ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『エマ』に魅力を感じる理由、同人誌にこだわる理由

たとえば、どうして『エマ』が好きなのかと言われた時、先に来るのはその作品が好きだった、というよりも、自分の好きな時代が好きな温度で描かれていた、というのが本音です。作品としての『エマ』の感じ方は人それぞれですが、『エマ』の素晴らしいところは、「読者をなめていない」ところです。



「こういう記号・お約束でいいだろう」

「これぐらい出しておけばいいんじゃないの?」

「好きなんでしょう? こういうの」



そんな作品は幾らでもあり、粗製濫造、転がっています。その中で、『エマ』というコミックスは愚直なまでに材料にこだわり、コック自ら自己研鑽を怠らず、常に最良の素材を、最高の料理を出そうと心掛けて作られている、自分が食べて幸せになれる料理を、人にも食べて欲しい、そういう誠実さを強く感じる作品です。



自分が当初『エマ』に感じていた魅力とは、そうした作者の森薫先生のスタンス、作品に対する姿勢、コミックスを媒介として接点を持つ読者を馬鹿にせず、ただ己の最善と求めるものを追求し続ける創作への情熱、そこにあると思うのです。



こうした視点で考えると、小説版『エマ』が自分に合わなかった理由は明白です。作品の向こう側にいる筆者の創作上のスタンスが、森薫先生と違っていた、例えそれが同じ『エマ』であっても、自分の好きなものではなかった、つまりそれは作品としての面白さを離れた評価基準で、あまりフェアでないかもしれませんが、自分が同人誌を作るときに心掛けているのも、そういう部分です。(アニメ版については評価が難しいです)



芸能ニュースとか、テレビ番組とかにも、「こういうので満足できるだろう?」的な物が多いです。本当に最善と考え、信じて、それを見た自分が最も楽しめるのか、友達に見て欲しいと胸を張れるのか、というもので満ち溢れています。



同人の世界でも、正直、どういうつもりで作ったのかわからない同人誌をいっぱい見ました。才能や面白さとは別の次元で、その一冊の本にかける気持ちや情熱が何も伝わらない、買う人の心を損ねる本とも出会いました。その分だけ、ジャンクフードを食べる気持ちにさせられました。



一方で、ありえないような情熱が込められたものもありました。これこそ同人だ、という本はその存在に感動すら覚えます。



自分自身がどこまで出来ているかはわかりませんし、誤字脱字などで料理に砂が混じってしまうケースもありますが、同人だからこそ、好きと言う理由でどこまでも突き詰められる、誰に言われるでもなく、本物を追求する世界があるとも信じていますし、そこに辿り着けるよう、頑張っているつもりです。



終了するまで、この気持ちを持ち続けられたら、と願っていますし、その上で役立ち面白いものを届けられたら、理想です。