ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

メイドブーム関連はひとまずここまでに

いろいろとメイドブーム関係を調べるうちに、「あまり詳しく無い領域」に足を踏み入れてしまいました。元々、「あまり詳しく無い方によって語られることへの釈然としない気持ち」があったことで書き始めましたが、自分が同じことをしつつある、というオチです。



結構、普段と異なる場所へ戦線を拡大しすぎた反省もあり、通常営業に戻りますが、書くことによって詳しい方のお話もうかがえたこともあり、後日、この辺りはしっかりとまとめてみるつもりです。(自分の力だけでは無理だとも分かったので、お力を借りられる体制作りを考えます)



メイドブームの終焉は「衰退」か、「定着」か

補足・メイドブームの断続性と連続性を考える

メイドブーム関係の言及をしている理由



リソースが限られている中でのことなので一旦は終了しますが、気になったことや今後につなげたい2つを挙げます。


日本で表現されるメイド服は、いつ「ヴィクトリア朝」的になったのか?



殻の中の小鳥』関連のリンクを探していたところ、下記サイトでメイド服についての言及があり、それによると、今で言うところの「クラシックなメイド服」ではないそうです。



『殻の中の小鳥』(DISCOVERY/Win95/1996)(2010/04/05)



ヴィクトリア朝をモデルとしているというので、てっきりそうなのかと思っていましたが、制服は違っていたというのです、というぐらいに、私はこの界隈に疎いので、語る資格は無いだろうと反省する次第ですが、私が『エマ』に出会った頃(2002年末ぐらい?)には既に確立していたと思うので、ここについては前述の「コスプレ・喫茶系」の影響でしょうか。



しかしここで強引に話を広げると、「日本で言うところの創作表現におけるメイド服の変遷」を知りたいなぁと思いました。どの作品でどんなメイド服が登場しているのか、「描かれたメイド服の歴史」というのでしょうか?



元々、メイドの雇用は世界各地に広がっていて、国によって微妙にメイド服のデザインも違います。香港のメイド事情を扱った資料本に掲載されていたメイド服(香港のショーウィンドウに陳列されている)は、1994年の撮影という注釈でしたが、明らかにヴィクトリア朝をモデルとしていました。(以前、若干錯覚してしまいましたが、日本のクラシカル的な服に近いです)



英国でメイド服が変遷してから数十年の歳月を経て、古いデザインの服を着せているようなところから、メイド雇用の速度というか、制服に求めているものが何かというところが可視化できると面白いかなぁと思いましたが、それと似たもので、「メイド作品」「メイド服」を時系列で整理すると、面白そうな気がしました。



同人誌で誰かが作っていそうですが……



と、ここまで書いてなんですが、年代別に描かれた作品から何かを読み取るのは、まさしくブラム・ダイクストラ『倒錯の偶像』のような。これは私の手に負える仕事ではないと思うので、どなたかにお任せしたいところではあります。(何度もすみません)


屋敷とメイドか、ヴィクトリア朝を扱った作品の系譜

年代別作品の発想につながりますが、どの時期にどの作品が放映・刊行されていたかも重要な要素なのではないかと思います。



たとえば、英国では1970年代に非常に強力なメイドイメージを生む使用人ドラマ『Upstairs Downstairs』が生まれました。1970年代・イギリスのメイドブームに対して作られた資料本(2008/05/16)について過去に書きましたが、年代別に周辺作品を洗ってみるのも面白そうです。



手始めに、英国ヴィクトリア朝・屋敷関連の資料を英書・和書で年代ごとに整理した一覧を、そのうち公開します。これにコミックスやマンガ・小説、そしてエロゲーなどを重ねていくと広がりが見えるのではないか、という考え方です。



こちらも部分的にどなたかがリストを作っていると非常に助かるのですが、私ができる範囲で、事実ベースで整理していければと思います。



自分が初めて「英国メイド(ヴィクトリア朝風)」と認識した作品は、なんだったのでしょうか? ちょっと記憶が曖昧です。『英国ヴィクトリア朝のキッチン』? 『名探偵ポワロ』のドラマで見たはずですが、1920年代以降なのでやや制服のデザインが新しいはずです。



デザイン的に『はいからさんが通る』が思いつきますが、英国風かどうか。ふと、漫画的にも、白と黒の基調の制服は映えて描きやすいのかなぁと思いました。


補足・メイドブームの断続性と連続性を考える

目次

  • はじめに
  • 初期のメイドブーム:成人向け
  • 「屋敷を飛び出したメイド」補足
  • 「メイド服」となることでの広がり
  • 女性が楽しむメイド
  • 終わりに:メイドブーム関連の言説
  • 補足:ブクマへのレスです


はじめに

メイドブームの終焉は「衰退」か、「定着」かについての反響を見る限り、「表現として、メイドは衰退せず、定着している」ことに賛同して下さった視点が多かったように思えます。ブクマに興味深い指摘もあったので返信しつつ、前回言及しなかった「メイドブームの流れ」について、自分なりに整理します。



メイドのイメージが多種多様だったように、一言に「メイドブーム」といっても、メイド服を軸にした「連続性」と、様々なイメージごとに生じる「断続的なブーム」があり、受け手も変化しているのではないか、そしてそれが「メイドブーム」として一つに見えているのではないかと。



しかし、私は前回書いたように、メイドブームの「源流」を知る立場にありません。NHKで放送されたテレビドラマ『名探偵ポワロ』や、TRPG『ゴーストハンター』などで英国貴族の屋敷に興味を持ち、そこから屋敷で大勢働いていたメイドへの関心を深めた、別系譜の人間だからです。



「屋敷」を軸に英国メイドの資料同人誌として作る立場から、私から見える景色も相当他の方と異なると思いますが、私のような立場の人間をも吸収しえることが、日本におけるメイドブームの広がりを示すとも思います。



また、私は個人的に同人の立場でメイドブームの変化を見ています。たとえば、2002年12月に初めて参加したコミケでは、男性95:女性5ぐらいのバランスだったサークル訪問者数が、2005〜6年ぐらいまでには5:5(時に4:6)ぐらいになりました。私が見ている世界は一部でしかないのですが、メイドに関心を持つ層にも変化が生じています。



女性の増加、です。



前回同様、論拠が乏しいところがありますので「主張する」というよりは「こう思っている」ぐらいのトーンで読んでいただき、参考になるところがあれば幸いです。



また、なぜここ最近になってこの辺りを書き始めたかについては、メイドブーム関係の言及をしている理由(2010/09/11)に記しました。


初期のメイドブーム:成人向けの「屋敷・英国」のメイド

前回のメイドブームは主に表現面の話をして、起源の話をしませんでした。なぜならば、前述したように、私はオタク文化の中でブームとなった1990年代には「メイドの消費者」ではなく、詳しく知らないからです。




id:kkobayashi:メイドブームはエロゲー発信だと思うんだよなあ
http://b.hatena.ne.jp/kkobayashi/20100830#bookmark-24407195
ブックマークでも言及いただきましたが、この辺り、多分一番わかりやすくまとまっていて詳しいウェブのテキストは、有村悠さんの『メガストア』に掲載されていた、メイド文化とウェイトレス文化のお話(2009/06/04)だと思います。



こちらのコラムではメイドブームを2つに分け、「1:エロゲー的な系譜でのメイド」と、「2:カフェ・ウェイトレスの制服・コスプレとしてのメイド」について考察され(た記事の紹介+独自考察)、とても分かりやすくなっています。



