ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『倒錯の偶像―世紀末幻想としての女性悪-ブラム・ダイクストラ』

倒錯の偶像―世紀末幻想としての女性悪

倒錯の偶像―世紀末幻想としての女性悪





最近、同人メイド関係で今までお会いしていなかった方にお会いしてみようと、酒井シズエ様、そして墨東公安委員会様とお話をする機会を持ちました。今まで、個人的に「自分が言いたいことは、同人で行う」をモットーにしており、人に会って話すとすっきりして創作意欲がなくなるんじゃないの(やや『化物語』の阿良々木君的発想ですが)、というのを危惧もしていました。



実際にお話をしてみると、自分では気づかないけれども知っていることや、相手の視点で見ると見えてくること、そして自分が伝えようとして伝わっていないことなどが見えてくるんですが、何よりも全員が長く(お二方は10年以上?)メイドジャンルに関わっているわけで、「あぁ、そうか。これぐらいの密度でメイドを話したことないなぁ」と、今更のように、思いもするわけです。



そこで墨東公安委員会様からお借りしたのが、同書です。(下記URLは同書の感想)

http://maideriapress.web.fc2.com/book/book099.html



元々、この本の存在自体は過去に自分の創作活動に言及いただいたときに知っていたのですが、まったくといっていいほど手を伸ばしておらず、この場でたまたまお貸しいただいたのも縁だと思い、読んでみると(まだ途中ですが)、19世紀の中流階級の男性による「女性観」の変遷が、これでもかというぐらい執拗に描かれていて、目から鱗が落ちました。


妻が労働しない+メイドの雇用=中産階級の証明

メイドを研究する上で欠かせない価値観のひとつが、中産階級に根強かった価値観「リスペクタビリティ」です。産業革命以降、社会が富裕化する中で、資本主義的な生存競争社会で働く男性たちにとって、妻を働かせないことは「自己の信頼性の担保」になりました。妻を働かせないだけ稼いでいる、というのです。



これには産業の発展も関連し、それまで家庭の主婦が担っていた生産的役割が商品経済やサービスのアウトソーシングによって失われていき、お金でそれらを買える経済層の女性たちに時間ができていったのですが(かつてこの辺りの「時間」はお金持ちの女性に限られた)、中産階級の増大によって、そうした女性が増えていきます。



経済学的には「顕示的消費」(衒示的消費)という、ステータスとしての消費(服を好みではなく、高級ブランドだからという理由で買うようなもの)の形態のひとつとされていますが、「妻を働かせない」ことは、男性の甲斐性として評価されるものとなっていました。



メイドは、その「小道具」になりました。メイドを雇える=妻が家事をしない=裕福、メイドを雇えない=妻が家事をする=裕福ではない、という図式です。自分は裕福である、社会的にも価値があるとの証明手段としてメイドは機能し、であればこそ中産階級が幅広く増大した際には、無理をしてでもメイドを雇おうとする動きも出たわけです。


本題:中産階級の女性像の変遷

この『倒錯の偶像』は、そうした1840年代以降の中産階級の男性の女性観を、同時代に描かれた絵画を通じて抉り出していく書籍です。興味深いのは、上記の実現のために、「女性像」が変化していった様子です。もちろん、女性がそうした「理想像の押し付け」に従う道理はありませんが、その従わない女性や目の前の「彼らの理想と異なる現実」に対して、女性観を修正していく変遷が、強調されすぎているように思えるものの、女性を抑圧する歴史や社会的行動を生み出すエネルギーになって、科学・哲学・文学といったものからも包囲していく様子が、なんとも凄惨です。



詳細は墨東公安委員会様の「現代のオタク文化やメイド考察と繋がる」(リンクは下記)一連の考察をお読みいただくのがよいと思いますので、自分なりの視点で以下は書きます。



で、これと以前買った『下着の誕生―ヴィクトリア朝の社会史』『世界服飾史』を重ねると、途中まで怖いぐらいに相互の作用、どちらが先かわかりませんが、影響を受けていった様子が見えてきます。まだ途中までしか読んでいませんが、『ヴィクトリア朝万華鏡』や、『騎士道とジェントルマン精神』など、絵画を通じて同時代を表現する事象を、時系列で並べると、相当面白そうです。



年代配分はざっくりです。


1850年代:尼僧:「家庭を守る天使」

中産階級の男性にとって外で働くことは大変な生存競争で傷ついたり、裏切りに出会ったりもする、という前提の下、求めていたのは彼らを癒してくれる家庭の天使、でした。妻に求められたのは家事をすることではなく、そんな夫を癒す環境を家庭内に作り上げる、使用人をマネジメントし、夫に従う貞淑な妻、という姿です。



