目次
- はじめに
- 初期のメイドブーム:成人向け
- 「屋敷を飛び出したメイド」補足
- 「メイド服」となることでの広がり
- 女性が楽しむメイド
- 終わりに:メイドブーム関連の言説
- 補足:ブクマへのレスです
はじめに
メイドブームの終焉は「衰退」か、「定着」かについての反響を見る限り、「表現として、メイドは衰退せず、定着している」ことに賛同して下さった視点が多かったように思えます。ブクマに興味深い指摘もあったので返信しつつ、前回言及しなかった「メイドブームの流れ」について、自分なりに整理します。
メイドのイメージが多種多様だったように、一言に「メイドブーム」といっても、メイド服を軸にした「連続性」と、様々なイメージごとに生じる「断続的なブーム」があり、受け手も変化しているのではないか、そしてそれが「メイドブーム」として一つに見えているのではないかと。
しかし、私は前回書いたように、メイドブームの「源流」を知る立場にありません。NHKで放送されたテレビドラマ『名探偵ポワロ』や、TRPG『ゴーストハンター』などで英国貴族の屋敷に興味を持ち、そこから屋敷で大勢働いていたメイドへの関心を深めた、別系譜の人間だからです。
「屋敷」を軸に英国メイドの資料同人誌として作る立場から、私から見える景色も相当他の方と異なると思いますが、私のような立場の人間をも吸収しえることが、日本におけるメイドブームの広がりを示すとも思います。
また、私は個人的に同人の立場でメイドブームの変化を見ています。たとえば、2002年12月に初めて参加したコミケでは、男性95:女性5ぐらいのバランスだったサークル訪問者数が、2005〜6年ぐらいまでには5:5(時に4:6)ぐらいになりました。私が見ている世界は一部でしかないのですが、メイドに関心を持つ層にも変化が生じています。
女性の増加、です。
前回同様、論拠が乏しいところがありますので「主張する」というよりは「こう思っている」ぐらいのトーンで読んでいただき、参考になるところがあれば幸いです。
また、なぜここ最近になってこの辺りを書き始めたかについては、メイドブーム関係の言及をしている理由(2010/09/11)に記しました。
初期のメイドブーム:成人向けの「屋敷・英国」のメイド
前回のメイドブームは主に表現面の話をして、起源の話をしませんでした。なぜならば、前述したように、私はオタク文化の中でブームとなった1990年代には「メイドの消費者」ではなく、詳しく知らないからです。
id:kkobayashi:メイドブームはエロゲー発信だと思うんだよなあ
http://b.hatena.ne.jp/kkobayashi/20100830#bookmark-24407195
ブックマークでも言及いただきましたが、この辺り、多分一番わかりやすくまとまっていて詳しいウェブのテキストは、
有村悠さんの
『メガストア』に掲載されていた、メイド文化とウェイトレス文化のお話(2009/06/04)だと思います。
こちらのコラムではメイドブームを2つに分け、「1:
エロゲー的な系譜でのメイド」と、「2:カフェ・ウェイトレスの制服・コスプレとしてのメイド」について考察され(た記事の紹介+独自考察)、とても分かりやすくなっています。
ふと、知りたいこととして思ったのが、上記のコラムだけではなく『
動物化するポストモダン』(2001年)や
wikipedia:メイドで「ルーツ」として指摘される『黒猫館』(1986年)が、なぜこの時代に「館+メイド」を描いたのか、という点です。そして、『禁断の血族』(1993年)、『