ふと、知りたいこととして思ったのが、上記のコラムだけではなく『動物化するポストモダン』(2001年)やwikipedia:メイドで「ルーツ」として指摘される『黒猫館』(1986年)が、なぜこの時代に「館+メイド」を描いたのか、という点です。そして、『禁断の血族』(1993年)、『殻の中の小鳥』(1996年)などでもメイドブームのきっかけになったとして指摘されていますが、なぜこの時代に「メイド」を登場させる作品が生まれ、そして『殻の中の小鳥』で19世紀の英国を舞台にしたのか、知りたいと思います。後に影響を与えた作品があったとして、その作品に影響を与えた作品はなんだったのか、という観点です。



なお、『殻の中の小鳥』に前後した作品について、メイド研究同人サークルとして原点といえる制服学部メイドさん学科の鏡塵=狂塵さんは、同人誌『MAIDSERANTLOGY REFERENCE』(2002年)にて、次のように述べております。




――個人的意見としては『殻鳥』以降のメイドさん登場作品はコンテクストから遊離する傾向が強いように思われます。これは、ひょっとすると本来担うべきではない役割をメイドさんが作中で(ある種安易に)担わされたことの影響かもしれません。すなわり、主従関係という一軒明白な特徴が強調されることで、彼女らは職を追われ、閨房に幽閉されることになってしまったのだと思います。

結局のところ、現在のメイドさんという存在はメイド服という記号によって分節されるという一点のみが規定要件であり、そのほかのコンテクストは最早必要とされなくなっているのかも知れません。(後略)
同人誌『MAIDSERANTLOGY REFERENCE』P.86-87より一部引用



メイドに光が当たることは少なく、物語の脇役として登場していたメイドが、段々と変わって「メイドさん」になっていったとの指摘です。


「屋敷を飛び出したメイド」補足

次に、『動物化するポストモダン』を読んでいて気になったのが、『To Heart』(1997年)のメイドロボ、マルチの存在の大きさです。著者の東浩紀さんは次のように言及されています。




たとえば『エヴァンゲリオン』以降、男性のオタクたちのあいだでもっとも影響力があったキャラクターは、コミックやアニメの登場人物ではなく、おそらく『To Herat』のマルチである。
動物化するポストモダン東浩紀/講談社現代新書P.112より引用
それまで「屋敷・お金持ち」、あるいは「英国的雰囲気」で語られていたメイド像が、マルチの存在によって「一般家庭に住み込む」存在になるのに影響したのではないかと考えています。その上で、たまたま09/09のWEB拍手にて、下記、参考になるご指摘をいただきました。ありがとうございます。




メイド的要素は無いけど東鳩のマルチ以前と以後でメイドの雰囲気は明らかに変わった印象があります。




有村さんのコラムでは『To Heart』の次に、「主人公と専属メイドの1対1の関係が描かれる」『MAID iN HEAVEN』(1998年)に言及されています。私はこの作品が「奉仕するメイド像」という構造だけではなく、『To Heart』に続き、「一般家庭にいるメイド像」を持ち込んだのではないか、屋敷という文脈から日本のメイドは切り離されたのではないかと感じています。


「メイド服」となることでの広がり

今回基点としている有村さんのコラムでは、次に1990年代後半の「メイド服ウェイトレス」について言及されています。ここでの言及は非常に興味深く、是非、ご一読下さい。そして、私はかろうじて、この辺りを目撃しています。



私がコミケに一般参加していた頃、あるいはインターネットでホームページが普及しだした頃、実在するカフェの制服を共有するサイトや同人誌を見た記憶があります。むしろ、今でこそ「創作少年・メイドジャンル」と私が分類しているジャンルも、2002年ぐらいに参加した初期の頃は、制服系の方が強かったと思います。(要出典とするならば、コミケカタログのサークルカット一覧の時代別推移でわかる?)



『エマ』森薫さんがプロデビューする前、制服を題材にした同人イベント『コスチューム・カフェ』に参加されていたことも有名な話です。(この当時の作品である『シャーリー』や商業出版された作品を読む限りでは、後の『エマ』ほど「ヴィクトリア朝表現」を主眼にしているようには見えません)




id:izumino:メイド=吸血鬼説はなんとなくわかりやすい/草の根のメイドさん好きは、飲食店のウエイトレスマニアが育てていた印象
http://b.hatena.ne.jp/izumino/20100906#bookmark-24407195



まさにこちらのご指摘にあるように、私の印象では草の根のメイドさん好きの方々が様々な喫茶の制服情報を共有し、その中に「メイド服」があり、この延長にメイド喫茶が登場し、メディアに露出することで「メイドブーム」として非常に強いイメージを帯びていったというのが大きな流れだと思います。



メイド服が「独立」していった過程の象徴として、この時期に「メイド服を萌え要素として取り込んでいたデ・ジ・キャラット」が、『動物化するポストモダン』P.66にて「萌え要素の組み合わせ」の事例として指摘されています。有村さんのコラムでも言及され、先述の鏡塵=狂塵さんのコラムのイラストの結びもデ・ジ・キャラットのイラストであるなど、非常に大きな存在といえるのでしょう。



この流れでは次にメイド喫茶の話にするのがよいのでしょうが、私は非常に疎いので、割愛します。どなたか、詳しい情報・ページをご存知でしたら、教えてください。


補足:「メイド萌え」の歴史はどこまで研究されているか:2010/09/12追記

ここまでの流れは非常に分かりやすく、この界隈に興味がある方はご存知かと思いますが、では実際のところ、すべてが正しいのかというと、私には確証がありません。



これが気になっているのは、『黒猫館』の扱いが、今回参考にしているソース(東浩紀さん・有村さんの指摘する記事・wikipedia)ですべて一致しているからです。



すべてが一致しているから正しい、という考え方もできますが、ソースがすべて一緒の可能性も考えられます。私が実際に確認しているのは東浩紀さんの『動物化するポストモダン』で言及されている箇所のみで、東さんは引用元として『不確定世界の探偵紳士 ワールドガイダンス』という書籍をあげています。これは後日、自分で参照するつもりです。



有村さんの紹介された記事も今後入手するつもりですが、雑誌系記事は「何をソースにしたか」分かりにくい可能性があるので、どこまでさかのぼれるのか不明です。ただ、実際に有村さんが目撃されて体感されている独自の情報も非常に多く、「見てきたもの」としての価値があると思います。また、元々が「エロゲー界隈の中でのメイドジャンルの発展」の話でもあり、少し意味合いが違うのかもしれません。



wikipediaについては、メイドブームの「解釈」を裏づけするソース(引用・参考文献・脚注)が掲載されておらず、さかのぼれません。独自研究タグも貼られています。メイドブームの源流は10〜15年ぐらい前の出来事ですが、「本当にそうであったか」を、第三者が確認することは難しいことです。この辺りのメイドブーム解釈については、個人的に研究される余地があると思っています。



なので、私がここで紹介している「流れ」は、そうした前提の情報であることを補足します。私自身は絶対的確証を持つだけの材料も、また否定するだけの材料も持っていません。


追記:2010/09/15


id:moliceメガストア』記事の執筆者です。『黒猫館』については、時代というよりも富本たつや氏の趣味に帰せられるかと。氏の同人誌『表面張力』によれば、ヴィクトリア・エロチカ小説におけるメイド少女がルーツとのこと。 2010/09/14
http://b.hatena.ne.jp/molice/20100914#bookmark-24815695


ブクマでの非常に貴重な情報、誠にありがとうございます。『メガストア』の記事を早く読みたいと思います。



1986年の『黒猫館』から10年後に生まれた『殻の中の小鳥』がなぜヒットしたのか、なぜヴィクトリア朝を舞台にしたのか、なぜこの作品が引き金になったのか。鏡塵=狂塵さんのご指摘にあるように、「メイドを主役にした作品」という影響も大きいと思いますが、なぜ主役になることで、次のようにいわれるのか。




