ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

ヴィクトリア朝メイドを語ること・『エマ』に思うこと

はじめに(2008/02/13補足)

ニュースサイト経由でこられた方向けに、このテキストの補足です。



以下は、同人活動として「ヴィクトリア朝メイドの資料本」を制作する立場から、なぜ資料本を作り、メイドを主人公とする『エマ』のどこに魅力を感じるのか、を書いたテキストです。



『エマ』への言及まで辿り着くのは非常に長く、また最終回については言及しておりませんので、ご留意下さい。



『エマ』が好きな方は『エマ』についての日記一覧をご覧下さい。



資料本を作る契機

元々、資料本を作る契機となったのは、「創作を行うには、リアリティも大事だが、まずその世界で『何を書けるかを知る』ことが重要である」と思うからです。



つまり、資料を読み、当時を学ぶのは、別に当時の歴史を再現するためではなく、当時の世界には何が許されていて、どういう視点があったのかを知るためなのです。雨を知らなければ、雨を書けません。虹を知らなければ、虹を書けません。



知らないことは書けないのです。



しかし、知っていることしか書けなければ世界は狭くなりますので、視点を増やすために、着想を得るために、知識は必要になる、想像力だけで書くことは難しい、と信じています。



描く知識の根拠はどこにあるの?

資料本を作ると言う作業をした人にしかわからないことかもしれませんが、知識が少なかった頃と、多くなり始めた頃とでは、同じ物事を説明するにでも、その説明の中の要素が異なるのを、感じます。



たとえば、知識が少ない頃は、足りない分を「想像力」「己の意見」「己の視点」で埋めてしまいがちです。久我の同人誌1巻『ヴィクトリア朝の暮らし 貴族とその屋敷』は、2001年12月に刊行しましたが、今見ると、「なんとか、自分の知っていることを書こう」と懸命になっていて、必ずしもヴィクトリア朝に関連する話に絞られていません。



そして、それはメイドに限らず、ヴィクトリア朝を語ることは、ヴィクトリア朝文学を語ることだけが、必ずしも正しいとは思わない理由になるのです。当初、久我は日本語で読める本を中心に本を集めました。メイドや屋敷、そうした生活の知識を載せた本は限られ、どうしても、それ以外の時代、国の文化・風習、社会史、労働史、女性史と言った本の中に知識を求めざるを得ませんでした。



しかし、こうした書物の中に散在するメイドは、果たして、その実態を反映しているのか、自分の解説本の論拠として使うに足りるものなのか、わからなくなりました。歴史的に言えば、使用人は「労働者階級」の一言で終わりますが、実際はそうした一言では括れない世界があります。



そうした疑問に応えたのが英書であり、そこには、「メイドや屋敷、そうした生活の知識だけ」で構成された本が、幾らでもありました。そうした本を参考にして、「知識・視点」を伝えようとする和書(日本人が描いた本)は、本当に限られています。



わからない時、「知っている知識で補う」のか、「何がわからないかを知り、それがどこか他に無いかを調べる」か?



人は知っていることしか書けません。



文学は大事。でも、依拠しすぎないこと

そうした立場からすると、日本には「ヴィクトリア朝英国使用人の生活」専門の研究家はいない、と思います。少なくとも、日本で本を出している人の多くは、社会学や女性史、文学論の中で語っています。人は知っていることの範疇でしか物事を見られないのも、また事実です。(それが悪いとは思いません)



「そのままの実態を描いた知識がある」のに、それをそのままに見ず、己の知っている世界に「近づけて」「わかるように調理」しなければならないのか、そこにおいては疑問の余地が残ります。



「メイド」という世界を知るには、まず彼女たちがどういう暮らしをしていたかを調べるのが先であり、文学や労働史に登場する彼女たちは「その一部」でしかありません。それこそ、「足りない知識・わからないことを、己の専門知識で『わかるように』解釈する」のではないか、得意な領域に引き寄せてしまうと思うのです。



自分自身、何度もそれは行っています。久我の同人誌でも、2巻や3巻ではまだ文学の色が濃く残っていました。とりあえず、「知っていることを描いてしまう」、「分からないことは調べないまま放置」「わかるように、想像や意見を補う」(その論拠を本当は調べる必要があるのに)傾向があります。



もちろん、資料本において文学を引き合いに出すのは、「それが分かりやすく描かれているから・伝えやすい」からで、また「読んだ人が手に取りやすい」というメリットもあります。しかし、仮にも研究する人が「文学」で止まり、当時の生活をそこだけに求めるのは、生活研究に値しません。



日本の学問の世界に残るメイドの姿は、あくまでも「鏡」に映った姿です。しかし、英書の世界に踏み込めば、実際に残っていた姿を知ることが出来るのです。



「なぜ文学や思想だけで語らなければならないのか?」

「彼女たちは生きて、暮らしていたのに」



たとえば、数学を勉強するのに、「数学者を主人公にした小説」を読むだけで間に合うものでしょうか? たとえば、科学を勉強するのに、「科学者の随想」を読むだけで、間に合うでしょうか? メイドやヴィクトリア朝の生活にも、似たようなことがいえるのではないでしょうか? 時を越える文学には普遍性がありますが、あくまでもそこにあるのは筆者の視点、人間の姿であり、必ずしも現実そのままの姿ではありません。