殻の中の小鳥』(1996年)などでもメイドブームのきっかけになったとして指摘されていますが、なぜこの時代に「メイド」を登場させる作品が生まれ、そして『
殻の中の小鳥』で19世紀の英国を舞台にしたのか、知りたいと思います。後に影響を与えた作品があったとして、その作品に影響を与えた作品はなんだったのか、という観点です。
なお、『
殻の中の小鳥』に前後した作品について、メイド研究同人サークルとして原点といえる制服学部
メイドさん学科の鏡塵=狂塵さんは、同人誌『MAIDSERANTLOGY REFERENCE』(2002年)にて、次のように述べております。
――個人的意見としては『殻鳥』以降のメイドさん登場作品はコンテクストから遊離する傾向が強いように思われます。これは、ひょっとすると本来担うべきではない役割をメイドさんが作中で(ある種安易に)担わされたことの影響かもしれません。すなわり、主従関係という一軒明白な特徴が強調されることで、彼女らは職を追われ、閨房に幽閉されることになってしまったのだと思います。結局のところ、現在のメイドさんという存在はメイド服という記号によって分節されるという一点のみが規定要件であり、そのほかのコンテクストは最早必要とされなくなっているのかも知れません。(後略)
同人誌『MAIDSERANTLOGY REFERENCE』P.86-87より一部引用
メイドに光が当たることは少なく、物語の脇役として登場していたメイドが、段々と変わって「
メイドさん」になっていったとの指摘です。
「屋敷を飛び出したメイド」補足
次に、『動物化するポストモダン』を読んでいて気になったのが、『To Heart』(1997年)のメイドロボ、マルチの存在の大きさです。著者の東浩紀さんは次のように言及されています。
たとえば『エヴァンゲリオン』以降、男性のオタクたちのあいだでもっとも影響力があったキャラクターは、コミックやアニメの登場人物ではなく、おそらく『To Herat』のマルチである。
『動物化するポストモダン』東浩紀/講談社現代新書P.112より引用
それまで「屋敷・お金持ち」、あるいは「英国的雰囲気」で語られていたメイド像が、マルチの存在によって「一般家庭に住み込む」存在になるのに影響したのではないかと考えています。その上で、たまたま09/09の
WEB拍手にて、下記、参考になるご指摘をいただきました。ありがとうございます。
メイド的要素は無いけど東鳩のマルチ以前と以後でメイドの雰囲気は明らかに変わった印象があります。
有村さんのコラムでは『
To Heart』の次に、「主人公と専属メイドの1対1の関係が描かれる」
『MAID iN HEAVEN』(1998年)に言及されています。私はこの作品が「奉仕するメイド像」という構造だけではなく、『
To Heart』に続き、「一般家庭にいるメイド像」を持ち込んだのではないか、屋敷という文脈から日本のメイドは切り離されたのではないかと感じています。
「メイド服」となることでの広がり
今回基点としている有村さんのコラムでは、次に1990年代後半の「メイド服ウェイトレス」について言及されています。ここでの言及は非常に興味深く、是非、ご一読下さい。そして、私はかろうじて、この辺りを目撃しています。
私がコミケに一般参加していた頃、あるいはインターネットでホームページが普及しだした頃、実在するカフェの制服を共有するサイトや同人誌を見た記憶があります。むしろ、今でこそ「創作少年・メイドジャンル」と私が分類しているジャンルも、2002年ぐらいに参加した初期の頃は、制服系の方が強かったと思います。(要出典とするならば、コミケカタログのサークルカット一覧の時代別推移でわかる?)
