ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

あんまり変わっていないところと、変わったところ

ちょうど救貧法や18世紀の使用人になった人たちの事情を調べていますが、勃興する中産階級側(勤労・規律遵守で稼いで実績をあげている人たち)の意見として、「貧困=怠惰=努力が足りない=自己責任」のような、勤労を尊ぶプロテスタント・ピューリタニズムの考え方が出てきます。



クローズアップ現代10月8日放送「“助けて”と言えない〜いま30代に何が」書き起こし - Imamuraの日記

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Imamura/20091008/help



これを読んでそれを連想しましたし、自分も30代なので他人事ではありません。



救貧法の制度自体は複雑で変遷もあり、自立支援や生活保護を手厚くしたら悪しき利用をする人も登場したり、財源が苦しくなりすぎて、制度が厳しくなる反動もありましたが、貧困を社会的な問題として捉え(少なくとも低賃金の労働者階級においては貯金が難しく、貧困が再生産される可能性が高い)、社会保険や老齢年金法も少しずつ、制定されていきました。古代ローマ時代の小麦給付との比較もありかもしれません。



日本もその影響を受けて社会保障の拡充が行われていますし、当時の労働者の賃金と比べれば確かにいろいろと良いところも増えていますが、100年後の人たちは今の時代を見て、どう思うのでしょうか。



老後の保障や、自分がいつまで健康でいられるかの不安は、使用人も同じでした。18〜20世紀のイギリスにおいて、メイドは労働者階級の娘たち(非熟練労働者)の受け入れ窓口となり、衣食住を与えられる住み込みとして働きました。しかし、給与は安いもので、引退(その多くは結婚引退)、いつまでも働きました。現代でいうところの、退職金のない人や、年金の見込みのない人(多分自分の年代)とは、そんなに変わっていないところもあります。



貴族に仕えた執事であっても、働き続ける環境を失えば、救貧院に送られます。ヴィクトリア朝においてそこは、入るのに苦痛を伴う場所となっていました。現代と過去を単純比較は出来ませんが、両者を比較することで見えてくることもありますし、今の社会保障を物語る専門家による言説も(ぐぐってないのでわかりませんが)きっとあるのでしょう。



最終的に、使用人そのものの構造的問題は英国では解消せず、その産業の衰退は他の仕事へ労働人口が流れることで決定的になりましたが、以前から感じるように、メイドを学ぶことは、働く自分とその社会を見直すひとつの視点になります。19世紀の新救貧法を巡る動きは、構造的にも似通っているように思えますが、もう少し足場を固めてから、また出版後に、この辺りは広げてみたい題材です。



100年前にブログがあったら、相当、すごいと思います。



最近読んだ本『自分をいかして生きる』で、会社で成果を発揮することについて刺さった言葉は、『力を発揮することや認められることの喜び、あるいは仕事にたいする愛をつかって、人間が利用されているだけの話なんじゃないか』との問いかけです。



自分がなぜ、そう思うのか? 何を根拠に何を感じているのか? 食べたもので、身体は作られているわけで、吸収できた知識で見方は作られているわけで、栄養が偏っていても食べ過ぎても足りなくても困りますが、そもそも知識についてはバランスが良い食事なんていう正解もありませんから、何を食べたからこうなったぐらいは自覚的でありたいです。



中産階級に存在したリスペクタビリティと、男性たちによる女性観の変遷を学ぶと、余計に、怖くなります。