久我は、英文学の専門家ではありません。だから、自分の領域を持たず、知りたいものは何でも吸収しようと、情報を集められます。集めた情報が正しいかは別として、ヴィクトリア朝のメイドの実態に近づけている自負があります。「己の専門領域」が無い故に、「己の領域」に引き寄せる必要が無いから、ありのままに受け入れられるのです。その傾向は1巻と3巻以降を比較すれば、一目瞭然かもしれません。



『エマ』の価値、変わりゆく描写

そしてそれは、『エマ』を描く森薫先生にも、近い感覚がありました。『エマ』に描かれたメイドの光景は、日本にはそれまでなかった知識・視点のもので、「知らなければ描けない」描写ばかりでした。『エマ』の本質的な価値は、「メイドと言う生活風景」を、文学やそれまでの日本の知識だけに求めず、作者が「変わること」を選んだ、成長を志した点にあります。



ですから、久我は『エマ』に対して向けられる「実際はそうではない」という指摘は些細なもので、あくまでも「新しい提案」をしてくる森薫先生の演奏、「こういう描写が出来るのか」と言う発見にこそ、作家の力量、幅広さが出ているのだと、思います。



『エマ』の巻数が重なれば重なるほど、それは次第に、「英国ヴィクトリア朝メイド」を感じるコミックスから、「英国ヴィクトリア朝」という世界に踏み込んでしまい、新しいものの見方を、視点の広がりを感じる気持ちよさは減少している感があります。



それが、前に伝わっていた迷いの無い、「描きたいから描く」が伝わるレベルから、「物語上必要な描写をする」という、「描く必要があるから描く」というレベルへ転化してしまった気がするのです。



2004年ぐらいの森薫先生の日記に、文学者の方たちと面識を得ていた描写がありました。そこは久我からすると、「少し怖い」と思う部分でした。自分だけの価値を、自分だけの視点で世界を築き上げてきたのに、「文学に認められる」(優劣は無いはずなのに、むしろ対等のはず)気持ちが生まれたり、そうした人たちの影響を強く受けすぎるのでは、と思ったりしました。以前は意識しなかった「専門家」の目を意識することで、それまでにいた読者だけではなく、「文学の領域」の人々にも目を向けてしまったのではないのかと。



以上は勝手な想像・憶測に過ぎませんが、「好きだから描く」から、「正しいことを描く」になってしまっていないかが、気になります。



久美沙織さんの小説『エマ』が心に響かなかったのは、久美さんが描いたのは「ヴィクトリア朝の知識」であって、「生活の温度ではなかった」からです。アニメにおいては、「正しいヴィクトリア朝」にこだわりすぎたことが、段々と響かなくなる要因になりました。原作者のスタンスに久我が魅力を感じていた、新しい提案や視点をくれる、そこに『エマ』と言う作品の魅力があったのだと、今は思います。こういう感想は特殊すぎるかもしれませんが……



まとめておくと?

創作において、知識は絶対ではありません。面白ければ、何でも許されます。正しい知識は歴史の世界に留め、創作における歴史の知識はあくまでも描ける絵を増やす、調味料の一種、新しい視点の広がりをくれる、そうした「要素」であって、「骨格」ではない、と思います。



久我の同人誌には、思想や意見はありません。読んだ人が「得をする」知識を、提供し続けられれば、との立場で作られています。その成果物がきちんと立場を反映しきれているかは分かりませんが、情報の集め方、配置の仕方、視点の提案に、久我の個性を込めています。



一度、論文や日記や創作や小説やコミックスやアニメ、何でもいいので、こうした視点で見てみると、面白いです。その人の意見は、何に基づいているのか。それが「無自覚に知っているレベルに対象を落とし込むだけ」なのか、「わかっていて、ネタとしてそれをやっているのか」。



風景を伝えたいだけならば写真で十分、しかしそれでも人は自らの目で見た世界を、描き続けます。描くことによって、視点や物の見方、美しさ、価値を伝えること、それが、「自分が描くこと」の意味です。



だからといって、知っていることだけですべては描けませんし、悪くすると知識を寄せ集めた、それっぽい「つぎはぎ細工」にしかなりません。久我が「衒学的」だと思うのは知識の垂れ流しになっている、こうした文章です。(大学の経済学の教授に数多くいました)



手の届く先にしかない資料だけでは、限られます。そこで動けるかどうかの差が大きいのだと思います。



たまたま、はてな繋がりで見つけたこちらの日記には、北米ヴィクトリア朝学会の話が紹介されていますが、語られるヴィクトリア朝、学会の中でも「歴史」なのか、「文学」なのか(主流は文学)、深い相克があるようです。



一言でヴィクトリア朝と言っても、『シャーロック・ホームズ』やディケンズといった文学だけがすべてではありません。久我はただ「実際に生きた人が、どういう暮らしをしていたか」を知りたいだけで、そこには思想が入る余地がありません。ただ己の抱く疑問への回答を探す、その繰り返し、同人誌制作というこの作業は、自分にとっては「描きたい創作のためのステップ」ですが、もしかするとゴールなのかもしれません。



ということで、10月になってしまいましたが、動き出しました。





聖堂内の写真です。



ここまでお読みくださって、ありがとうございました。



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