ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

伝えても伝わらないけど、伝え続けないと伝わらない

ネット上での情報の広がり

はてなカウンタを見ていたら、ここ数日、流入が増えています。



前に日記で書きましたが、以下の流れから更に流入が生まれているようです。



魔界都市日記


独り言以外の何か


かーずSP


MOON CHRONICLE

ふぇいばりっとでいず

いわゆるクチコミみたいなもので、どこか有名なブログが取り合げれば相乗効果で広がっていく、と言う感じですね。今回の場合、「魔界都市日記」様で取り上げられなければ、その先は派生しなかった、と見ることが出来ます。この辺、ニュースサイトを研究されている方が詳しいでしょう。


同人誌もマーケティングが重要な時代

以前、同人誌について書いたかもしれませんが、「どんなに価値があると自分で思っていても、見つけられなければ、読まれなければ、価値が無い」と久我は思っています。



様々な情報が膨大にあふれ出て情報を探すのが見つけにくい状況と、多様な選択肢があって全員が「すべての領域」において情報検索のエキスパートではなく、時間も費やせない状況がある中、何かを伝えたいと思うならば、「いいプロダクト」を作るだけではなく、伝えられる場所を探したり、見つけてもらう努力をしなければなりません。



今回取り合げられた記事自体は2006年に書いています。つまり、記事の内容は「同じまま・以前から変わっていない」状況です。取り上げて下さった方から「紹介してもいいかも」と思われる何かがあったと思いますが、「見つけられたのは、1年以上後の今になって」なのです。



今回のケースでは、「検索エンジンの結果」ではなく、まず「魔界都市日記」様というニュースサイトのオーソリティがいて、「そこに載った情報ならば読む価値がある」と、次に続く方々が判断し、リンクを貼ってくれたことだと思います。



こういうのは、同人誌即売会コミティアのパンフレット「ティアズマガジン」に似ています。「ティアズマガジン」ではコミティア関係者や読者投票などで、サークルの作品をプッシュします。これによって、初めて接する同人誌・読んでみたくなるサークルに出会えます。



そうした集約された情報、「ティアズマガジンで紹介しているなら」というオーソライズの効果は読む側にとって、「楽して情報収集できる」価値も与えてくれますし、サークルには「新しい読者と出会う機会」もくれます。



何を言いたいのかわかりにくくなってしまいましたが、同人活動でも表現活動でも「素晴らしいコンテンツを作れば」取り上げられる可能性は高まりますが、少なくとも「見つけられやすい場所」に自分から出向くのは大事ではないのか、特に低コストで宣伝可能なウェブは、同人活動におけるマーケティングの場として、有効なのではないかと思う次第です。


埋もれない為の努力・自分の価値はどこにある?

ただ、「金をかけて宣伝しろ」というものではありません。



自分自身の作品が「他の本とはどう違うのか?」、そこをしっかり伝える継続的なブランド作りをしていくことが大切です。久我の場合、当初は「同人会場に無かった、自分が欲しい資料本」から同人活動を始め、やがてはベンチマーク的な存在が誕生したことで、「『エマ ヴィクトリアンガイド』と戦える同人誌」を標榜しました。



傲慢に思えるかもしれませんが、事実として「方向性が違う・重なりが少ない」ことから、「戦える」自信もありましたし、「同人ジャンルの方がメイドの歴史を先に取り上げていた。だから負けるわけには行かない」との矜持もありました。



実際に自分がどこまで価値を作れたかはわかりませんが、あれが契機となって、『エマ』で開拓された読者層と出会えたのは事実ですし、そこでより知りたいと思った方向を久我の同人誌で満たしてくれたと、語ってくれる読者の方もいました。



もしも相違点を明確にしなかったら、『エマ ヴィクトリアンガイド』のインパクトに埋もれた可能性は高かったと思いますし、今のように活動していなかったはずです。



もちろん、今回のニュースサイトでの紹介のされ方は「久我の同人誌」(メイドやヴィクトリア朝)とまったく関係の無い、コミケ・サークル参加観点のものです。その意味では、伝えたいことが伝わったとはいえません。



しかし、同人活動という活動自体の魅力が伝わり、失敗談が参考になるのは、嬉しいことです。また、今までメイドに興味が無くても、書いてあることに興味を持つことで、サークルに足を運んでくれる方がゼロ、とも言えません。



ひとりでもそういう人がいてくれれば、幸いです。少なくとも、1年以上話題にならなかったものが話題になるのは、不思議なことで、人ひとりの意志にある意味で干渉し、実際の行動をさせる、と言うこと自体は大変興味深い活動なのではないかと。