ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『MANOR HOUSE』は、ヴィクトリア朝/クラシカルメイドの「高速道路」

タイトル長いですね。



永らくヴィクトリア朝メイドの資料を勉強している者の感想として、資料的価値が非常に高いものが一般化していくことは、伝え切れなかった価値が広く伝わって嬉しくもあり、また自分自身の存在意義や意欲を弱まらせるものでもあるので、哀しくもあるのです。



大好きなものを、わかってくれる人が増える。



その反面、自分自身があえて伝える役割を失っていく。



『エマ ヴィクトリアンガイド』を嚆矢として、『ヴィクトリアン・サーヴァント』『図解メイド』と、メイド成分が非常に高い本が商業レベルで出版されたことにより、正直なところ、同人レベルでメイド資料を作る人の数は減ったと思います。



あえて労力を極端にかけずとも、メイドの情報が手に入るようになったと言えるからです。



今回、最高の映像資料『MANOR HOUSE』までが販売されることで、ようやく「ヴィクトリア朝や屋敷やメイドの真価」を多くの人が享受できる形時代が来ている、そう感じます。




この作品と「ヴィクトリアン・サーヴァント(英宝社刊)」
があれば、メイド漫画が描けると思います。

みなさん是非描いてください!

(森 薫/漫画家)

MANOR HOUSE』のチラシより。


「是非描いてください!」という森薫先生の言葉は、そうした「資料による研鑽が無ければ描けなかった世界が、一般化したことで、誰にでも描ける」「『メイド』の創作のレベルが上がる」ことを示唆していると思います。そして「森薫先生も読者として、自分が描くしかなかったメイドを、読者として享受できる」のを楽しみにしているのだと。



もっとも、あくまでも上記資料を手にしたとしても、それは優れた参考書の一冊であって、すべてではなく、森薫先生が重ねてきた時間、優位性が失われるものではありませんが、ふと、将棋の羽生名人が述べた「高速道路論」を連想しました。



はてなダイアリーの読者ならば誰もがご存知と思いますが、『Web進化論』の梅田望夫氏の紹介で広く知れ渡ったのが、「高速道路論」です。



将棋の世界においてインターネットの普及により、成長の速度は著しく上昇し、高速で駆け上がっていく人が増える。しかし、その出口においては混雑が生じ、抜け出すのが用意ではなくなる。そういう理屈です。



ヴィクトリア朝メイドに関わる創作」の世界も似ているかもしれません。



「今までは資料の準備から始めなければ本格的なものが作れなかった」時代が終わり、「ある程度のコストで、作品が数多く誕生しやすくなる」のです。森薫先生にしても、もとなおこ先生にしても、参考文献や蔵書は尋常ではありません。



しかし、入手しやすく高レベルの様々な資料の登場により、「創作メイド」の敷居が下がっていくのも事実です。どちらかというと、「資料が簡単に手に入るから、創作のレベルが上がる」ことを期待していますが、普及はすなわち、陳腐化も招きます。今まではかなりの労力を費やさなければ作品は生まれませんでしたが、「ある程度のモノ」が、あふれてくるのではないかと。



そのことの是非はわかりませんが、将棋同様、そこから抜け出すのは大変でしょうが、その一方で、読者がそこまでを求めているかどうか、と言う問題もあります。抜け出す必要など、無いのではないかと。



こう考えると、創作におけるメイドも、本格なのかコスプレなのかで混沌とするメイド喫茶も、似ていますね。既に、「メイド」と言う言葉が一般化した昨今、メイドの姿も多様化し、様々なシーンに登場します。



こうした時期にようやく日本に普及するかもしれない『MANOR HOUSE』は、メイド界の飽和状態における最後の輝き/バブルの頂点になるのか、黄金時代の幕開けとなるのか?



ヴィクトリア朝メイド・クラシカルメイドの領域におけるこうした本格的な資料の登場の先、高速道路の出口に何が待っているのか、まったくわかりません。このジャンルにいながら、メイドがこれほど盛り上がるとも、思っていませんでしたし、『エマ』アニメ化第一期がピークだとも思っていました。しかし、その先があったのです。



『エマ』8巻の盛り上がり、アニメ化第二期。そして、『MANOR HOUSE』。要素は十分です。今年は果たして「メイド元年」なのか? それとも、最後の輝きなのか?



『終わりの始まり』か? 『始まりの終わり』か?



というような思いがあって、このような文章を書いてみました。感覚が先行して、論考としては不十分ですが、そのうち書き直そうかとも思います。