『エマ』の森薫さんがプロデビューする前、制服を題材にした同人イベント『コスチューム・カフェ』に参加されていたことも有名な話です。(この当時の作品である『シャーリー』や商業出版された作品を読む限りでは、後の『エマ』ほど「ヴィクトリア朝表現」を主眼にしているようには見えません)
id:izumino:メイド=吸血鬼説はなんとなくわかりやすい/草の根のメイドさん好きは、飲食店のウエイトレスマニアが育てていた印象
http://b.hatena.ne.jp/izumino/20100906#bookmark-24407195
まさにこちらのご指摘にあるように、私の印象では草の根の
メイドさん好きの方々が様々な喫茶の制服情報を共有し、その中に「メイド服」があり、この延長に
メイド喫茶が登場し、メディアに露出することで「メイドブーム」として非常に強いイメージを帯びていったというのが大きな流れだと思います。
メイド服が「独立」していった過程の象徴として、この時期に「メイド服を
萌え要素として取り込んでいた
デ・ジ・キャラット」が、『
動物化するポストモダン』P.66にて「
萌え要素の組み合わせ」の事例として指摘されています。有村さんのコラムでも言及され、先述の鏡塵=狂塵さんのコラムのイラストの結びも
デ・ジ・キャラットのイラストであるなど、非常に大きな存在といえるのでしょう。
この流れでは次に
メイド喫茶の話にするのがよいのでしょうが、私は非常に疎いので、割愛します。どなたか、詳しい情報・ページをご存知でしたら、教えてください。
補足:「メイド萌え」の歴史はどこまで研究されているか:2010/09/12追記
ここまでの流れは非常に分かりやすく、この界隈に興味がある方はご存知かと思いますが、では実際のところ、すべてが正しいのかというと、私には確証がありません。
これが気になっているのは、『黒猫館』の扱いが、今回参考にしているソース(東浩紀さん・有村さんの指摘する記事・wikipedia)ですべて一致しているからです。
すべてが一致しているから正しい、という考え方もできますが、ソースがすべて一緒の可能性も考えられます。私が実際に確認しているのは東浩紀さんの『動物化するポストモダン』で言及されている箇所のみで、東さんは引用元として『不確定世界の探偵紳士 ワールドガイダンス』という書籍をあげています。これは後日、自分で参照するつもりです。
有村さんの紹介された記事も今後入手するつもりですが、雑誌系記事は「何をソースにしたか」分かりにくい可能性があるので、どこまでさかのぼれるのか不明です。ただ、実際に有村さんが目撃されて体感されている独自の情報も非常に多く、「見てきたもの」としての価値があると思います。また、元々が「エロゲー界隈の中でのメイドジャンルの発展」の話でもあり、少し意味合いが違うのかもしれません。
wikipediaについては、メイドブームの「解釈」を裏づけするソース(引用・参考文献・脚注)が掲載されておらず、さかのぼれません。独自研究タグも貼られています。メイドブームの源流は10〜15年ぐらい前の出来事ですが、「本当にそうであったか」を、第三者が確認することは難しいことです。この辺りのメイドブーム解釈については、個人的に研究される余地があると思っています。
なので、私がここで紹介している「流れ」は、そうした前提の情報であることを補足します。私自身は絶対的確証を持つだけの材料も、また否定するだけの材料も持っていません。
追記:2010/09/15
id:molice 『メガストア』記事の執筆者です。『黒猫館』については、時代というよりも富本たつや氏の趣味に帰せられるかと。氏の同人誌『表面張力』によれば、ヴィクトリア・エロチカ小説におけるメイド少女がルーツとのこと。 2010/09/14
http://b.hatena.ne.jp/molice/20100914#bookmark-24815695
ブクマでの非常に貴重な情報、誠にありがとうございます。『
メガストア』の記事を早く読みたいと思います。
1986年の『黒猫館』から10年後に生まれた『
殻の中の小鳥』がなぜヒットしたのか、なぜ
ヴィクトリア朝を舞台にしたのか、なぜこの作品が引き金になったのか。鏡塵=狂塵さんのご指摘にあるように、「メイドを主役にした作品」という影響も大きいと思いますが、なぜ主役になることで、次のようにいわれるのか。
KENJI氏がメイド物を作ろうとして、新人の栄夢氏を起用して作られた。 メイドブームの始祖で、この作品がなければ秋葉原がメイドの街になることはなかっただろう。
wikipedia:殻の中の小鳥
