石鹸作りを遠ざけました。植物性の灰と違って、石炭の灰の洗濯への利用はできないからです。



と、Twitter上で、漏れていた点をご指摘いただきました。







昔の場合は煮沸消毒したいという欲求もありましたが、石鹸と硬水の関係は。"硬度の高い水での洗濯"に。日本で暮らしていると気にならないですが、外国人の大疑問:日本の洗濯機はどうしてお湯が出ないのですか。というのも見つけました。



ヴィクトリア朝の頃もお湯に熱湯を用い、そして、危険でした。


メイド雇用は「疫病」か?

最後は、家事使用人についてです。基本的に下層中流階級主体。思想家カーライルの家は32年間で34人のメイド雇用しました。その遍歴はどこかで紹介しますが、とにかく辞めていきました。



低い経済力では未熟なメイドを雇いますし、トレーニングも必要でした。しかし、育ったころに出て行ってしまうのです。メイドが実家で家事経験を積んでも、経済レベルや要求水準は勤め先ごとで違いすぎ、役に立たないことも多いものでした。



1898年のロンドンを除くEnglandとWalesの2443人のメイドを対象にした調査では、35%が1年以内に離職。4〜5年同じ職場は5%、10年以上は8%でした。(近いうちに、メイドの離職率と年齢別のデータをウェブにアップします。年代が経つごとに、徐々に若い子が減っていきます)



とはいえ、こうした離職率の高さはヴィクトリア朝固有ではなく、もっと前の時代から一般的でした。18世紀になっても19世紀になっても、そして20世紀になってもなお、雇用主たちは「昔の使用人の方が従順でよかった」とノスタルジックに語ってますが、「今の若者は〜」的な話に似てます。



話がそれますが、この「昔の使用人はよかった」は英国に限った話ではなく、日本でもアメリカでもありましたし、最近読んだ香港の現代メイド事情でも、似たような話が出ていました。



他に、仮説として出ていたのが、家事技術の伝播者としての使用人です。主家に同行して社交の季節にロンドンへ出る使用人は文化を持ちかえったとされていますが、家事にまつわる知識や技術も、転職を繰り返す使用人経由で伝播した要素があるかも、との指摘です。



あとは使用人不足の話ですが、その辺は夏の同人誌で扱います。



他に福音主義者が好んだ「メイドの勤めは結婚前の修行」的な当時の見方のひとつも出てきますが、経済力の差もあって結婚後には必ずしも全部は役立たないとの事例(ex,食器の数が違う、家計の規模が違う)が出ています。


女性と家事仕事

「なぜ、家事が女性の仕事として、また責任領域として疑う余地がなくなったのか」と問題提起がありますが、その中で、本書では女性の家事労働時間の話にふれます。



家事サービスの仕事が「女性の仕事」と思われるようになった経緯については諸説あります。その中で本書では、男性使用人への課税に言及して、女性比率が圧倒的に高くなった現実からの影響が考察されています。この辺はあまり見ない指摘です。「家事をやるメイドが大勢いた→だから、家事が女性の仕事」と。



18世紀ぐらいには男性も家事を分担していましたが、19世紀には家事をする姿を外部に見られないようにしたりと、家事の回避が進みました。労働時間の長期化や「外で働いて疲れたから、家事をしない」という労働者化が進みましたが、その対照的な存在としてアイルランドが指摘されます。



このアイルランドは結構独特で、そのうち細かく調べたい領域です。産業革命が進み、男性の労働者化が進む英国本土では男性が家事労働をする姿を見られるのを忌避したといわれていますが、アイルランド(あるいは産業革命以前)では男性が家事を分担した、と。また、アイルランドは男性使用人の課税がなかったので、男女の家事分担や使用人数のバランスが取れています。



あくまでも「家事使用人」による影響の「考察」にすぎませんし、この辺りの話はまた別の機会に。



終わりは1930〜40年代に調査した、家事労働時間の調査が共有されます。現代と比較していませんが、労働者階級、つまり大多数の女性は勤めに出ていたし、家業を手伝っていたし、その上で家事に時間を費やしていた風景もあったよと。女性の社会進出という言葉もありますが、労働者階級の女性たちは、家業をしたり外で働いたりした後も、家事もして、男性より長時間働く姿が見られました。


