今日は3話から最終の6話まで一気に見ました。まさか泣かされるような展開になるとは思いもしませんでした。
これは★★★★★の映像であり、またそこで繰り広げられる「フィクションであるけれども、そこにいる人々のリアル」を巧みに映し出しています。
途中、何度かフィクションというのか、時代をエドワード朝に見せる為の演出(当時の新聞を読んで、その事件に反応するキャスト)もありますが、基本的には素です。
最初こそ、「人生を切り売りする」電波少年的な番組にこそ思えましたが、まったく違いました。
それぞれがいつのまにか自分の立場、役目に応じた視点を身につけ、見ている方も感情移入してきます。
特に興味深いのは、深い結びつきを見せていた主人と執事、女主人と侍女の関係性です。果たしてこれが素人による「ロールプレイ」なのかと、素人だからこそ、演劇では出せない重さと実感がありました。
真顔で、主人の男性は「執事と主人は二つの体、ひとつの心」とまで言い切ります。それほど、深い信頼の絆で結ばれています。このプロジェクトに参加するまでは一度も会ったことがない、他人同士が、です。
執事役の男性は孫もいるおじいさんで、建築家として働く立派な男性です。その人がここまで、今まで見てきたどの執事にも負けないほど(『日の名残』『Upstairs Downstairs』)の執事になりきっていました。これは番組の「状況設定」の巧みさではないでしょうか?
ラストシーン、それぞれが現代社会・各自が抱えている仕事に帰っていくシーンは、仲間との別れ、冒険の終わりをドラマティックに描いて、泣けます。
しかし、これは映画でも、ドラマでもありません。にも関わらず今までに見たどの映像よりも、主人と使用人、そして使用人同士の関係性を浮かび上がらせた、最高傑作です。
同人誌を作っていて、よかったと思います。こんな映像に出会えたことそのものを、感謝します。そして、このジャンルに興味を持つすべての人に、見て欲しいです。
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もちろん、三ヶ月間、重労働に従事した下級使用人の人々は感傷的な気持ちと同時に、大きな解放感があったと思います。泣き出したのは家族と上級使用人だけの感傷かもしれません。
それでも、もう完全に役目から解放された下級使用人・ハウスメイドのレベッカ(リアル・エマ:この人も恋人がいました)が屋敷を立ち去る直前まで、自分でも変だとわかりながら、玄関ホールにモップを掛けていたのは象徴的でした。
人はメイドさんとして生まれなくても、メイドさんとしての役割を果たすうちに、メイドさんになっていくのでしょうか?