KENJI氏がメイド物を作ろうとして、新人の栄夢氏を起用して作られた。 メイドブームの始祖で、この作品がなければ秋葉原がメイドの街になることはなかっただろう。



wikipedia:殻の中の小鳥


メイド物を作ろうとしたこと、そしてその舞台としてヴィクトリア朝を選んだことが記されています。ぐぐってみると、ご本人が言及されている記事を見つけました。



殻の中の小鳥 (2009/06/09)



こちらも、企画者の方の好みで「メイド・洋館」が選ばれたとのことです。ちょっと時間が無いので、今日の追記はここまでとします。「なぜ、この作品であって、他の作品ではなく」「この時代なのか」を調べてみようと思います。(調べている方がいると良いのですが。ぐぐってみます)


女性が楽しむメイド

ここからはさらに直感ベースの話になります。根拠はこれから探したいか、どなたかに論証していただければと思うようなレベルのモノです。


『エマ』ヴィクトリア朝

男性向けのエロゲーに端を発した「メイドブーム」の文脈で見てきましたし、秋葉原系のメイド喫茶の取り上げ方として男性オタクの姿が目立ちます。しかし、初期の制服系以降、そして現在のブームを考える上で見落とせない視点は、女性のメイドファンです。



ブームの端に所属する私自身の体験として、冒頭で述べたようにイベント参加を重ねるごとに女性の読者が増加していき、今では逆転しています。すべてではないにせよ、その一要因として指摘されるのは『エマ』です。身分を越えた恋愛の要素や、英国的な雰囲気を持つ作品として『エマ』は男女問わずに広く普及しました。



私が象徴的だと思うのは、2003年に刊行された『エマ ヴィクトリアンガイド』です。同書は「メイドファンをヴィクトリア朝に」繋いだだけではなく、「ヴィクトリア朝をメイドに」繋いだとも考えられます。非常に分かりやすいヴィクトリア朝のガイドブックであり、同書は日本ヴィクトリア朝文化研究学会の会報でも言及されるぐらいに、「遠く」へ届きました。



ヴィクトリア朝を好きな方は日本でも一定数存在し、英国では定期的に19世紀を舞台にした映画やテレビドラマが作られています。たとえば、2007年に放送されたドラマ『Cranford』は第一話の視聴率が29%だったと聞き及んでいます。(エリザベス・ギャスケル『Cranford』から思うことで言及)



ここ1年を見るだけでも、『ヴィクトリア女王 世紀の愛』『シャーロック・ホームズ』『ウルフマン』『ブライトスター』と、19世紀英国を舞台とした映画が日本で公開されています。NHKはかつて、英国のドラマをかなり放送していたので(『高慢と偏見』『シャーロック・ホームズの冒険』『名探偵ポワロ』など)、英国の風景が好きな方を増やした一翼を担っているでしょう。



私は2003年夏の同人誌で『文学とメイドさん』と題して、英文学に登場するメイドを取り上げました。この時、「イギリスを旅行していて屋敷に興味を持っていた」方や、「大学で英文学をやっていたので興味を持った」方など、多様な方に出会いました。



こうした英国文化的な要素とメイドを連結させる大きな絵を、『エマ』『エマ ヴィクトリアンガイド』(あるいは『Under the Rose』か、メイド喫茶か、他の何か)が描いたのではないかというのが、私の思うことです。


少女マンガ・「世界名作劇場的なるもの」の親和性

少女マンガもヴィクトリア朝と縁があります。私の最初の同人誌(2001年)に寄稿してくれた友人は、少女マンガと英国的雰囲気の作品として、3つの作品をあげました。



コントラクト・キラー』

ポーの一族

『天使の棲む街』



同人誌の読者の方の話として、「昔見た少女マンガにメイドが大勢登場していた。どうしてそれだけ雇っているか、分からなかった」ともうかがいました。前回例としてあげた『はいからさんが通る』(1975-1977年)はアニメ化、映像化されています。少女マンガ的な文脈でメイドは、ブームではないにせよ、脇役として「常に」登場していたのではないでしょうか。(要出典とするならば、年代別の少女マンガ雑誌でのメイド登場回数を調べる?)



また、森薫さんが好きなアニメ『名探偵ホームズ』(犬ホームズ)のハドソン夫人に代表されるような、「古風な洋服に身を包んだ女性」イメージを、私は子供の頃によく、ハウス世界名作劇場などで見ました。『小公女セーラ』『小公子セディ』『ピーターパン』『秘密の花園』、英国以外では『トム・ソーヤの冒険』『若草物語』『赤毛のアン』など、自分が19世紀的な生活に淡い憧れを抱いていたのも、こうした作品群の影響があると思います。



日本のアニメで言えば、宮崎駿監督作品の影響に代表されるヨーロッパ的な表現に慣れ親しんでいる土壌があって(『借りぐらしのアリエッティ』感想とスタジオジブリが描く「風景」)、メイドが受け入れられているのではないかというのが私の仮説ですが、これらは飛躍しすぎているので、今後可視化したい部分です。


終わりに:メイドブーム関連の言説

元々、情報整理を観点にしていたのでこれといって答えは出せませんが、少女マンガとメイドというと、ネットで次のようなコラムがあがっていました。



藤本由香里「少女マンガのセクシュアリティ 〜レイプからメイドへ〜」(前半)



要約するのが難しいのでご一読いただきたいのですが、後半のメイド萌えとは一瞬だけ可能なコミュニケーションなのか?とのページで、メイド萌えや『殻の中の小鳥』、東浩紀さんによるデータベース消費への言及があり、これまでに触れてきた部分と重なるところや、少女マンガ視点での話、そして執事についての考察が行われています。



秋葉原的なメイド喫茶におけるブームと、「クラシックなメイド」というイメージの衝突についての考察は、墨東公安委員会さんが分かりやすく書かれています。(まとまったページが消えていたので、こちらを)



メイド徒然話〜スパゲティ理論本論(1) えっちなのは大事だと思います
メイド徒然話〜スパゲティ理論本論(2)

メイド徒然話〜スパゲティ理論本論(3) 完結篇



また、文中で取り上げたメイドブームの渦中にあってメイドの考察をされていた、歴史的メイド研究の原点たる同人サークル『制服学部メイドさん学科』の鏡塵=狂塵さんのメイドに関するコラムも非常に面白く、今の時代にこそ読まれるべきもののように思えます。



他に、英国文化への憧れという観点で、21世紀日本でメイドブームが起きたのはなぜか?という考察もネットで見つけ、面白かったです。



表現様式としてのメイド像はまた後日、整理できたらと思います。


補足:ブクマへのレスです

様々なご指摘、ありがとうございました。文中で言及できなかったものについてのレスとなります。




id:uk_usa_tv Twilight, True Blood人気で今は空前の吸血鬼ブームのような気がするのですが、どちらもちょっと変化球だから、吸血鬼imageryとしては下火ということなんでしょうか?いつか表現が進化して変化球メイドさん誕生するのかな?? 2010/09/07

こちら誤解をさせてしまったかもしれませんが、吸血鬼は既に定着し、世界的にも著名すぎ、ブームとあまり関係無い高みにあると思っています。Twilight, True Bloodが日本では大きなブームになっているのかわかりませんが、ベストセラーとなった『化物語』で吸血鬼は題材になったり、同作品のアニメ化をした制作会社による『ダンス・イン・ザ・ヴァンパイアバンド』がアニメ化するなど、日本でも吸血鬼表現は根強いです。



