ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

英語版wiki利用が身近になっていく&GoogleMapは歴史の授業に最適

元々、自分が詳しい領域においては、wikiは使わないようにしています。情報の精度や、その情報の根底になっているもののほとんどが、どこか他の資料に基づくもので、自分が専門とする領域では英書の総合書の方が情報レベルが高く、読みやすいからです。仮に使うとしても、イギリスがトピックのものなので、英語版のみです。



日本のwikiでは自分が詳しくない情報や、人名、そして小説や映画の話で自分が作品に接する時間がないものは利用します、というのが自分にとってのwiki利用状況でした。



これはwikiに限らず、そもそもネットの情報をほとんど使わないようにしていました。どこまで信頼に足るのか自分で検証しきれないからです。こう書くと、意外と古い考え方ですね。



ところが、最近、ネット情報利用が身近に感じる事件が2つありました。ひとつは、縁があって受講している大学のオープンカレッジの授業で、講師の方が英語版wikiの情報を補足資料として、配布してくれたのです。



情報密度や概要のレベルでは確かに優れていますし、自分の専門領域ではないので、とりあえずそういうものだろう、ただ人に伝える時は気をつけようと言うレベルで受け止めていますが、オープンカレッジとは言え大学で使うことや、そのわかりやすさに驚きました。



もうひとつ、2007年に出た資料本を読んだ後、該当テーマのwikiを斜め読みしていたら、その本で読んだ数字資料が出ていたのです。「あぁ、あの本参考にしたんだ」と思って、注釈を見たら、逆でした。その本がwikiを参考に(正確にはwikiのURLと、その根拠として取り上げている資料を併記)していたのでした。



結構しっかりとした本で、19世紀に刊行された当時の雑誌類を多く利用している本の中に、wikiのURLがあったことに驚きました。それ自体は歴史的な大きな流れを示すものではなく、エピソード的なものなのですが、それにしても、と感じいります。



オープンカレッジで、革命的に感じることもありました。古戦場の話をしたとき、GoogleMapの印刷物をいただいたのです。わかりやすいこと、この上ないです。



その後、Gamekeeperの手記を自分で読んだ時、領地から別の領地までの移動距離を算出したり、「この辺で狩猟をやったのかな?」と適当に領地周辺を見渡したり、楽しみました。



他にもGoogleでは、Google Booksを使いました。様々な一次資料を発掘することも出来ましたが、やはり「情報の多さ」と「検索精度」は悩みになります。時間が無限にあれば良いのですが、残念ながら有限であり、かつ他の資料との兼ね合いを考えながら、読む時間を作るわけです。



なんとなくGoogle Booksで見つけたとしても、その情報が本当に価値あるものかは、断片的にしかわかりません。また、単語の選び方も難しく、フィルタリングしきれないことも多いです。その点では今のように「総合書と、その参考文献」から広げるのが、効率的な手法だと思います。



ただ、その選択肢の中に、英語版wikiも、自分の中では追加されました。



以前、『The Times』のヴィクトリア朝を含めたバックナンバー記事が無料公開された(現在は有償に戻ってます)と紹介しましたが、結局のところ、膨大な情報を抽出し、必要な形に加工するには「自分が何を欲しているか」や「アウトプットの出し方」も含めて、知っておかなければなりません。



そうしないと、膨大な情報に振り回され、伝える形に落とし込めず、「価値化」出来ません。



最近はネット上でも自分に必要な、信頼に足る「一次情報」を見つけるようになってきて、嬉しい反面、時間の有限性と価値の創り方に、より頭を悩ませていきそうです。



尚、Google Booksに関しては批評家の東浩紀さんのグーグル問題が、面白い角度のコラムです。全部公開していないものでも、20%公開している本の場合、「その20%だけで判断されてしまう」危険性などを語られています。



自分でも、ある総合書で取り上げられていた「手記の一部」を読んだ後、それに興味を持って、手記を入手して前文を読むことは何度もありましたが、「その筆者を知って」「文章の前後を知って」読むと、全然感じ方が違うことも珍しくありません。



膨大な情報を組み合わせるだけでは「価値に出来ない」、しかしその情報がそもそも正しいのかどうか、どういう文脈かを判断するにも時間が必要、ということも考えると、専門領域で「人に伝えるために」何かを書くことは、依然として、昔のまま残り続けるのではないでしょうか?



ネットによって、オーソドックスなプロセスを経ずに膨大な一次情報と接してしまえるのは、その点では時間の無駄になりかねません。「誰がその領域で、価値ある情報をフィルタリングできているのか」を考えないと、あまりにも時間が足りなさ過ぎると思います。



その点では本の完結する価値は残り続けるでしょうが、ウェブで今後、そうしたフィルタのようなもの(一種の経験値)を公開していけたら、とも思っています。自分が伝えることで学ぶことも多いですし、ひとりで取り掛かるには、圧倒的な情報に対して人生の時間が短すぎるように思えますので。



ただ、それも英語サイトをもっと探せば解決するかもしれませんし、扱っているジャンルにも大きな差があるので一般化は出来ません。