メイド物を作ろうとしたこと、そしてその舞台として
ヴィクトリア朝を選んだことが記されています。ぐぐってみると、ご本人が言及されている記事を見つけました。
殻の中の小鳥 (2009/06/09)
こちらも、企画者の方の好みで「メイド・洋館」が選ばれたとのことです。ちょっと時間が無いので、今日の
追記はここまでとします。「なぜ、この作品であって、他の作品ではなく」「この時代なのか」を調べてみようと思います。(調べている方がいると良いのですが。ぐぐってみます)
女性が楽しむメイド
ここからはさらに直感ベースの話になります。根拠はこれから探したいか、どなたかに論証していただければと思うようなレベルのモノです。
男性向けのエロゲーに端を発した「メイドブーム」の文脈で見てきましたし、秋葉原系のメイド喫茶の取り上げ方として男性オタクの姿が目立ちます。しかし、初期の制服系以降、そして現在のブームを考える上で見落とせない視点は、女性のメイドファンです。
ブームの端に所属する私自身の体験として、冒頭で述べたようにイベント参加を重ねるごとに女性の読者が増加していき、今では逆転しています。すべてではないにせよ、その一要因として指摘されるのは『エマ』です。身分を越えた恋愛の要素や、英国的な雰囲気を持つ作品として『エマ』は男女問わずに広く普及しました。
私が象徴的だと思うのは、2003年に刊行された『エマ ヴィクトリアンガイド』です。同書は「メイドファンをヴィクトリア朝に」繋いだだけではなく、「ヴィクトリア朝をメイドに」繋いだとも考えられます。非常に分かりやすいヴィクトリア朝のガイドブックであり、同書は日本ヴィクトリア朝文化研究学会の会報でも言及されるぐらいに、「遠く」へ届きました。
ヴィクトリア朝を好きな方は日本でも一定数存在し、英国では定期的に19世紀を舞台にした映画やテレビドラマが作られています。たとえば、2007年に放送されたドラマ『Cranford』は第一話の視聴率が29%だったと聞き及んでいます。(エリザベス・ギャスケル『Cranford』から思うことで言及)
ここ1年を見るだけでも、『ヴィクトリア女王 世紀の愛』『シャーロック・ホームズ』『ウルフマン』『ブライトスター』と、19世紀英国を舞台とした映画が日本で公開されています。NHKはかつて、英国のドラマをかなり放送していたので(『高慢と偏見』『シャーロック・ホームズの冒険』『名探偵ポワロ』など)、英国の風景が好きな方を増やした一翼を担っているでしょう。
私は2003年夏の同人誌で『文学とメイドさん』と題して、英文学に登場するメイドを取り上げました。この時、「イギリスを旅行していて屋敷に興味を持っていた」方や、「大学で英文学をやっていたので興味を持った」方など、多様な方に出会いました。
こうした英国文化的な要素とメイドを連結させる大きな絵を、『エマ』『エマ ヴィクトリアンガイド』(あるいは『Under the Rose』か、メイド喫茶か、他の何か)が描いたのではないかというのが、私の思うことです。
少女マンガ・「世界名作劇場的なるもの」の親和性
少女マンガもヴィクトリア朝と縁があります。私の最初の同人誌(2001年)に寄稿してくれた友人は、少女マンガと英国的雰囲気の作品として、3つの作品をあげました。
『コントラクト・キラー』
『ポーの一族』
『天使の棲む街』
同人誌の読者の方の話として、「昔見た少女マンガにメイドが大勢登場していた。どうしてそれだけ雇っているか、分からなかった」ともうかがいました。前回例としてあげた『はいからさんが通る』(1975-1977年)はアニメ化、映像化されています。少女マンガ的な文脈でメイドは、ブームではないにせよ、脇役として「常に」登場していたのではないでしょうか。(要出典とするならば、年代別の少女マンガ雑誌でのメイド登場回数を調べる?)
また、森薫さんが好きなアニメ『名探偵ホームズ』(犬ホームズ)のハドソン夫人に代表されるような、「古風な洋服に身を包んだ女性」イメージを、私は子供の頃によく、ハウス世界名作劇場などで見ました。『小公女セーラ』『小公子セディ』『ピーターパン』『秘密の花園』、英国以外では『トム・ソーヤの冒険』『若草物語』『赤毛のアン』など、自分が19世紀的な生活に淡い憧れを抱いていたのも、こうした作品群の影響があると思います。
日本のアニメで言えば、宮崎駿監督作品の影響に代表されるヨーロッパ的な表現に慣れ親しんでいる土壌があって(『借りぐらしのアリエッティ』感想とスタジオジブリが描く「風景」)、メイドが受け入れられているのではないかというのが私の仮説ですが、これらは飛躍しすぎているので、今後可視化したい部分です。