メイドがそのレベルに近づけるのか興味はあります。






id:kanimaster 谷崎の『台所太平記』はメイド文学の古典だと思います。 2010/09/06
http://b.hatena.ne.jp/kanimaster/20100906#bookmark-24407195



おっしゃるとおりで、日本でも日常にメイドがいた時代があった、というのはメイドブームの上で見落とせない視点だと思います。






id:Imamu 『メイドは21世紀の「吸血鬼」たるか』面白い。民俗学の吸血鬼と文学の吸血鬼が違うようにヴィクトリア朝時代のメイドとメイド喫茶(や日本エンタメ)のメイドさんは違うのでしょうね。
http://b.hatena.ne.jp/Imamu/20100906#bookmark-24407195

個人的に、京極夏彦さんの描き出す「妖怪」も今回の話の中で連想しています。京極夏彦さんにメイドを巡る表現の変遷を分析をしていただけたら面白いなぁと思います。



動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)




メイドブームの終焉は「衰退」か、「定着」か

目次

・私が見てきた同人におけるメイド
・日本で「普遍化」する(ように見える)メイド表現
・屋敷を飛び出したメイド
・「日本に実在したメイド」と過去を見るまなざし
・まとめ:メイドは21世紀の「吸血鬼」たるか



私が見てきた同人におけるメイド

きっしーさんのつぶやきで、今年のメイドオンリー同人イベントの『帝國メイド倶楽部十一』の参加サークル数が18に激減したのを知りました。私は2004年、2005年、2008年と参加しましたが、最盛期は150以上あったと思える規模が、2008年参加時点では50程度に減少し、そのことに驚いて、同人イベントとメイドジャンルについての雑談(2008/04/29)を過去に書きました。



今回に関しては通常5月に開催のイベントが9月に開催、それも夏の大イベントの後なのでこの規模になってしまったように思えますが、個人的には「メイドブーム」が落ち着き、メイドの存在が「当たり前」になりすぎてしまったために(商業における表現や存在として)、全体のトレンドとしてあえて同人で表現される部分、同人に求める部分が減ったように感じられます。



『帝國メイド倶楽部十一』公式



とはいえ、ブームが落ち着いていることをマイナスに思いません。ブームは過ぎ去ったかもしれませんが、衰退というより、定着しているように思えるからです。



以下、こうした考察を専門にしていないので、「思う」「考える」との表記が多くなりますが、自分の考えをまとめる意味と、どなたか詳しい方の叩き台になればと思い、日本のメイド表現についての考察を書きます。



前提として、私はメイドブームの最中、英国のメイドと屋敷ばかりを探求しており、「日本のメイドブームの代表的・主流的な消費者」ではありません。英国メイドの研究者であっても、日本のメイド作品の研究者ではない点を考慮した上で、お読み下さい。


日本で「普遍化」する(ように見える)メイド表現

秋葉原メイド喫茶の文脈で語られることがあるとはいえ、昨年はTBSで『小公女セイラ』や、テレビ朝日『メイド刑事』(小説からのドラマ化)、今年はアニメで『会長はメイド様!』が放送されるなど、「メイド」の言葉自体は既に一定の認知を得ているのではないでしょうか。少なくとも、過去、メディアでは「メード」と表記されていた文言も、「メイド」へと転換が見られます。



創作表現においてメイドが特別ではなくなったと感じる機会もあります。たとえば、『機動警察パトレイバー』がきっかけで、中学生の頃から私は『週刊少年サンデー』を読んでいますが、伝統的な意味での「屋敷に勤めるメイド像」は、『ハヤテのごとく!』のマリアさんが目立っています。今でも、多くの創作で「お金持ち」を表現する手段として、メイド(あるいは執事)は登場しています。



同じサンデーの作品で、個人的に『はじめてのあく』が日本の「今のメイド表現」を表象するものに見えます。この作品では「悪の組織の科学者(主人公)が作った、ヒロインそっくりのメイドロボ」「お金持ちの友人の屋敷にいるメイドさん」、さらには何かのイベントの際に「メイド服を着よう!」との表現も出ていたと記憶しています。



最後の、学生生活の創作表現においてナチュラルにメイド服が出てくる起源がどの作品かはわかりませんが、「文化祭でメイド服」というのも定番化しています。これは「家事を仕事とするメイド」に加えて、「喫茶店で働く店員としてのメイド(メイド喫茶)」という要素を取り込んだものですが、『涼宮ハルヒの憂鬱』では文化祭でメイド服を着る話がありつつ、朝比奈みくるが部室でメイド服を着せられるように「メイド服」が「メイド服がかわいいから」と、「仕事」と切り離されて登場しています。



メイド服がかわいい、だから職業としてのメイドを離れて、メイド服を着るような表現がいつ日本で成立したのか分かりませんが、こうした傾向はいくつも指摘できるでしょう。(直近では『けいおん!!』でメイド回がありましたが、あれは喫茶でバイトという文脈。この「メイド回」という表現は、知人の方の受け売りですが)


屋敷を飛び出したメイド

話が錯綜したついでに広げますが、「屋敷に仕えるお金持ちの象徴の表現」だったメイドが、たとえばいつ「屋敷ではない普通の家庭」に所属するようになったのかは気になります。



私が初めて「屋敷のメイド」に遭遇したのは『はいからさんが通る』(女装メイドの蘭丸がいましたが)でしたし、以前、読者の方からは「少女マンガで見た屋敷で、どうしてそんなにメイドが雇われているのかわからなかった」とおっしゃっていましたが、過去の創作表現においてはこうした文脈が強かったように思えます。



また、その時代を生きていないので分かりませんが、たとえば海外ミステリがブームを起こしていたとすれば、「屋敷・探偵モノ」というテキストにおいて、屋敷とセットで海外のメイドが日本に「輸入」されていたのかもしれませんし、日本で「お手伝いさん」(女中、メイド)が雇用されていた時期の名残りとして、「お金持ちの象徴」として、表現に登場したのではないかと考えています。



こうした「屋敷」(屋敷自体が豊かさの象徴ですが)と「メイド」が切り離されて、『まほろまてぃっく』(1998年-)のように、メイド雇用が中流階級含めて社会に広く普及したヴィクトリア朝的な意味ではない形で個人の家庭に住み込む表現、いつ起こったのか、興味があります。



家電的な意味合いを持つメイドロボという表現も「屋敷とメイド」を切り離した要素だと思いますが(ロボ→住み込み→ドラえもん?)、ここは根拠がなく、答えを知りたい疑問のひとつです。



(補足:文中で個人の家庭例として『これが私のご主人様』(2002年-)を挙げましたが、屋敷でした。訂正します)


「日本に実在したメイド」と過去を見るまなざし

もうひとつ、最近の動向として気になっているのが、今年の直木賞受賞作『小さいおうち』と、その作者中島京子さんによる『女中譚』です。両作品は、かつて日本でメイドが雇われていた時代を扱い、前者はやや明るい雰囲気(献身・奉公)、後者はリアルな「家事使用人」に近い作品となっています。



小さいおうち

小さいおうち



女中譚

女中譚





中島京子さんが日本のメイドブームに多少自覚的だと思うのは、『女中譚』の冒頭において、「秋葉原メイド喫茶」と、「かつて実際に女中として働いた老婆」を邂逅させている点です。その製作意図は私には分かりませんが、今の日本が行き詰ったように感じられるからこそ、何かしら「日本にかつてあったかもしれない、豊かだった在りし日の暮らし」を描く作品が受け入れられているようにも思えます。



少し話が飛びますが、英国では長い間、ヴィクトリア朝への評価は否定的だったといわれています。道徳的で同調圧力が強かった時代であり、同時代にもそうした気風への反発があり、1870年代以降に、これらヴィクトリア朝の「重たい空気」への反動から批判や揶揄や解放の動きが進み、表現の幅がより多様に広がっていきました。



