2003年に作った『ヴィクトリア朝の暮らし3巻 貴族と使用人(二)』のなかで、パーラーメイドに屋敷案内の仕事があったのでは、と仮説を立て、小説の中にてそういう描写をしました。
しかし、2003年時点で既に、実際それはハウスキーパーの仕事だと書いていました。そして今日、パーラーメイドの解説を書いていると、「屋敷案内が必要なほど有名で大きな屋敷」と、パーラーメイドが両立しないのでは、という気がしました。
そもそも男性使用人フットマンの代用として姿を見せ始めた彼女たちなので、それほど裕福な屋敷にはいないはずです。(執事がいて、「大掃除」をするような大きな屋敷にパーラーメイドがいたという資料は確認していますが)
そこで、『エマ ヴィクトリアンガイド』や『図解メイド」ではどう書いていたっけと読んでみましたが、『図解メイド』のパーラーメイドの仕事一覧の中に「お屋敷案内」の文字が載っていました。(『エマ ヴィクトリアンガイド』にはありませんし、『ヴィクトリアン・サーヴァント』にも出ていません)
和書の資料本は相当読みましたが、屋敷案内とパーラーメイドを結びつけたのは多分久我だけです。なので、久我の同人誌に依拠してあの一文を書いたと思うのですが(久我の同人誌が参考文献にも上がっています)、それが「仮説」に過ぎないこと、むしろ「ハウスキーパー」の仕事と触れた箇所は、省かれていました。
ハウスキーパーの項目を見ましたが、屋敷案内にも触れていません。
久我の同人誌に、「完成した答え」はありません。幾つかは資料で裏打ちされた点で正しさを担保できるかもしれませんが、あくまでも研究中の身であり、その時点で正解と信じるもの、知りえたことを書いているに過ぎません。
だからこそ、こうして今になって大幅に書き直す改訂版が作る余地があるのですが、引用や利用する場合は、その辺りをきちんと自覚していただければと思います。引用されるのは構わないですが、資料を作る方に鵜呑みにされると、怖いです。そうしたリスクを避ける意味もあって、最近の資料本では極力、「判断基準になった知識のある場所」を書くようにしています。
それでも、今回のパーラーメイドの項目に屋敷案内を盛り込むのですが、それは久我個人の趣味と資料をわかりやすく伝える為の手段であって、実証された史実ではありません。
メイドに関する正しい知識を求め、それを世に発表される方が久我の同人誌を使うのは光栄なことですが、あくまでも立脚点のひとつとして使い、そこで紹介されている原典に目を通すことをオススメします。
長くなりましたが、間違ったことを書かせてしまったようで、びっくりしましたし、ちょっとすわりが悪いのです。
数多くの英書の資料本を読んでいると、「この総合書でこう言っている箇所の根拠は、この資料本のこの箇所か」と気づく機会が増えました。逆に、一冊でしか言っていないことはなるべく疑うようにしています。
『ヴィクトリアン・サーヴァント』でもそうですが、ヴィクトリア朝のメイドの手記があまり残っていないので、エピソードの多く(数は把握していません)は「エドワード朝以降、第二次世界大戦前」に働いて、1960〜70年代の使用人ブームの頃にインタビューを受けた人たちの声なのです。
久我の同人も『ヴィクトリア朝の暮らし』を名乗っていますが、資料とエピソードに関してはそうした新しいものが混ざっている、というのを今回はきちんと書きたいなぁと思います。
実際は過去とそれほど変わってないことがほとんどなので、特にそれが大きく問題になることはありませんが、念の為、です。
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