ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『エマ』7巻(ネタばれです)

本日発売と言うことで、購入しました。『エマ』はこの7巻が本編の完結となり、今後は外伝が続きます。最終回の話を聞いた時も、『月刊ビーム』での連載中も読むのを堪え、単行本派としての立場を貫きました、というのはおおげさですが。





エマ (7) (Beam comix)
































Sequel

今回、読んでいて、あっさりしていると、冒頭で感じました。前回の緊迫感と言うか、張り詰めた空気、一気の展開があっという間に収束していったせいかもしれません。



そのスピードについていけませんでした。アメリカにいる、ということが本来は驚くべきことなのですが、登場人物が淡々としすぎているので、風景と国が変わった印象を受けづらいのです。物語には、必ず、驚いてくれる人、読者に解説してくれる人(「なんだって、雷電!」)が必要だと思います。



しかし、そうした人物の不在が、アメリカを淡々とさせたのではありません。



その原因は森薫先生にあります。本編以上に、明らかに力を入れすぎていると思える、「Sequel」。アメリカの地元の小さな女の子。森薫先生は、この子のエピソードを描きたくて描きたくて、仕方が無かったのではないでしょうか?



ストーリーの運び、森薫先生らしいトーンの人物描写、それにちょっとの間合い、空白。そのひとつひとつの完成度が、正直なところ、本編を「遮ってしまう」ほどに、先行きと言うか、どういう結末を迎えるのか、ハラハラしました。



そして、もしかすると、アメリカに行かせたのは、このエピソードを描きたいがため、エマとウィリアムがアメリカに渡ったのは、あの少女と帽子のエピソードのためではないかと、思えるほどです。


エレノアファンとして〜意識された抑制

久我はエレノアファンです。なので、エレノアの魅力があまり描かれなかったアニメ版はそれほど支持できません。それが今回、ますますエレノアが好きになりました。



これまでの『エマ』は、幾つか描写がありました。森薫先生の独特の間合い、呼吸、そして使用人や登場人物たちの生活描写。そこに時々織り交ぜられる、ドライブ感、情熱に引っ張られるように物語へ引き込まれていく、展開の速さ。



しかし、今回の7巻で最も好きなエピソードは、全体が黒のトーンで抑制された、エレノアの描写です。これはもう、カントリーハウスが好きならば、死ぬほど描きたい、と思える風景です。憧れます。



この視点こそ、森薫先生の持ち味に思えます。やっぱり、お嬢様は屋敷なのです。



夜のカントリーハウスの静けさ、その黒く闇に閉ざされた屋敷を、蝋燭も持たず、月明かりの中、素足で、床の冷たさを感じながら、結ばれぬまま流れる金色の髪を、スカートを静かに揺らして歩く……



綺麗です。



猛烈に、屋敷のフットマンとして、すれ違ってみたいです。



そうした、「日常の中の非日常性」、本の短いページの中に込められた絵としての美しさ、そして父から侮蔑されたエレノアを最後に支えるのは、忠実なメイドのアニー。カントリーハウス、お嬢様、そしてメイド、ヴィクトリア朝



エレノアは確かにひどいめに遭わされましたが、物語の中で輝ける役割を、舞台を与えられたのではないかと思います。帰るべき場所としての使用人、そしてエレノアはまた恋をして、もしかすると傷つくかもしれませんが、その時はまた、アニーが支えてくれるでしょう。



もうひとりの主人公として。


エマさん

今回は周縁に目を奪われてしまいましたが、実際、エマの物語は「はじまりの終わり」に過ぎない、これからが大変な物語になっていく、というところになるでしょう。



階級を越えて二人は結ばれました、という結末。ウィリアムの父は非常に甘すぎます。ヴィクトリア朝の物語ですと、たいていは「父に遺言を書き換えられる」とか、「困窮する」とか、「結婚や交際を黙っている」とか、いずれにせよ、そうした恋愛が階級によって壊されていく、子供を愛しているが、世間の目・己のプライドに逆らえない、そうした父としての矛盾も、大きなテーマになりますが、今回はその辺りの緩衝材として、母親やドロテアがいたのでしょうね。



とはいえ、ふたりが結婚したら、その子供も問題に巻き込まれるかもしれない、ただ自由に恋しあって生きる道を選ばず、社交の世界に残ることを選んだ時点で、今後の未来図は、ふたりが結ばれる以上に、波乱が待っている……というには、ヴィクトリア朝末期という時代は、適さないかもしれませんね。



今後の展開として、例えば、子供が生まれた時、何度か紹介しているトマス・ハーディの短編『我が子ゆえに』のように、母がメイド、父が階級として上である場合に、息子がジレンマに陥ると言う構図も残されています。果たしてエマは、子供に対して、正直になれるのでしょうか?



もしも久我が続きを書くならば、ウィリアムの息子が「屋敷のメイドに恋をする」物語を選びます。自分自身が行った選択、しかし必死にふたりで築き上げてきた社会的地位、一方、元メイドとしてエマは、息子の恋愛を許すのか? 許したとして、繰り返される歴史。ただ、その頃には、第一次世界大戦が待っていることでしょう。厳格な階級は崩壊しても、緩やかに、そして根が深い意識は、残り続けます。



エマは教育を受け、立派な貴婦人になれるでしょうが、そうした階級意識の世界に残ることを選んだ点で、単なるハッピーエンドではない、むしろこれからが大変だ、というふうに、これから先の物語を想像させてくれる、登場人物たちに感情移入させてくれる、彼ら一人一人に表情がある作品として、終幕を迎えられたのではないでしょうか?



連載、本当にお疲れ様でした。



今回は、「7巻」に絞って、感想を書きました。


おまけ

ポリーとターシャ、いい味です。特に今回、ポリーが面白すぎます。子供みたいなエピソードもありました。それに、P.091でエマが帰宅した時、そのニュースを仲間に告げるために部屋に駆け込んだポリー。扉を片手で開け、もう片方の手は、走ってきたことを物語るように、スカートとエプロンを一緒に持ち上げている……



こういうところで、さすが森薫先生です。



エマ (7) (Beam comix)

エマ (7) (Beam comix)





個人的に、最後の「あとがきちゃんちゃらマンガ」の『エマ』がいちばん可愛かったです。中表紙のイラストもすごいですね……エマの柔らかい表情と、ロンドン。



コミダスに、森薫先生のインタビュー



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