続くエドワード朝は解放的な雰囲気を生みましたが、ヴィクトリア朝に決断された多くの帝国主義政策や第一次世界大戦の惨禍などを受けて、若い世代がヴィクトリア朝そのものを辛辣にこき下ろす態度をも招き、それは長く続きました。(『ヴィクトリア朝の人と思想』P.343-345)



ヴィクトリア朝の人と思想

ヴィクトリア朝の人と思想





こうしたヴィクトリア朝への再評価は第二次世界大戦後に行われたといわれていますが、大戦後には覇権を失っていた英国で「かつて存在した、時代への懐旧の情」が存在したとしても、不思議ではありません。この辺りは専門ではないので言及を避けますが、もし仮に何かしら現代的なニーズを満たす意味で「過去が取り上げられる」部分があるとすれば、「日本に実在したメイド」は、その時代を映すひとつの役目として、今後も取り上げられるかもしれません。


まとめ:メイドは21世紀の「吸血鬼」たるか

私は、メイドと吸血鬼の「表現」に類似を感じています。吸血鬼は様々な作家が表現を重ねる中でイメージが形成され、時代背景も反映し、やがてはドラキュラが生まれ、さらには映画化することでイメージが膨らみました。



作家の表現によって設定が使いまわされたり、あるいは設定が新規に追加されたり、表現様式として広がりました。今時点で吸血鬼のブームは起こっていませんが、時々強力な作品が生まれたり、今でも題材にしたドラマが定期的に作られていたりと、創作の世界においては定着しています。私の世代では『吸血鬼ハンターD』『怪物くん』『インタビューウィズヴァンパイア』などでしょうか。『Wizardry』や『悪魔城ドラキュラ』など、ゲームのモンスターとしての登場も欠かせません。



メイドは「家事使用人としてのメイド」「英国のメイド」「日本の女中」「メイド喫茶の店員としてのメイド」「メイド服」「創作表現のメイド」のように多くの異なる存在が並存して、様々に表現が行われる中、「メイド服」を軸に相互にイメージを共有し、多面的に広がっていると考えられ、そこに吸血鬼表現との類似を見出します。



吸血鬼成立の社会背景的要素については、『ドラキュラの世紀末―ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究』が詳しく、社会背景のテキストで同様にメイドを読むこともできるでしょうし、ブームとなったきっかけにはそうした要素もあると考えられますが、私はそのレベルにないので、ここでは言及できません。(こうした観点を私に教えてくださった墨東公安委員会様に期待しています。参考例:『わたしのリコネクションズ〜メイド・非モテ・倒錯の偶像・高山宏など』



神話や英雄、歴史上の登場人物のイメージ形成でも同様のことが言えるかもしれませんし、坂本竜馬沖田総司の強力なイメージを確立した司馬遼太郎さんの作品群の例が分かりやすいですが、多面性、そして使われた表現の共有こそがブームを引き起こし、その中核としてイメージを束ねたのは「わかりやすい記号としてのメイド服」ではないでしょうか。



以上、論として足りない部分も多々ありますが、上記のような認識から、私は「メイドブームが終焉している」としても、「表現として定着している」との仮説を持っています。本来的には「メイドブームって何か」という定義が必要かもしれませんが、論文ではないのでご容赦を。



なお、「職業としてのメイド」は多くの場合、経済格差を前提に成立しており、現代の世界でもメイド雇用は広がっています。職業として高額の報酬を得る人々がいつつ、過去と同じように低報酬・低待遇の人々の方が多いのが実情でもあります。私は長く、英国に実在した使用人の「仕事」を軸に見ていたので、現代との接点は大きな課題です。



日本で行われている上述のような錯綜する「メイド表現」が成立するのは、少なくとも日本で経済格差の縮小、家電の利便性、家事負担の軽減がある段階まで到達しており、メイドの雇用が過去のものとなったことと無縁ではないと思いますが、上海やシンガポールなど今もメイドの雇用が行われる国で輸出された日本のメイド喫茶が消費されていることは、とても興味深い事象です。


二つの意味でメイド研究は同時代的

使用人の研究をしていると、その労働環境も目に入ります。前回書いたことと重なりますが、ざっくりとした感覚的に、貴族や裕福な屋敷に仕えた使用人は全体の多分3〜5%以下(上級使用人のいた屋敷・体験した「経験者」ならばもう少し多いかもしれません)、少し裕福なところ(使用人3〜5人)で10〜20%、残りは1人で働いた職場だとも思います。



つまり、執事がいるような職場は研究対象の「面」としては存在しても、「深さ」の点では浅く、絶対数では当時をまったく代表していません。『英国執事の流儀』で言及しましたように、限られた世界です。久我は屋敷で働く使用人の「仕事」を軸に、「面」を広げていますし、過去にその研究領域を「山」に例えましたが、実際は「海とその深さ」に近しいかもしれません。



屋敷や領地を中心とした執事やガーデナー、ゲームキーパーなどの仕事は「海の広さ」でありつつも、その「海の深さ」でいえば、水深は深くないのです。最近読んでいる18世紀の資料本はその「面」の広さよりも、「深さ」こそが、「光の届かない、埋もれてしまっている深海」を掘り当てることを、目指しているように思います。


同時代性:テーマの同時代性

1970年代に一世風靡した使用人ドラマ『Upstairs Downstairs』はその影響力の大きさゆえに、幾つもの「カウンター」を生みました。あそこで描かれているものは、すべてではなく、また現実とは異なるものも多いと。あのドラマをきっかけに登場した資料本も多いですし、使用人経験者が自身の体験を綴った手記も出ています。



ではその後、使用人研究がどうなっていったかですが、その「リアル」という提案でさえも、今読んでいる資料本(1996年刊行)のような「カウンター」を生んでいるのです。この資料本が面白いのは、「使用人の時代を過去にしようと、ノスタルジックにしようとする歴史かもいるが、これは同時代の問題」でもあるとも、この筆者は述べています。



たとえば産業の発展段階にある国家において、地方から発展して人口が増大した都市へ女性の人口が流れる傾向を示し、流れてきた非熟練労働者である女性たちの受け入れ先が、家庭内使用人になると彼女はいうのです。これは18世紀以降のイギリスでも見られた傾向です。



同時に、使用人的な雇用も続いています。現代のプロフェッショナルな職業にあるイギリスの人々には家事に費やす時間をアウトソーシングし、自分たちよりも「安価」な給与でそれを行ってくれる人へ託す比率も伸びているそうです。19世紀以降の女性たちは働くことそのものを制限されたこともありますが、構造としては似ていると、この資料本の筆者は主張しています。



では、彼女の資料本より前に使用人を扱った本を記した研究者は、そのことに無関心だったのでしょうか? それが今回気づかされたことですが、たとえば1970年代に使用人研究の金字塔とも言える著作『ヴィクトリアン・サーヴァント』を記したPamela Hornさんは、この著作を受けてか、20世紀の使用人事情を描いた『LIFE BELOW STAIRS』(2001年)の終わりの方で、「同時代の問題であること=ケータリング・ハウスクリーニング・育児(ナニー)・ランドリーの産業の発展・アウトソーシング」を取り上げています。



労働環境の不安定性、現代におけるセーフティネットとの言葉も、使用人に限らず、18〜19世紀の労働者階級の不安定さを見ると、現代がどれだけ進歩したのか、また進歩していないのか、興味深いものになるでしょう。使用人の年金や病気の保障は主人の善意によるもので、社会制度として成立するのは20世紀になってようやくだったと思いますし、主人の屋敷に住み込んで働くが故に、失業時の生活で将来に必要な貯金をすり減らしてしまうこともあり、その結果、女性が売春に流れることもありました。



