過去の書き直しをしていて思うのは、「この機会を逃したら、ほぼ書き直すことが無い」と思える点です。改訂版を出すこともあるかもしれませんが、今回は過去最大数刷るかも知れませんので、その辺りも明確ではありません。
十年後か、或いは本気で商業出版を狙わない限り、この総集編=各メイドの解説を書くのは、これが最後のはずです。
であればこそ、手持ちのすべてを惜しみなくつぎ込まなければなりませんが、記憶力が悪いのと資料の処理能力に限界があり、必ずしもベストではない、という悔いが、作業中も残り続けるのです。
2003年冬には『エマ ヴィクトリアンガイド』と戦える確信を持てた同人誌『ヴィクトリア朝の暮らし』3巻を、振り返った今、あの時とは違った感慨とプレッシャーがあります。
2003年の全力は、2008年のベストには程遠いのです。
限られた時間の中で自分が持てるすべてを出し切れるのかもわかりません。すべてを出せれば最高の本に仕上がるのは、わかっています。今の短い時間の中、日本で最もメイドの仕事に近づけている確信があります。
すべてを出せるほど時間的余裕も、表現する能力もありませんが、知っていることは残さず余さず、出し尽くしたいです。
とにかく、悔いを残さないこと。
ランドリーメイドを書き終えたときにわずかな違和感があったのは、そうした「もう書くことが無い」ことに、惜別の念が生じたからかもしれません。
とか言いながら他の場所で違う角度で書きそうですが、そういう覚悟で臨まなければ、最高の資料本は、自分には作れないのでしょう。