終わりに

私がメイドの世界に興味を持つのは、メイドが好きだからだけではなく、そのメイドが雇用された家庭の置かれた環境が、現代社会に繋がるからです。アイロンのかかったシャツを、なぜ私は綺麗に感じ、好むのか。



また、私たちが現在享受している豊かさは、どのようにして成立していったのか、と。知らずのうちに、自分に刷り込まれている、近代に成立した価値観を相対化していくのが、メイドを学ぶことなのかとも思います。



最後に、メイドが雇用された社会背景にも言及していますので、屋敷で働くメイド・執事の仕事が分かる資料本『英国メイドの世界』:第一章の試し読みを是非。


近代英国の家事についての読書メモ(料理や燃料、照明の話)

少し前に、近代英国の三世紀に渡る家事の歴史を扱った『A WOMEN'S WORK IS NEVER DONE』の読後感想をまとめて呟いていたので、ブログ用に再編集しました。ざっくりした本の感想まとめです。



メイドがどういう職場で働いたの、というところの理解なしに、彼女たちの業務は把握できません。家電がない時代、生活レベルを上げることは、それだけ多くの労働力=メイドを必要としました。ただ、あくまでも同書の主体は近代から家事に責任を持った女性を中心に、その家事環境と電気ガス水道のインフラ、それに利用できたテクノロジーの話などをしています。



その点では、以前ご紹介したアメリカ事情を扱う『『お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史』感想(2011/01/31)と重なりや相違があります。比較して読むと、より楽しめると思います。



長くなったので2回に分けます。前半は社会インフラや料理、燃料、照明の話で、後半は衛生観念や洗濯、家事使用人の話を。



参考資料:A Woman's Work is Never Done: History of Housework in the British Isles, 1650-1950



※あくまでも、メモです。


電気・ガス・水道の普及

現代日本で普及し、近代に普及していなかった社会インフラは電気・ガス・水道です。いずれも普及して家庭に届けるには、鋼や鉄や銅といった工業製品が大量生産されて、安価な水道管・ガス管・電線などが利用できることと不可避でした。その点では、こうした社会環境が英国で十分に整っていくのは、20世紀以降の出来事でした。



労働者階級よりも経済的余裕を持った中流階級の家庭では1920年代に、それまで家事労働を担っていた使用人のなり手不足が深刻化し、電気やガスによる家事削減での家事労働力不足解消の提案が行われました。様々な設備を導入するコストより、使用人の人件費の方が安い時代には使用人の労働力への依存が続きましたが、使用人を雇用できなくなったり、雇用しにくくなっていったりすると、設備投資や仕事を楽にしようとする試みが始まりました。



電気普及の主体のひとつには、EAW(女性のための電気協会)があり、家事総量削減のために当時の家事労働時間の比較(電気導入前・導入後)をして、削減できる数字を(独自の計算式ながら)発表し、電気普及に協力しました。同書によると、「水」と「ガス」の普及に女性のアクションは目立っていませんが、電気だけは女性が集合的・積極的に家事へ導入する動きを見せたそうです。



1935年でしょうか、電化されていない家は週26.5時間を家事に使い、電化すると7時間で済むという話ですし、1930年代には家事労働の時間の可視化を行う調査も他に行われました。



しかし、1948年までの家電の普及率を見ると、電気アイロンと電気室内暖房がメインで、他はあんまり高い数字ではありません。"電気は中流階級の女性や貧しい女性たちにとって最良の友"という1934年のコメントも出ています。結果としてこの年代の普及は知っていましたが、その背景のアクションに女性の関与があったという話は面白かったです。



ちなみに現代事情では家事労働は依然男女格差が歴然=OECD調べ(2011/04/13)と記事が出ていますし、その元になったOECDの資料は、Who’s busiest: working hours and household chores across OECDとなります。


調理・料理・燃料

英国での料理は「煮る・パン焼き・ロースト」がベースでした。魔女やファンタジーで見る吊るした鍋は囲炉裏的なもので、あの形態では複雑な調理器具が使えませんでした。そこから開放式の石炭レンジ→閉鎖式の石炭レンジを経て、ガスや電気調理器具へと至りました。



ガス調理器具の普及への始まりは19世紀後半と実用化からかなり間隔が開きます。その理由は電気会社・電燈の台頭でガス会社が脅かされ、新しい消費先を求めたことにも影響とのことでした。