自分でフローチャートにまとめているところですが、働く親にも生まれる子供にも厳しい選択肢です。18世紀は低すぎた賃金がだんだんと上昇して、20世紀、特に第一次世界大戦以降は多くを雇うのが難しい状況にもなっていきますが、低すぎる給与と社会インフラの脆弱さが個人の人生をあっけなく貧困に陥れ、貧しさは子供の代にも再生産されていく流れもありました。(ただ、20世紀に書かれた『ハマータウンの野郎ども』の構造とはまた違っていますし、そちらよりも根深いです)



そうしたこともあって、段々と時間がかかりながらも問題は改善へ向かっていきましたが、そのうちのいくつかの要素が、少なからず似た構造で「現代社会」でも同時代の問題として、イギリスでも、そして今の日本でも繰り返されていればこそ、研究は同時代性を帯びているともいえます。



もっと掘り下げると類似点は幾らでも出てきますが、専門でないことも多く、また自分が知らないだけで専門分野で研究されているとも思うので、使用人の話ではここまでとしておき、後日、自分の中でまとまった時に書きます。


研究の同時代性:現代も研究は発展途上にある

メイド研究は同時代と比較できる問題でありつつも、終わった時代に光を当てること自体も、まだ進んでいます。先に述べたPamela Horn氏の使用人研究は、19世紀→20世紀と続き、今度は18世紀にさかのぼっています。



2004年に刊行した18世紀の使用人事情を扱った『FLUNKEYS AND SCULLIONS』では、18世紀を扱ったその1996年の資料本の筆者に応える意味でか、そしてかつての自分が扱えなかった時代について、補うような資料を発表しているのです。



例えば1996年の資料では1851年の国政調査において、「ハウスキーパー」と答えた人の職業に、「使用人」と「貧しい親族で手伝いをしている人」が混在していることを指摘しています。これはよく言われることですが、さらにその先もあって、そもそも「使用人」との言葉も、「広い傘の下の異なるものがある」といわれるように、多様なのです。



これも最近学んだのですが、18世紀においては「家庭内使用人」「親族の手伝い」「徒弟」(救貧院や孤児院が「職人の徒弟制度」のように、施設から費用を出して申請者の家に預けて「育ててもらう」)、「農場労働者」(農場で手伝い、家事もこなす)、「事業手伝い」(商店主や自営業者などの家の本業を手伝い、家事もする)など、幾つものパターンがあり、申告者によって立場も環境も違うことになります。



もうひとつ意外だったのは、「18世紀には国勢調査がなかったので、どれだけの使用人がいたのか推計でしかわからない」といった状況で、数字上においては「正解が存在していない」のです。推計も諸説あり、まさに「存在はわかっているけれども、底まで到達できない深海・海溝」ともいえるものです。そして、なぜこの時代の使用人の声が少ないかも、「リテラシー」の問題が関わってきます。読む方は聖書などの関係でそこそこ高かったようですが、書く方は限られていましたし、少なくとも20世紀前半に勤めた使用人の声が多く残っているのは、彼らが生きていることだけではなく、文字を書けたか、も大きな要素でしょう。



今まで出会っていなかった、たった1冊の本で、今までと異なる光が当てられましたし、まだまだそういう研究は沢山あるのでしょう。その上で、その研究を受けて書かれた2004年のHorn氏の本では、先述の本について疑問に思ったことへのフォローもされていて、研究者同士が相互の研究成果を利用していくことで、多角的に光が当てられています。



これと似た動きが19世紀にもあったようです。1840年代に「労働者階級としてのメイドを主役にした小説」が登場して売れたのですが、それを読んだ「13歳から17年間メイドを経験した女性」が、「リアルじゃない」と、「自分の体験」を手記にして、同じ年代に出版しました。彼女自身の境遇も興味深く、少なくとも母親の出身はLower Middle Classで、両親を亡くした後の就職先について、使用人の仕事に就くことを反対されています。



Google Booksでそのうち読めるようになったら紹介しますが、彼女の出版が、「誰かの発表」のカウンターとして出ているのは面白く、いつも繰り返しているのだと、感じました。伝えたいことがあるから、書かずにはいられないのだと。久我自身、「ヴィクトリア朝の扱われ方」への「カウンター」として、使用人を取り上げている面もありますが(最悪ではあるかもしれないが、良いところもあった)、その使用人の扱い方だけを切り離してみれば(良いところしかないように見える)、「カウンター」を受ける立場にもあるのでしょう。



話は戻りますが、少なくともイギリスにおける使用人研究は、「1970年代である程度固まっている」ように思えたのですが、実は30〜40年が経過する今にあっても研究され、光を当てられている分野なのです。これからも多くの視点が出て、過去に発表された資料を覆す視点や、補う視点が増えていく領域なのでしょう。少なくとも、「人が働く」限りにおいて、そして人が「家事を営む」意味において、この視点はなくならないものなのではないかと。



ただ、自分がそこに辿り着けるのか、追いつけるのかは分かりません。自分が好きな領域においてもまだまだ圧倒的に勉強が足りていませんし、役割の違いもあるかもしれません。数として最も多かったものを扱うことがいいのか、数は少なくとも存在したものを網羅していくのがいいのか、多分そこに正解はないと思いますし、好みの問題と思いますが、バランスが取れているのは面白いところです。



だからこそ、マップのようなものを描きたいです。少なくとも、山の頂か、海溝の存在は見えているぐらいには成長していると思いますので。(全然関係ないかもしれませんが、屋敷の構造図や外観、地図の描画をしたいので、絵を習いたいところですが……)



使用人の歴史をどのように伝えていくか、少なくともここ1〜2週間で結論を出すつもりですが、書くことは手のひらに乗せた砂を握るようなもので、必ず砂が零れ落ちていきます。そこをどこまでフォローするのか、それが続刊だったり、今だったらネットになりそうです。



もっと体系的にまとめられれば、同時代の学問として、あえて日本で扱う意味も描けそうな気もしています。気がしているだけかもしれませんが、このあたり、学問としての使用人研究の流れを、向こうの研究者がどのように見ているのか、把握しているのかは知りたいなぁと思います。向こうで勉強してみたいですが、語学を磨く必要と、本業を離れても大丈夫なスポンサーに出会うか、何か良い案を見つけたいところです。研究職でしょうか?



前回に続いてこのあたりのエントリが長いですが、消化していくプロセスであり、また追い込み中なのでアウトプットしている次第です。まぁ不思議なもので、「絶対数で多かったメイドへの言及足りないのでは?」との指摘を最近会った方に言われてから一ヶ月もしないうちに、そうした視点を過去最大に主張している資料に出会ってしまうのが、自分が運に恵まれていると思うところでもあります。

使用人の歴史へ・補い合う資料たちと知の連鎖

残りの大きな原稿は使用人の歴史だけで、18世紀を起点にしたものへの再構築を行う為、資料を精読中です。ヴィクトリア朝は最盛期であっても、「資料が残っている最盛期」でもあり、それ以前が栄えていなかったという話でもありません。使用人の参考資料のほとんどは最盛期を軸にしていますが、ぱっと最盛期が出たわけではないんですね。その勃興期としての18世紀は資料が非常に少なく、研究している本も限られていますが、だいぶ資料が集まってきた感じです。



