ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

メイド・執事、使用人の規律・訓練、フーコー的観点

メイドや執事といった使用人の歴史を学んでいて、以前から疑問に思っていたことがあります。ヴィクトリア朝に見られる、上級使用人と下級使用人の間に存在する厳しさ、「規律」と、分業制度に見られる細かな役割分担はいつ始まり、どこから来たのか、という観点です。



規律でいうと、たとえば上級使用人がいる昼食の際に下級使用人はおしゃべりを禁じられています。また、下級使用人は先に食堂となる使用人ホールに入り(遅刻現金)、上級使用人たちは後から並んでホールに入ってきます。そのとき、下級使用人は規律して上級使用人を迎えました。



食事中の沈黙については、同時代から見ても不可思議なことだったと、19世紀後半から使用人となったEric Horneは語ります。ある屋敷に勤めていた頃、彼は父の訪問を受けました。屋敷の執事は父を歓待しますが、その食事の席で父が冗談を飛ばしても誰も反応をせず、不思議に思った父にHorneがあとで事情を説明しました。



屋敷の中は大勢の人間が働き、細かなタイムスケジュールも決まっていました。主人が生活する空間では「姿を見せるべきではない」「声を出すべきではない」とされた使用人にとって、上級使用人による規律の徹底は意味があったのでしょう。



こうした規律への順応と同時に、使用人は実務の訓練を受けました。誰かに何か仕事を任せ、上位者の指示したとおりに果たさせる。訓練として、上級使用人は主人に接する前の見習いの若手を、自分自身の使用人として、身の回りの世話もさせました。さながら主人のように、上級使用人は下級使用人の上に君臨しました。



仕事を果たす上でもう一つ重要なのが、分業制度です。たとえばヘッド・ハウスメイド、セカンド・ハウスメイド、あるいはファースト・フットマン、セカンド・フットマンなど、大きな屋敷で大勢のスタッフが所属する職種では、職位によって給与と仕事の役割が違いました。個々の職位にどのような業務を割り振るか定義したのが主人であったり、屋敷に残るマニュアルであったり、執事やハウスキーパーの上級使用人でしたが、こうした職位の制度による分業は、私には極めて現代的であるように思えます。しかし、発想はどちらかというと逆で、現代の会社システムが過去に存在した組織を模倣しているのが正解でしょう。



では屋敷はどこから影響を受けたかというと、商業組織として18世紀には存在していた工場や商業施設、さらにさかのぼれば軍隊、というとことになるでしょう。貴族の屋敷に始まる大規模な使用人の雇用の歴史は、権力者の下に有力者の子弟が集い、有事の軍隊、平時は使用人というような形態をしていました。



19世紀初頭の貴族の屋敷の使用人は、少なくとも、規律重視の影響を受けた時代よりも自由でしたが、中流階級の雇用主が増えるに従って、屋敷にも規律・訓練・時間厳守という産業を支えた概念が大幅に取り入れられていったとの指摘がされています。



規律・訓練・分業。この考え方は私にとって馴染んだものでしたが、19世紀の屋敷で確立していった価値観の根源を求めていく中で行き当たったのが(たまたま知人に示唆を受けて)、フーコーの『監獄の誕生』でした。



監獄の誕生―監視と処罰

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フーコー入門 (ちくま新書)

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生と権力の哲学 (ちくま新書)

生と権力の哲学 (ちくま新書)



最近、フーコーの関連書籍を読み始める中で特に印象的だったのは、詳細に決められた時間割と、人間の行動を規定して従わせる「規律・訓練」でした。その一部は使用人の世界に見られたものに類似しており、「定義した業務を、時間通りに、そして雇用主の決めたルールに基づいて行わせる」点で、重なりが多く見られました。フーコーの分析対象として使用人組織は上がっていませんが、少なくとも、使用人の組織構造も、少なからず同時代の影響は受けていたと考えられます。



"Discipline, discipline, discipline."(規律、規律、規律)



この言葉は、20世紀初頭のエドワード朝での屋敷の暮らしを再現したドキュメンタリー『マナーハウス』で、執事の役割を担った男性が部下となった若い使用人たちの行動を嘆いたときに呟いた言葉です。今にして思うと、フーコーが『監獄の誕生』で描き出した、象徴的な言葉が使われています。







フーコーの話はまだ私には分からないこと、未知なことが多く、現在消化中ですが、近代に成立した価値観の延長線上である今を生きているので、今後も広げて行きたい領域です。特に、ヴィクトリア朝フーコーの研究領域との重なりが多くあります。(国勢調査、救貧院、福祉国家の誕生という考え方についても)



知への意志 (性の歴史)

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狂気の歴史―古典主義時代における

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ヴィクトリア朝の生権力と都市

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とここまで書いておきながら、分業制度はまた別の話となりますし、こちらはアダム・スミス的なところもありますので、別途、調べていきます。使用人の歴史を学ぶことは、様々な領域に繋がっています。