パンを焼かなくなる、ビールを自家醸造しなくなる、というのも家庭の生産能力がアウトソーシングされる歴史の中で語られることですが、他に石炭の利用については流通が大きく影響しており、地域によって手に入れられる燃料に差が生じました。地産地消、というのでしょうか。



農村では乾燥させた糞の利用が根強かったりとの話や、スコットランドでは特に
ピート(泥炭)が使われました。動画探していたら、切り出しているところや、ピートを燃やしたものがあったので是非。







燃料の話では、過去の英国ではアメリカ的なストーブや温室にあったような温水管による暖房をあまり見ません。多くの人々は借家に住み、設備投資の問題でリプレイスされないままで、冒頭の話に戻りますが、メイドを使った方が安い時代は新技術に設備投資しない、という話もありますし、国民的な好みとして「暖炉」に集まり、みんなで「赤い炎」を眺めたいという願望も指摘されています。



しかし、お金持ち以外は石炭がもったいないので、暖炉で燃やすのは1室ぐらいという話でした。その都度、メイドがつけたり消したりしていたのでしょう。


照明の話

窓に課税された頃は家も暗く、日中の家事もそう考えると大変な状況でした。燃料に使われたのは、イグサを使った蝋燭、獣脂、蜜蝋、クジラの脂でした。これも出身地域で使える燃料に差異も出ました。ランプの燃料も漁村では魚やあざらしのオイル(十五少年漂流記)、植物油も利用。他に燭炭(cannel coal)も存在しました。



モミの木や、海辺では海鳥の脂なんて言う話もあり、近代にあって、都市化が進む前に多数を占めていた農家の人々は、材料を身近なところから調達して、家庭で使う品物を自給自足していました。都市の住む労働者はこうした資源にアクセスできないので、既成品を買うことになります。



そこから鉱物製のランプのためのオイル(石油など)が登場します。年代ごとに使えた照明の種類も違ってくるんですね。ただ便利な石油ランプでした。男性使用人が蝋燭やランプ類を扱い、フットマンやボーイが管理を行いました。管理が大変で、多くのランプを使ったRutland公爵家の屋敷Belvoirでは6人以上が専任でランプの清掃に従事しました。





他に、ランプの形態にも進歩がありました。それを促したのがArgand lamp(V&Aに所蔵)であり、さらにそのランプを改良したのがRumford伯爵です。石油ランプからガス照明、電気照明へと転換する中で、掃除の手間も減り、燃焼時の匂いも無くなっていきました。これだけでもガスや電気を導入する価値はあります。



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このようなご指摘もいただきました。確かに、銀の燭台や食器でのディナーは光の輝きも違っていそうですね。だからこそ、その銀食器の磨きが素晴らしいと、担当者の執事やフットマンが褒められたのでしょう。また、ランプや蝋燭の光で見る宝石の光も、現代と違うといいますし、その辺りは谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』にも通じるでしょう。



陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)





最後に印象的なのは、照明が自由に使えるようになって家事の時間が日中以降にしやすくなったとの話です。夜にも安価に照明を使えるようになったことで、家で過ごす時間も変わっていきました。



というところで、次回へ。


20世紀前半の英国でのメイドの移民(出入国)について

このところ、ほとんどこの[同人誌進捗]というタグを使わないぐらい、同人活動に特化した進捗がありませんでしたが、1年ぶりのコミケ参加ということで、少しずつ準備を始めましたので、その報告を。



前回、5月のコミティアで配布した『階下で出会った人々 英国メイドのいた時代の終わり』予告編は、今回扱う3章中の1章の冒頭部分ですが、ここも若干、見直していくつもりです。この週末は大まかなスケジュールを決めていましたが、資料の整理も行いましたので、メモ程度に残しておきます。


20世紀前半の英国発・海外移民としてのメイド

第一次世界大戦以前には、カナダやオーストラリア、ニュージーランドなど英国の影響下にある国々への移民が奨励されていました。受け入れる国々や家事労働者の支援団体は旅費を負担したり、家事教育機関を設けたりと、サポートを行いました。



受け入れ側の国はいくつか解決したい課題を抱えていました。第一に家事労働力の不足です。元々植民地だった受け入れ側の国々は人口が足りなく、現地で農場を営む家庭ではサポートを必要としました。第二に女性が少ないことです。現地の男女比バランスは悪く、家事労働者は妻としてだけではなく、英国文化や家庭生活を伝える担い手としても期待されました。