最後に出会った18世紀を主軸とした本が面白かったのは、これまでに出た資料本は「ヒエラルキーのある上級・下級使用人を主軸にしすぎている」との批判を序文に記していることです。久我は意図的にその傾向を強くしていますが(「どんな仕事をしたか」「どのようにしたか」「暮らし」への興味が強く、Pamela Sambrookさんに親近感が強い)、この批判をした筆者、『ヴィクトリアン・サーヴァント』やそれ以外のを読んでいるはずで、事実参考文献にも多くの書籍があがっていますが、本場イギリスの研究者が10年前に書いたこの本でさえも、「庶民に近い使用人・ひとりではたらくmaid of all work」のような存在を「言及が足りない」と言い切り、そこをベースに資料を書いていることに驚きました。



研究は、際限ないなと。



まだあんまり読みきれていませんが、仮に序文通りの内容に仕上がっていれば、大きな発見とも言える資料本になるでしょう。逆にそれだけのことを言った本場の本でもそれが出来ないならば、なかなか到達することは難しいと思います。資料が残っていない、というのも大きいですし、細かい話で言うと、『ヴィクトリアン・サーヴァント』で使われている資料も、ヴィクトリア朝でないこともあります。その点で、自分の作る『英国メイドの世界』でも、時代はヴィクトリア朝を中心にしても、ヴィクトリア朝のみでは構成していません、というよりも構成できないのです。



ヴィクトリア朝そのものも年代が長い分だけ、時期による社会の価値観の相違も大きく、『ヴィクトリアン・サーヴァント』の筆者Pamela Hornさんが何十冊もヴィクトリア朝関係で多様な角度で本を記している理由が、わかります。何かを知ろうとすると多角的に物事を見ることになり、結果として本を書けるだけの資料が集まってしまうのではないかとも思えるのです。



個人的に、日本で新しく何かを研究するよりも、彼女の著作をすべて翻訳して出版した方が、ヴィクトリア朝研究は劇的に進むのではないかとも思えます。故に、自分で行うことに関しては、「自分でしか出来ない視点」を模索していますし、他者がやってこなかった視点を構築しているつもりですし、それだからこそ生き残れたと思います。ただ翻訳するだけならば、自分でなくても出来ます。



今、作りつつある本は完成形ではありませんし、一冊ですべてがわかるというものは作れるものではありませんが、少なくとも70〜80点は取れるような、そして調べようと思った人が調べてくれる、研究という観点での「航海図・マップ」のような位置づけのものにするつもりです。



一番大切なのは、「解りやすさ」です。伝わらないことを言ってもノイズにしかならず、言いたいことを詰め込むのも違っていて、その匙加減が難しいところですが、詳しくない友人や同僚を頭に描きつつ、作っていることが、今まで自分が続けられた強みだとも思いますし、同時に知らないことがあれば調べていく、知っていることで間に合わせないように気をつけたことも、成長に繋がったと感じます。2002年の頃に出会った『ミセス・ビートンの家政読本』も原書の『ヴィクトリアン・サーヴァント』も、他人が作ったものなので、自分が欲しい知識は網羅していませんでした。



同時に、これだけ時間を使っても、いかに自分が無知であるか、ということを知るだけです。多分、今、日本では相当なレベルにあると自負できます。しかし、だからこそ、自分の知らないことの多さに絶望もします。どこに欲しい知識があるかは見えていても、際限がありません。だから、自分の人生の時間で出来ないことは、他の人に託すつもりです。託す為にはいろいろと必要なので、そこは時間をかけていくところです。少なくとも、資料の良し悪しやどの筆者が「近い」のか「オリジナル」なのか、その辺りの見極めは出来つつあります。



こういうのは検索エンジンでは出来ない「目利き」でもありますが、Google Booksでは相互参照(この本はどの本で引用されている)のデータも存在し、ならばページランクに匹敵する「そのカテゴリのブックランク」的なものを人間の判断か、システムによる論理構築かわかりませんが、何かしら精度が高く実装できそうな気もします。実際、自分が英書の「素晴らしい資料」に出会えたのも数撃った結果ですが、「撃つ場所」は参考文献の参考文献から調べてもいますので、方法論としては同じです。



そういう意味では専門性の高い人によるアフィリエイトによる文献紹介は生き残ると思いますし、そのページ情報(Google Booksへのリンク情報は取得されている)と書籍情報をリンクさせて、補完しあっていけそうな気もします。



話が逸れていきましたが、無知の知、をこの年齢でより強く実感するのは面白いことです。もしも自分がこの領域に足を踏み入れていなければ、同人におけるメイド研究はどのような形で進んでいったのかにも興味はあります。いなければいないで他の誰かがやっていたでしょうが、研究室・研究会的なものを作りたくなる気持ちもあります。理解者が欲しいというよりも、共に航海する仲間が欲しいのだと。自分が倒れても、その先にトーチを繋いでくれる人に出会いたいのだと。個人的に森薫先生や村上リコさんへ思いいれが強かったのは、そのプロセスを共有し、同じ時間を過ごせた、という感覚(錯覚かもしれない)があったからでしょう。元々のゴールが異なっていますが、たまたますれ違っただけでも、良い体験ではありました。



ただそれは、メイドジャンルに限ったものでもありません。同人でこういう可能性がある事を示せたのも、意義があったとは思います。マイナーなジャンルでも、オリジナルでも、文章でも、突き詰めればいろいろと出来るのだと。



そのためにも、この出版はしっかりと仕上げます。



というのが、使用人の歴史を書く前の棚卸でした。正直、『図解メイド』も『エマ ヴィクトリアンガイド』も、総合的には分かりやすく素晴らしいレベルで歴史は書いているんですね。その上、『ヴィクトリアン・サーヴァント』という専門書でも扱われている内容を、あえて自分で書くからには、それまでに無い視点を大切にしつつ、本筋を外れず、分かりやすさに近づきたいと思います。



ラストスパートです。



ヴィクトリアン・サーヴァント―階下の世界

ヴィクトリアン・サーヴァント―階下の世界

時間と命を賭して作家が描いた作品を食べて、生きている

タイトルは、最近思ったことです。友人のライブを見て、それまでに培った技術を使い、作品へ費やした時間とそこへの想いを感じて、それが表現される瞬間に立ち会うことは、その人の人生の時間と向き合うこと、そしてその人の時間を自分の時間を代価に、消費しているのではないかと。



どれだけ費やした時間が、人生が、あの短い時間に集約されているのか、いわばその蒸留されたものに接することは、贅沢でもあり、ライブに足繁く通う人はその場で表現される命の燃焼をも味わっているのではないかと。



同人会場も、そうですね。生活しつつもわざわざ時間を作り、考え、悩み、描き出して、形にする。そこには人間の有限の時間が使われているわけで、時間を使う観点で言えば「命」を消費している、その結実が、生きてきた時間の結果がイベント会場には、本の形で存在しています。



広げていくと人が作るすべてのものになりますが、そういうふうに、命を削って作られたものに囲まれて生きて(誰かの仕事の成果=誰かの時間を費やしたもの)、消費して生きて、だから、食べ物を食べることを「命をいただく」といいますが、人が表現しているもの、人が作ったものを入手したり、浴びること、サービスを受けることは、その瞬間、自分自身もお金や時間を代価としていますが、食事と同じように「命をいただく」ことなのではないかと感じました。



ここからネットに話を広げたいのですが(表現が表に出るまでのプロセス、出てきたものに接することの時代による変化)、ちょっとまとめきれないのでまたの機会に。


屋敷の技術集団ガーデナーとコスト感覚

ここ最近、ガーデナー関連の資料をあさっています。同人誌第七巻『忠実な使用人』の男性使用人で扱った題材です。思考をまとめるために、気づいたことを雑談的に書いていきます。後半ではクリスタルパレス水晶宮)の設計者であるパクストンについて考察します。尚、パクストンが仕えたDevonshire公爵は最近映画化した『ある公爵夫人の生涯』に登場する公爵の後継者です。



