ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

様々な始まり〜きっかけは偶然や奇跡でも、最後は自分次第

上の話に続きます。



最近思うのが、こんなに情報があって、生き方があって、それでもどこかで偶然出会い、知り合うのは、奇跡だということです。この前、ふと「なんでこんなにカラオケ好きになったのかなぁ」と振り返ってみると、偶然としか思えない出来事が続くのです。



「高校時代の友人が、卒業後に、『炎の転校生』がカラオケにあるよ」と教えてくれたのがきっかけと書いたことがありますが、でもどうして『炎の転校生』がそんなに大事なのか、の話はしていませんでした。



高校時代、同じクラスのメンバーでオススメマンガをシェアするのが流行しました。横山光輝三国志』を筆頭に、各自がオススメマンガを持ち寄りましたが、そこに久我は『逆境ナイン』を持っていき、多数の島本ファンを生み出しました。



なぜ島本ファンになったかと言えば、当時、パソコンを買った久我はアスキーのパソコン雑誌『ログイン』を買い、そこで島本先生が連載していた『インサイダーケン』にはまり、「他に作品が無いの?」と探したところ、連載していたのが『逆境ナイン』なのです。



さらに当時、無謀ともいえた世界初のOLA(オリジナル・レーザーディスク・アニメ)で『炎の転校生』が作られていたのです。久我はレーザーディスクを持っていなかったので、まずは『炎の転校生』のコミックスを買おうとしたのですが、その時点で絶版でした。



しかし、当時の久我は「だったら古本屋に行けばいいんじゃないの?」と、タウンページで古本屋を調べたり、神田神保町の古本街に赴いたり、必死に探しました。その結果、『炎の転校生』を入手したときの喜びは筆舌にしがたく、まだ当時の光景を覚えています。



その当時入手できたのは1〜7巻までで、残りは何ヵ月後かに神田の古本屋で12冊セットを見つけて重複を覚悟で買いました。



さらに『炎の転校生』のCDを買ったり、結局OLAが売れずにOVAとして出たビデオを買ったりして、久我は「島本和彦ファン」として成長し始めました。そして、その時間を共有していたのが前述の友人でした。



その友人にとって、久我がいなければ「島本作品と出会うことは無かった」

久我にとって、その友人がいなければ「カラオケに出会うことは無かった」



「もしも島本作品に出会わなければ」、その友人と今も続く縁を持つことも無かったのではないか、とも思うのです。その友人と一緒のクラスだったのはわずか1年で、部活も全然違いましたが、様々な機会で時間を共にして、多分、それは生涯続くでしょう。



カラオケが好きになったおかげで大学時代の友人とも楽しみが広がりましたし、彼らと一緒に行ったカラオケで聞いて、興味を持ったアーティストも数多いです。足繁く通うようになって、歌や声に興味を持って、今は社会人向けのボイトレにも通っていますし、久我のそんな姿を見て、通うようになった大学の友人もいます。



「人生をもう一度やり直せる」としても、まったく同じ友人を得られるか、同じ趣味をもてるかは、わかりません。自分がオタクになったルーツや、何かに興味を持ったルーツ、どうして友人と出会ったかのルーツを知るのは、面白いと思います。



少なくとも、ブログを始めなければ、同人活動もここまで継続できなかったでしょう。



きっかけが転がっているかどうかは、正直、運もあります。しかし、何をきっかけにするかは自分次第です。人生を変えるような出来事、なんてそうそう起こりません。ほとんどの人は、「そのきっかけを基点に、『自分の意志』で方向性を描き、努力して」、自分の人生を変えたのではないでしょうか?



十年前の久我からすれば、今、こうして同人活動をしていること自体、「人生を変えるどんな出来事があったのか?」と問いかけてしまうものでしょう。でも「たったひとつの強力な原体験」があったわけではなく、様々な理由があって、それらを集約していったのが、今の人生です。



年末の機会に、こういう棚卸をするのもよいかなと。知りたくも無い記憶の闇を掘り当てたとしても、責任取れませんが(笑)



初めて声優に興味を持ったのも、初めてアニメ雑誌を買ったのも、初めてアニメイトに行ったのも、初めてOVAの試写会に行ったのも『魔神英雄伝ワタル』、というのも久我のルーツです。こういうルーツ探しは楽しいですし、友人の影響に驚きもしますね。



来年はどんな体験をするのか、或いはどんな体験をしたいのか?



思い描く姿があるので、今はそれに向けて準備中です。