ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

「The Age of Stupid」特別上映会感想と「伝える」難しさ

2008年に「UK-Japan 2008公認ブロガー」となり、イギリスに関する情報を発することに参加していました。イベント自体は2008年で終了しましたがイギリスの情報が欲しいので継続して欲しいと感想を書きました。私のような返信が多かったのか、2009年以降、UK-Japanとしての公式活動はやっていないようですが、時々、企画主催者である駐日英国大使館からイベントの案内が来ています。



長い前置きですが、リアルのイベントへの応募は今までほとんどしませんでしたが、たまたま目に入った上記イベントに応募したところ当選し、先日、上映会に出かけてきました。




なぜ、人類はもっと早くに手を打たなかったのか?



「MCLIBEL」、アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞受賞作「ブラックセプテンバー/五輪テロの真実」の監督が送る、地球温暖化を扱った大作。



現代でもっとも重要な映画との評判を得る、フラニー・アームストロング監督の「The Age of Stupid」。



イギリスの個性派俳優ピート・ポスルスウェイト演じる“地球最後の男”が、2055年の荒廃した未来から2008年の6本の映像アーカイブを眺め、「なぜチャンスのあるうちに自分たちを救おうとしなかったのか?」と嘆き、地球温暖化防止を訴える。インドで貧困撲滅活動をする青年やイラク戦争で家を失ったヨルダンの姉妹、イギリスで風力発電の開発をする男性などをテーマにした6本のドキュメンタリーやドラマ、アニメなどで意欲的に構成されている。



2009年9/21-22に40以上の国で世界同時プレミアム上映が実施され、大きな反響を呼び、日本でも9月22日(火・休)、新宿バルト9にてプレミアム上映が実施された。



その後、日本での再上映要望の声を多く受け、この度3月より全国TJOY系劇場にて順次公開が決定致しました。



日本版作品HP:http://www.t-joy.net/aos/




いただいたメールマガジンからの引用





ということで作品は地球温暖化をテーマにした映画で、2055年の未来の人間が2008年の映像アーカイブ情報を閲覧し、環境破壊が進み、人類の生存が難しくなった時代の原因を探るものです。この映画は何かを警告する上で重要な「このまま進めば、破滅する」という結末をしっかりと伝えている点では、伝えたいことを伝えられているように思います。


映画は届けたい人に届くのか?

この映画自体に自分が見えない・知らない方向性があると思いますし、地球温暖化の是非はともかく、自然破壊や海面上昇、資源や食物の浪費を生み出す生活習慣や産業構造の見直しを指摘する部分は共感できました。だからこの感想をブログに書くわけですが、上映中に感じていたのは、「この映画は、届けたい人にメッセージを届けられるか」という部分です。



映画の中では「人を動かせるか」という問題を自覚的に捉えていましたが、端的な例が劇中の風力発電への反対運動です。イギリス人男性は地球温暖化の影響をアルプスに訪問した際に目の当たりにし、元々の風力発電技術者のバックボーンがあって、地球温暖化を何とかしようと、地元の州で風力発電の推進を行います。



しかし、地元の住民からは反対の嵐です。景観を損ねることや騒音や振動へ不安、ましてや風力発電が催眠効果を生んで自動車の運転を阻害する的な反対論が出て、提案は否決されました。映画を見るだけでは周囲の「無理解」にあったと解釈できますが、実際には「危機感」を共有できず、「優先順位の変更」を提案できなかった、そのレベルだと思います。同じ価値認識をしていないのですから、反対されて当然です。説得ではなく、まず同じ光景を見ることから始める、それが何かを提案するときの難しさです。



この映画は、どうでしょうか。



「映画がメッセージを届けたい人に届けられるか」の話に戻ると、久我は環境問題について先進的ではありませんし、積極的に情報を収集していません。いわゆる「普通」のレベルです。で、映画の中でもあったように、あるいは映画が提案するような問題意識は、この普通のレベルの人にはなかなか届かないと思います。今回映画を見たのは、本当に偶然です。仮に今後上映されていたとしても、自分から積極的に見に行ったとは思えません。



そうした行いが「The Age of Stupid」かもしれませんが、行動を起こすには危機感を共有する必要があるわけで、いかに正しいことを言おうとも人は動きません。そして、映画の中で図らずも同じことを実証しているシーンを描き出しているわけで、この課題を自覚的に認識した上で宣伝や広報を行っていけるのか(動かない相手を「愚か者だ」と責めるのではなく、相手に情報を伝え切れなかった自分の能力を疑い、改善していく意思があるか)、個人的に注目しています。


