ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

カントリーハウスのメイドである理由

自分の作っている同人誌は特殊な方かもしれません。メイドさんジャンルという分野でありながら、同人誌1巻目の主役はメイドさんではありません。主役は貴族とその屋敷であり、使用人と屋敷、その主人すべてが存在してこそ魅力がある、というスタンスでいるからです。



歴史上の事実として、こうした恵まれた屋敷に勤務できた使用人はごくわずかです。そうした少数を扱うことは、全体を見ていないのでしょうか?



そうとはいえません。



なぜならば、使用人を雇うようになった中流階級が模倣しようとしたのは、そうした初期から使用人を雇えた「屋敷の人々」だからです。すべての使用人の原点、といえば大げさですが、使用人を雇った多くの人々はその暮らしに憧れたと言えます。



ひとりしか雇えない家庭では、ひとりのメイドにすべてを背負わせました。しかし、「メイド・オブ・オールワーク」という料理・掃除・洗濯を任されるメイドの仕事内容を知るのには、あまり関心を持ちませんでした。「では、オールワークは、どんなメイドたちの仕事をひとりで任されたのか?」、それを知りたいと考えました。



というのは後付けの理論です。



最初に知りたかったのは貴族の屋敷や暮らしでした。調べていると、その暮らしが数多くの使用人によって維持されているのを知りました。「なんでこんなに必要なのか?」、そこにまず関心を持ちました。



使用人が、メイドさんがどんな仕事をしていたかを知るのは、そこで暮らす人々を知ることにもなります。また、屋敷ならばこそ存在しえる職種が様々に存在します。初めて仕事ごとのメイドの各種名称を知ったときは、驚きました。



メイドさんって、『メイドさん』じゃないの?」

「こんなに仕事ごとに名前があったの?」



それらを知ってこそ、それらすべてを任された「メイド・オブ・オールワーク」という現実の姿が見えてくるとも、今ならば思えます。



また、『Country House Life』の筆者の意見ですが、この筆者がなぜ『Country House』の使用人にこだわるのかといえば、そこには「一般家庭には無い」様々な環境があったからです。数多くの「上級使用人と、下級使用人」「男女」「インドアスタッフとアウトドアスタッフ」、これらの使用人の関係と環境は都市や小さな家庭ではほとんど見られないものであると述べています。



久我がその視点に賛成なのは、たとえばランドリーメイド、一般には単純に洗濯をするメイドとしてのみ知られていますが、これらの職種は実際にはもっと多様な姿を持っていました。詳細はこちらのコラムに書いていますが、カントリーハウスという視点を持たなければ、これらの事実には気づきません。同様に、使用人か数多くいる環境でなければ、使用人ホールや食堂の光景というものも、構成人員が少なくては成立しなくなってきます。(『エマ』3巻で描かれる使用人の暮らし・交流・イベントも、エマが最初の主人の家でひとりで働いていただけでは、描かれなかったものです)



ヴィクトリア朝という華やかさ、近代的な貴族、メイドさんという、それらのイメージの持つ要素がもっとも高いレベルで存在しえたのは、屋敷という舞台だと感じていますし、かつて働いた人で、そこでの暮らしを明るい思い出として振り返る人も多く、郷愁として語られてもいます。



都市や大多数の事実を無視するのではなく、その原型となったカントリーハウスのメイド職・使用人の仕事とはどんなものだったのか、自分はそこに魅力を感じています。自分が抱く関心を満たす著作に巡り合っていないので、資料本を作っています、というのが久我の立場です。また、その点で『エマ ヴィクトリアンガイド』とも光の当て方が違う、内容が被っていないとも言えます。



そして、この同人誌でメイドさんを描くのは、「屋敷においてこそ存在理由・必要とされる仕事があり、そこにいるのがもっとも映えると思える」からであり、働く姿や生活する姿を描くことに楽しみを見出すからです。



この理想を実現できているかはわかりませんが、読者の方に、この方面での「メイドさん」、そして屋敷という舞台の魅力を感じていただけるようになっていたら、幸いです。