ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

メイドの可能性を広げて「接点」を響かせる

※この日記は「『英国メイドの世界』で描けること・描きたいこと」の一項目です。


メイドが扱いえるテーマの広さ

「メイドの可能性を広げる」とは、これらテーマを通じて照らしえる領域の広さを示すことです。私は今回の書籍を通じて「ゼロからメイドに興味を持つ人を増やせる」とは思っていません。それは、とても難しいことです。しかし、同人活動を続けて分かったことがあります。何かしら、その人が既に関心を持っている領域や興味ある事項と「メイド(が関連しえるテーマ)が接点を持っている」との新しい照らし方を行い、その人自身が既に持つ関心に響けば、興味を持ってもらえることです。



このことに気づかせてくれたのは、同人イベントでの体験です。2003年夏に参加したコミケで、私は多様な関心を持つ方々に出会いました。メイドが好きな人や屋敷が好きな人が本を求めると思っていましたが、そこに留まらず、「イギリスを旅行して屋敷に興味を持った」方や、「大学時代に英文学を勉強していた」方、メイドコスプレの参考にしたい方など、私が思っていなかった形で本を手にされる方とお会いできたのです。



まったく別々の物に見えることが、実は繋がっていると知ったとき、不思議な感覚を覚えます。人でたとえると分かりやすいですが、実は同じ学校出身、地元が同じ、好きな作家が一緒、同じ時間に同じ場所にいた。SNSでなじみの方も多いと思いますが、互いに「共通点」が見つかるのは気持ちがいいものです。私は自分が意図しなかった形で本が読まれることを通じて、この「見えない繋がり」の可視化をとても面白いと思いました。


「働くこと」を接点に『英国メイドの世界』を見る

今回の出版に際して、私は「私が扱いえる領域のテーマ」と、「読者となるかもしれない方々」との間に、その「縁」のような結びつきを見つけ出し、気づいて欲しいと考えています。「メイドは名前だけ知っているけど、自分にどうして接点があるの?」と思われるかもしれません。しかし、多くの方は、私がコミケで出会った方々のように、実はメイドや執事と接点となりえるテーマを持っています。



「働く」ことです。



以前、メイドや執事の労働環境と、階級の違いによる差異(2009/11/07)という日記を書きましたが、普段メイドに関心を持たない(と思える)方からも感想やブクマをいただけました。「労働環境」が、時代を超えて関心を持ちえる領域になるからです。



就職や転職も、メイドの世界では当たり前の出来事です。以下は第一次世界大戦前からメイドの仕事を始めた、実在の女性ウィニフレッド・グレースのコメントです。




『女中奉公をして出世しようと思えば、道はただひとつ、注意深く辛抱強く勤めて、いい紹介状を貰うことです。キッチン付きの女中ですら、努力すれば道は開けます。最初はコックの下で野菜の掃除、皿洗い、キッチン周りの掃除などをしていても、そのうち同じキッチン付きの女中でもずっと条件のいい職があるかもしれない。もしコックが病気になり、そして一人前に料理のできることがわかれば、代役だってあり得る。コックが辞めれば、そのまま昇進です。コック兼ハウスキーパーと言う道だってありえます。とにかく一歩一歩注意し、他人を押しのけず、ちゃんと目を開いていれば、チャンスはやってくるものなのです』

『イギリスのある女中の生涯』P154〜155より引用



イギリスのある女中の生涯

イギリスのある女中の生涯



出世・昇進という言葉が出て来るように、メイドは転職を繰り返し、より待遇の良い職場を目指しました。一家に長く仕えることがあったとしても、それは待遇が良いからで、多くは昇進や昇給の機会を得られず、見切りをつけて職を転々としました。しかし、頻繁な転職はマイナスにもなりました。



また、2009年夏に作った『英国執事の流儀』という同人誌では、中間管理職・マネジメント的観点で執事の仕事を照らし直し、組織で働く人へ興味を持ってもらうことを目指しました。



私の念頭には、私のようにマニアックではない友人たちに読んでもらえるか、関心を持ってもらえるかが常にあります。こうして「接点」を描き出すことによって、メイドに関心がない友人とも、私はメイドの話ができます。


テーマの多様性・受け手による可視化

私が尊敬する高山宏さんは、ひとつのテーマが多様に捉えられる性質を「ambiguity」と解説されています。メイドに代表される私が扱う領域はこの「ambiguity」を備えていることを示し、話題にできる領域を一つでも増やしていくことを私は目指していますし、今後広げて行きたい領域をこれから更新する日記で示していくつもりです。



そして、本を出すことによって多様な受け手に出会い、私の本がどのように捉えられているかを学び、そこから視点を広げたいとも思っています。ソーシャルブックマークは私にとって、気づきのひとつにもなりました。記載された記事はひとつですが、受け止め方は多様で、そのことが可視化されているからです。



その点で、私の活動自体が、「メイド」「執事」「家事使用人」「屋敷」「ヴィクトリア朝」というコンテンツに対してのソーシャルブックマーク的な活動かもしれません。


現代との接点・私の関心の広がり

最後に、私的な経験から照らしえる領域の広がりについて書きます。私は元々、英国の家事使用人にしか興味を持っていませんでした。しかし、いつのまにか、現代との繋がりが生まれていました。



偶然ですが、私は現代のメイド事情と少なからずすれ違っています。以前通っていた英会話学校の先生がフィリピン出身でした。フィリピンはメイドを大勢送り出す国です。経済格差で教育を受ける機会が乏しい子供たちの支援をしていると、先生は言っていました。



さらにフィリピンのメイドを迎える国のひとつである香港に、大学卒業後10年会っていなかった友人が赴任すると言うことで、去年会いました。彼からは香港のメイドの住環境、休日の様子、そして雇用の事情を聞きました。



そしてもうひとつ、以前勤めていた会社で4年ほど前に、先輩と「これからは高齢化社会→介護で海外から人が来る→日本に住む方向けの情報サービスはどうか」と話したことがありました。現在、フィリピンとインドネシアからの受け入れが進みつつあります。



また、英国において家事使用人の雇用が社会全体に広がる現象は終息しましたが、1980年代以降、新自由主義による規制緩和、女性の社会進出などの影響で家事・育児の時間が減少し、家事サービスの利用者が増えました。経済格差やグローバリゼーションが新しい供給源を生み出し、現在家事サービス(企業所属者含む)の労働従事者はヴィクトリア朝以上ともいわれています。私は「終わった時代」を学んでいたつもりでしたが、現代に繋がっていました。



今、メイドがいる時代を生きていると。



そのすべてにどう向き合うか、私自身に答えは出ていませんが、スティーブ・ジョブス的に言えば「ドット(点)」が私の過去に存在しているので、それを結んで私自身の未来に繋げていけるのではないかと思っています。そして、過去と現代のメイド事情をどのように結ぶのか、そして現代日本における「メイド表現」をどのように結べるのかの答えを、探しているところです。



どこまでできるかわかりませんが、"Stay foolish"でなければできないこともあると思うので、言葉にしました。