実際の待遇に差異はありますが、海外でメイドとして働けば、給与の上昇や社会的地位の上昇が期待されましたし、階級が下の人間というより、家族として迎え入れられることも期待されました。



第一次世界大戦以降も戦争による男性の死亡による女性の過剰や、高い国内の失業率もあって(元々深刻化していた英国内での家事労働者不足がありつつ)、待遇を変える海外での仕事への支援は続きましたが、1920年代後半になると世界的な不況に見舞われ、受け入れ側の国々での渡航費支援が中断するようになりました。高い渡航費の支援があってこそ実現できていた移民の奨励は、事実上、途絶しました。



一方、執事といった上級使用人や専門性が高いナース(特にNorland College出身者)はヨーロッパやアメリカの上流階級での雇用も期待できました。特に後者のナースはロシア貴族に仕えた話も残っています(ロシア革命に巻き込まれた話も)。アメリカの億万長者も、雇用主となりました。


20世紀前半の英国への海外からの流入

英国へのメイドの流入は幾つかの局面がありますが、古くから受け入れられていたのはスイス人やフランス人の侍女やナース、そしてフランス人シェフなどでした。ただ、その数は絶対数では小さく、1911年時点では女性使用人全体で1%以下、室内で働く男性使用人でも4%以下と言われています。



第一次世界大戦後は状況が変わります。国内では高い失業率があるものの、メイドの成り手は不足していました。男性の移民は規制を受けたものの、女性の移民はメイドを欲する中流階級の需要を満たすため、海外からの移民を受け入れました。



入国しての就業が自由だったわけではなく、家事労働者としての入国者は就業先(=ほとんどの場合は住込みなので)が変わった場合はその界隈の警察に届けなければなりませんでした。この申請自体は1920年代はそれほど大きなものではなく、年間1000〜1500件程度のようでしたが、特に1927年には第一次世界大戦で敵対したドイツとオーストリアからの移民も受け入れるようになると増加していきました。



状況が変わっていくのは1930年代でした。元々は労働省による移民受け入れ(+オペアの受け入れもあり)が、経済的な不況の深刻化とドイツ・ナチス勢力の伸長による難民なども「家事労働者として入国する」ことで入国を果たす動き(資格制限あり)が見られました。しかし、こうした難民は元々メイドを雇用できる中流階級出身者も多く、家事労働経験を持たず、英国での立場は難しいものでした。



英国の家事労働者不足を補うために迎え言えられた人びとは、第二次世界大戦開戦後は、厳しい敵意にさらされました。元々、海外移民は国内労働者の仕事を奪うものとして敵意を受けやすかったからですが、移民を疑う民意も根強く、敵国出身者はランク分けされて、スパイとして疑われての収容も行われました。


まとめ?

ざっくりと言えば、20世紀前半は「海外に機会を求めて出ていく動き」がありつつ、第一次世界大戦以降、特に恐慌期には海外からの受け入れが加速していき、政情不安が難民の受け入れ窓口としての家事労働への就業を可能としましたが、開戦後はその立場は英国内で敵意を受けるものもあり、その点では、『日の名残り』で解雇されたユダヤ人メイドたちのような立場も、少なくないものでした。



個人的には、海外出身の中流階級出身者、それもメイドを雇用しえた人々が英国内で難民として受け入れられるために家事労働の境遇を経路とする、というところが印象的ではあります。



また、こうした「自国経済の不況による海外への移民」は、受け入れる側の国々で働く人々よりも低賃金・低待遇で受け入れざるを得ない事情もあり、そのことが受け入れ国の労働者の就業機会を奪うと、敵意を受ける危険も伴います。英国でも、いわゆるゼノフォビア(外国人嫌悪)が生じました。



しかし、この構造は決して過去のものではなく、グローバリゼーションによる人の流れが加速する昨今では世界中で見られるものです。この点でメイドの歴史は現代も雇用が続くメイド自体の構造的な問題だけではなく、移民の受け入れを巡る受け入れ国の反応や事例としても、見直す価値があるものだと私は考えます。


参考文献

Life Below Stairs in the Twentieth Century

Life Below Stairs in the Twentieth Century