不思議なことに、この時代に前後して流行していた「女性らしさを追及した」ファッションが、クリノリンです。緩やかなスカートは外見的には美しさがあるものの、動きにくいもので、女性の行動を制限するものでした。



女性自身がその流行を追いかけたのかもしれませんが、男性の理想像に合致する女性のファッションが受け入れられていたことは、どこか慄然とするものがあります。『下着の誕生』では『倒錯の偶像』を参考文献にしており、この「男性観と、女性のファッションの変遷」を描ける立場にあったと思うのですが、これらの関連性の考察が一切無いのが、残念でした。ただ、当時の女性の結婚事情=職場が無い・働けない・自立できない環境=結婚への依存度が高い、という流れが書かれていたので、男性の求める像に女性が合致することは、生存確率を高める行動としての結婚の流れで、組み込まれていたのかもしれません。



尚、女性をこのように祭り上げる様子は「美化された中世騎士道」にも見受けられます。ヴィクトリア朝は意外と騎士道が流行しており、やがてそれらはエリートの軍国主義的傾向にも通じていくことですが、相互に時代性は関連しているような事例になるでしょう。



ヴィクトリア女王の即位に前後して盛り上がった騎士道精神は、「馬上試合の再現」(雨で中止)を企画させるほどで、ある意味、オタク的な行動ではありますが、現実を美化するイメージがなぜ流行して、相互に関連していくかは興味深いところです。


1860年代:自己犠牲・病弱・眠り

家庭の天使とされた女性たちは、「家庭の閉じ込められた結果」を証明する為に、「病弱・肌が白い・繊細」な姿で描かれていきます。そして家庭の天使としての彼女たちは「病」すらも、消費するようになります。



当時の侍女のマニュアルで読んだ気がするのが、「女主人が本当に病なのかどうかを見極めること」というのがあったと思いますが、現代でもいるように、「病気・体が弱い」(実際はそうではないとしても)ことを物語り、「消費」することは、男性が「それを支える」ことができる、証明にもなりえたのです。



そうした価値観を反映したものとして、女性像が絵画に描かれていく、のです。



少し年代が前後しますが、ここでもファッションとこうした女性像が結びついているように見えます。コルセットの着用です。コルセットは女性のシルエットを細く美しく見せるとして流行しましたが、あまりにきつく締め過ぎたり、痩身への憧れが強くなりすぎることもあって、不健康になっていくことが批判されます。



ここでも重なりますが、これって男性が求めるイメージへ、合致していく動きにも見えるのです。女性が美しいと思って主体的にファッションとして消費しているものが、男性の価値観に影響を与えたのか、男性が美しいと思って妄想を描き出したものに当てはまるように女性がそれを取り入れていったのか?



面接で気に入られようとして、面接官の好みの回答をしたり、リクルートスーツで回ったりするのが連想されます。そうか、その点ではヴィクトリア朝マナーマニュアルも多い感じですね。



『倒錯の偶像』では、因果関係の主体は男性と断定されているようですが、そこについては自分の読み込みが足りないとは思うものの、説明が欲しいという思いがします。


1870年代:不健康・狂気・死

不健康像を押し付けられた現実の女性たちは、実際に抑圧されて不健康になっていきましたし、その末に用意されていたのは「狂気・死」というものでした。どんどんとエスカレートとしていくというのか、大部分には「理想的ではない」現実とのギャップが、女性に押し付けられていくのです。



厳密には年代が分かれていませんが、ざっくりと見ていきます。個人的に好きな画家ジョン・エヴァレット・ミレイ、その代表作の『オフィーリア』が日本の美術館に来日した折は見に行きましたが、実はこれらの絵画も、筆者のダイクストラ曰く、男性の「女性観」を代表するものなのです。



最初こそ疑問に思っていたものの、出るわ出るわ、という感じで、他にも同時代を描いた絵画が存在することが前提とは言え、ある種の「学派」的に国境を越えて「その時代の女性の美しさ」が共有され、波及されていく様子が、ダイナミックに描かれています。


絵画の映す時代性

全体的にもヴィクトリア朝は「取り澄ましている」ともいわれることがありますし、「女性の性欲は悪」のような雰囲気もありましたが、そこに当惑した男性たちが聖母像→病弱……と、最終的には女性の社会的進出に抵抗するかのように、絵画の中では女性を従属させようと様々な表現が研ぎ澄まされていく、その繰り返しとなっています。(本書ではないものの、売春が盛んだったのは、妻に貞淑の理想を押し付けた結果、とも同時代はいわれています)