「当たり前に思う暮らし」を捨てられる? 家事使用人問題と同一の構造

構造的に面白いと思ったのが、今回のこの話が、自分がメインとする家事使用人の話と繋がるからです。第一次世界大戦後に家事使用人不足が深刻化し、政府は当時問題化していた失業問題解決を行うために、歴史上、初めて本格的に対策を行いました。需要が供給を上回っているので、失業者の女性を家事使用人職に送り込んだり、制服を支給したり、訓練センターを作ったりしたわけです。



しかし労働条件が他の労働者に比べて悪かったこと(雇用主の権限が巨大すぎ、労働時間が未定義な上に、「従う」「礼儀作法」といった他の労働者が強いられない従順な態度の強制や私生活への干渉を受ける)が使用人の不人気に繋がる原因を政府は放置しました。穴の開いたバケツに水を注ぐような振る舞いは結局、何の問題解決にもなりませんでした。



この問題について、同時代の中流階級の女性で、戦時中に使用人職を経験した心理学者の女性は、問題解決には「プロパガンダ」が必要だとしました。ひとつはメイドを見下し、彼女たちに劣悪な労働環境を強いて機械のように働かせる女主人たちの「物の見方」を捨てさせること。これは女主人に限らず、当時の新聞や風刺雑誌、果ては宗教(使用人を正しく導くのが主人の務め)にまで及びました。



もうひとつが、「使用人を必要とする生活を伝統だとする思い込み」です。今、営んでいる生活習慣を『伝統』というけど、そんなのは歴史から見ればわずかな時間にしか過ぎず、仮に生活の変化に適応できなければ人類は滅んでいる。だから、使用人を必要とする思い込みを捨て(心理学者の女性が示すのは、「中流階級の女性は有閑でなければならない」とした、18〜19世紀に流行し、家事使用人雇用を必要とさせた中流階級の価値観)、メイドがいない暮らしを受け入れるべき、と訴えました。



この後者の部分、「使用人がいて実現できる、今の暮らしを当たり前と思い込む価値観」をプロパガンダによって彼女は捨てさせようとしました。実際に同時代には、不足が進行する中で、便利な道具が出現してきたことで使用人の必要性が薄れたり、社会全体的に賃金上昇が生じていたことなどから生活レベルの変更を余儀なくされる部分はありましたが、第二次世界大戦という巨大な衝撃が訪れる直前まで、家事使用人は130〜150万人、第一次世界大戦以前の規模で存在したとされ、改善は成されないまま、ただ第二次世界大戦による大規模なレベルの生活様式の変更で解決されたと見ることが出来ます。


生活様式を変えられる? どの程度までは具体的に見えない

家事使用人問題と、環境問題とは構造が類似していて、「今の生活様式・水準を私たちが変えられるか」というところだと、映画を見て思いました。家事使用人問題は使用人不在で不利益を受ける人が少なく、クリティカルでもなく、問題は解決しないままに問題そのものが消滅しましたが、後の時代に極端な影響を及ぼしていません。しかし、環境問題は数十年先、あるいは数年先に自分たちの命に影響を及ぼす可能性がありますし、今の暮らしを維持したまま解決する「奇跡」(新技術・新資源)の登場を願うだけでは、足りないのでしょう。



こう書くと大仰かもしれませんが、ひとつの事象をある人が問題だと認識し、客観的に見てもそれが本当に問題だったとしても、解決できないことは数多くあります。しかしそのとき、映画の中の風力発電の話が象徴するように、「理解のない他者」を責めることこそが、「The Age of Stupid」に繋がる話だと思います。



この映画は「正しいと思っていることが受け入れられず、惨事を招く」未来を描き、ひとつの固定観念・当たり前に受け入れている価値観を壊そうとする試みを行っていく力を持っていると思いますし、この映画を多くの人に見せようとする試みが、自主上映会の支援によって支援されていますし、ストリーミングもやっているようです。



他にも今後様々なアプローチがあるでしょうが、発展途上国が先進国に「過去にあなた方もやっていたじゃないか。そうして豊かになった。どうして私たちにはさせてくれないのか」と言うはずです。その部分は、この映画だけでは答えにならないと思います。観客に「一緒に考えよう」と提案するものなのだと受け止めました。



使用人問題の話にあるように、現代人が謳歌する生活様式自体は短いものに過ぎません。1920年代の心理学者は「変化に適応できなければ滅んできた。滅んでこなかったのは適応したからで、使用人を必要とする生活様式を捨てなさい」というような話をしましたが、そこと比較するならば、この映画は「適応できない場合の滅びが地球規模で起こる」と、訴えています。



この課題について、自分の生活様式にどう織り込んでいくかは宿題です。とりあえず物を大切に使うことから始めます。