ガーデナーは主人たちの要望に応えるために、高度な知識が必要でした。当時は珍しい植物を所有し、賞味できるようにすることは屋敷の主人たちにとってステータスになりました。



「イギリスに存在しないもの」を求める熱気は大航海時代が起こった当初からありましたが、植民地の増加や豊かな経済力がその機運を高めました。



海外から持ち帰られたイギリスに存在しなかった植物(アメリカやインドや日本や中国、それに南アフリカや熱帯など)を生存させ、かつ繁殖させるには、個人の知識だけでは無理でした。そこで、植物学、園芸学という分野で、彼らは情報共有を行っていました。


技術の共有とメディアの存在

その手段として、ひとつめが定期刊行物や辞典のようなものを使いました。十六世紀ぐらいの頃は筆者が知識を持つ非労働者層に限定され、定価も高く使用人レベルでは購入できませんでしたが、その頃から植物の栽培に関する本は出版されました。



十九世紀にもなると印刷のコストも下がり、持ち運びできるような辞書的なものまで登場します。屋敷の庭師の頂点にいたヘッド・ガーデナーも積極的に本を出します。知識を活用するだけではなく、自分が見つけた発見や栽培方法を出版することも可能になったのです。



定期刊行物もヘッド・ガーデナー自身が刊行することもありました。そこには技術系の論文だけではなく、求人の広告や便利な道具の広告まで掲載されていました。



ふたつめが王立園芸協会や植物学の学会など、学術的な団体。こうした団体では自前で園芸を行い、品種を集め、保存しました。王立キュー植物園もそのひとつです。



地域にもこうした研究会は存在し、勉強会のようなものまで開催されていました。ガーデナーたちは自分で本を買ったり、勉強会に参加したりすることを奨励されました。



知識を共有し、業界全体で力を強めていき、より実現可能なことを増やしていく雰囲気がありつつ、普通の少年であっても読み書きが出来、そのジャンルの知識を系統的に身につけていけば、キャリアの上昇も可能だった、と言えます。



こうした本によって、ガーデナーの知識は向上し、先述した主人の無理難題に応えていきました。



これらは、「イングリッシュ・ガーデン」に連想される「美しい庭園」のイメージからは想像できないことです。


ハードの運用:温室と便利な道具や品種改良

主人たちの無理難題はもうひとつあります。それは、「いつでも旬を過ぎた果物でも食べたい」です。花や果物や野菜には旬がありますが、年間を通じて供給するために、ガーデナーたちは技術を進化させました。



そこで発展したのが温室です。



産業革命で石炭の算出も増え、当時は非常に安く入手できました。石炭を焚いたボイラーで水を熱し、その温室の運用は難しく、コストがかかりました。



温室の運用は現代のように電気制御で自動化されているわけでもなく、人力で行いました。強い日光が当たっただけでも、温度が変化します。あるガーデナーは夏場は、「日が出たら覆いをかけ」「日が隠れたら覆いを取り除く」作業をするために、「昼食の間、何度も抜ける」ことがあった見習いの少年もいました。



霜が降りたら降りたで対応も必要ですが、当時のボイラーはそんなに繊細な温度コントロールが出来たわけではなく、人間がその分をカバーしました。



地質の改善も研究されましたし、品種改良も行いました。便利な道具で作業時間の削減にも努めることで、彼らは最大限、自身の業務を最適化していきました。


実現には膨大なコスト・実現していいのか、の判断

技術で実現できることが増えても、その維持には膨大なコストが必要となりました。ガーデナーの仕事の多くは主人の贅沢さを示し、主人の趣味を満たすがゆえに成立した面も否定できません。



偉大なガーデナーであり、クリスタルパレス水晶宮)の設計者としても知られるPaxtonはDevonshire公爵家に最高のサービスを提供し、公爵とも強い信頼で結ばれ、もはや半身と言ってもいいほどに公私共に支える間柄になりました。



巨大な噴水、当時世界一の温室(the Great Stove)、蘭を産地別に分けて管理する温室、もちろんキッチンガーデンもあります。



しかし、Paxtonが建築した様々な施設のコストは膨大でした。the Great Stoveの建築には6年間で36,000ポンドが投下されました。主人の願いを叶えるためとはいえ、「やりすぎじゃないの?」と思える金額です。



Paxtonは最高のサービスを提供しましたが、最高のサービスは限度を知らず、最高のコストも実現しました。自然を操るガーデナー、世界一の技術を誇るのはいいですが、主人の財政に与えたダメージは、大きなものです。Paxtonを愛した六代目の公爵の後を継いだ七代目の公爵は緊縮財政を余儀なくされ、Paxtonもヘッド・ガーデナーの地位を去ります。



別の屋敷の話ですが、あるヘッド・ガーデナーは、先代公爵のために膨大なコストをかけて素晴らしい庭園を作り上げましたが、同じように後継者にとってそれは、財政的な負担でしかありませんでした。そのガーデナーは、職場を変えました。



主人の言われるがままにやらなければならない使用人ながらも、主人の財政的な心配をする観点で、「それをしない」選択肢は無かったのでしょうか? Paxtonはガーデナーではなく、後に「領地経営者」(Land Agent)にも昇格し、領地の経営と言う観点も持ちえたはずです。



どれだけ大きな温室を建てても、その多くは現代には残っていません。



1950年代にはイギリスの屋敷カントリーハウスが次々に手放され、現代に残る屋敷Devonshire公爵家のChatsworthや、Rothchild家のWaddesdon Manorでも、大規模な温室を廃棄しました。現代人はChatsworthでPaxtonの業績を、断片的にしか見ることは出来ません。



ガーデナーの仕事のうち、幾つかの品種改良も、商業生産には適さないと言う理由で、現代から消えているものもあります。



唯一と言っていいほど、仕事の成果を形にして他者からの評価を得られたガーデナーではすが、当時のガーデナーの仕事は先人の研究として現代に残ったものと、その時代だけで消えてしまったものもあり、なんともいえない感慨を覚えます。



当時、それは必要だった。ただそれを維持できなくなった。端的に言えばそうですが、次代に残らなかったそれらは、「バブル」のようにも見えるのです。



それが、「勉強して、立身出世を叶えられた職業」としてのガーデナーの成功者としてのプラスの部分に対して、大きなマイナスにも見えます。



情報が足りず、実情を知らないで物を言っているかもしれませんし、拒否権が無かったであろうガーデナーに対してフェアではありませんが、大規模なコストを主人にかけさせたことが、無責任に思えてしまうのです。



何かこう、すっきりしません。同人誌を書いた七巻の頃はPaxtonを成功者として素直に見ることが出来ましたが、コストの観点で見てしまうと、彼を手放しで評価できなくなってしまいます。



多分、「Paxtonはこれだけ有能なのに、サービスの継続に必要な利益を生み出す発想」が無かったことが、気になるのでしょう。傑出した才能を持ち、お金を預かりながら、「それが続くかどうか」「コストを増やさない方向」の考えが欠如したように見えるのです。どのような意思決定で公爵とPaxtonが莫大な金額を投下したのか、興味はあります。



Paxtonが才能を発揮する機会を、公爵はいつまでも与えたかったのでしょうか? 公爵ほどの人間(財力含めて)でなければ、Paxtonの能力をすべて引き出すことは不可能でしたでしょうし、何かを頼めば、彼はすべて実現してくれます。公爵の友人に100万ポンドの借金があった時も、Paxtonはその清算に尽力し、これを整理するのに成功します。



このふたりには、何か絆があったのでしょう。



万能の人。



ただ、ものすごいお金がかかる。



不思議な人物です。