以降の年代も似たような状況が続きますが、絵画を見る目が、少し変わってきます。以前、『ヴィクトリアン・ヌード展』という、ヴィクトリア朝の女性像を扱った展示会に行ったことがあります。



そこでは、年代ごとに女性のヌードが描かれていますが、当時は性表現に対して抑圧的だったので、同時代ではなく、「これは中世の話」「リアルではなく、古代の話」と、神話や古代の歴史に題材を求め、オリエンタル趣味も反映されていったとの流れで紹介されていると思いますが、これらも、ダイクストラの目を通じると、女性の対する当時の男性の「抑圧的」価値観を神話的に、当時の科学的(進化論・優生学)に、宗教的に、哲学的に包囲していった「結果」を読み取って見えるのです。そしてそれに説得力を感じるものがありました。



本当に、すさまじい包囲網です。



ヴィクトリア朝におけるメイドたちは「ステータス」として用いられた側面もありますが、「女性として」どのように見られていたのかは今のところ見つけていませんし、全部は読み終わっていませんが、男性の女性観ばかりではなく、「男性の男性観」「女性の男性観」「女性の女性観」など、「自分が当たり前に受け入れているかもしれない価値観・視点」が、どのような経緯で埋め込まれているのかを知る・振り返る、のに格好の書物だと思います。



自分では考察し切れませんし、読みきれませんし、そもそも「そうした絵画の中に秘められた価値観を読み取れる受けてがヴィクトリア朝にいたならば」、それは同じ作品を見ても分析の深さが異なるオタク的消費に通じると、墨東公安委員会様・鏡塵様が指摘されています。(ちょっと正確性が高い理解でお伝えできているか分かりませんが) 作品がどこまで意図的なのか、無意識的に書かれたものなのか、そしてそれらが集合すること・言い続けられる・相互に「空気を作る」ことで、「現実になりえる」かもしれない怖さも、感じた次第です。



世紀末のアニメで言えば、『エヴァンゲリオン』をダイクストラ的な眼差しで見るのは面白そうですね。これは先述の鏡塵様のポスト(おらといっしょにぱらいそさいくだ(せっかくだから有効活用・6))で、題材にもされていますが、この辺りは専門家や批評家の方にお任せしたいと思います。現代表現されているマンガやアニメ、映画、ドラマなどの男性観・女性観は時代性を反映するものでもあり、今を見る視点としても欠かせないものです。



ただ、当時の絵画を多く見ている立場として、当時を代表する絵画や画家が抜け落ちていることも目立つので(雑な言い方ですが『パンチ』は存在しないですし、人気のあったフリスも不在:フリス自体は批評家の対象外的扱いをされていますが:作品が「その時代の代表」なのか、それ以前にまったく存在しなかったのかなどが曖昧:これは自分に返る言葉ですが)、「時代のすべてを代表する」という観点ではなく、「その流れが存在した・描き出せた」との目線で理解をしたいと、個人的には思っています。観察者である「中産階級の男性像」が、説明無く前提となりすぎているようにも思えるのです。ここは自分がより当時を勉強すれば、解消すると思いますが、その点では読む側にも多くの負担を強いる本ですね……



これらがすべて本当かは読者の判断に委ねられるのは、すべての書籍において同一ですし、筆者が伝えたいことを伝え切れているかも筆者の説得力によりますが、いずれにせよ「パラダイムシフト」的で、絵画や同時代の作品を見る目が少し変わる本ですし、ここで描かれたストーリーは、圧倒的です。



社会進出が阻まれていた女性と、その女性への強力な偏見が存在したヴィクトリア朝の価値観の一部を描き出した、良書であることに間違いはありません。


余談:メイド研究における視点の変化

何かを研究する際には自分自身の視点も出ていますが、最後に面白かったのは、酒井様と墨東公安委員会様との会話の中で出会った言葉です。「久我のメイドを見る視点」を聞かれた時、「主人としての目線:仕えてもらう主人・お嬢様」なのか、「メイドとしての視点:主人に仕える立場」なのか、それについて自分がすぐにいった言葉が「同僚」、そして「部下・上司」でした。それは、自分には大きな発見でした。



自分がなぜそう思うようになっていったかは会社勤務の経験もあるからだと思いますが、研究者によって視点が異なることは面白いですし、いろんな見方で世界は存在していく、そして自分が照らす側になることの責任も自覚として出てくるわけで、それもあってしっかりと考えは深めたいと思います。


関連書籍

騎士道とジェントルマン―ヴィクトリア朝社会精神史

騎士道とジェントルマン―ヴィクトリア朝社会精神史

ヴィクトリア朝万華鏡

ヴィクトリア朝万華鏡

世界服飾史

世界服飾史

読んでみたい

近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)

近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)