日記を始めることや、ネットでの時間を増やすことには相当ためらいがありました。久我の同人活動は正直なところ、研究に近いです。コミュニケーションを広げるより、目の前に積まれた資料の翻訳、不明点の追求、整理、編集、新資料の捜索という「学問的部分」と、まったく別の「創作」という、ふたつの領域を往復しています。特に前者は、インターネットや和書に回答がありません。ただ自分が勉強するしか、時間を使うしかないのです。
そうした視点から言えば、ネットでの表現や交流は、作業時間の減少にしかならないと思っていたのが、「はてな」を始める前までのことでした。しかし「はてな」で日記を書くことで、「同人誌の進捗管理」「人にどうしたら伝わるのか」「何を人は欲しているのか」、「自分自身の考えを整理する」というふうに、プラスの効果を得ることが出来ました。
そしていろいろと情報を出すことによって、様々な反応があり、同好の士、同じ物が好きであったり、表現が好きな人に出会えるようにもなりました。そうした大きな契機のひとつが、きっしーさんからお話のあった『M.O.E.』でした。
ここに参加したことは非常に大きく、さらに広がっていきました。参加した『M.O.E.』の打ち上げで、GENSHIさんに出会ったことです。GENSHIさんは自身のカラーイラストを持ってきていて、久我はそれを拝見して、「この人に描いて欲しい」と強く思いました。
人物のイラストを描ける人は、数多くいます。好みの作家ともなると数は減りますが、人物も描けて尚且つ背景も描ける人、キャラクターと世界とが渾然一体となって描ける作家は、非常に少ないと思います。そのひとりに、出会えたのです。
久我はそれまで大学時代の後輩・蓮野さんにメインでの執筆をお願いしていましたが、蓮野さんが忙しく、また久我の要望も次第に増えていき、「限られた時間で描けるもの」と「久我が描いて欲しいもの」とのバランスが取れなくなってきていました。
蓮野さんの友人である河原さんをご紹介いただけたこと(新刊では間に合いませんでしたが、久我が思い描く世界が広がりました)は大きく、その上でGENSHIさんにも出会えたこと、そしてGENSHIさんが協力してくださったこと、自分ひとりでは出来ない同人活動だけに、新しい仲間に出会えたのは僥倖でした。
さらに、日記と『M.O.E.』参加は、もうひとりの同人作家さんとの出会いも生みました。久我が同人誌を購入していた同人作家のわきさんから、日記の感想をいただき、ゲスト原稿をお願いできたのです。2005年は様々な場所で情報を発信していくことで、人と出会い、自分自身の世界を広げることが出来ました。
同人活動は、個人での努力が非常に大きいです。しかし、可能であれば、同じ物を作る人たちによって、素晴らしい演奏をしてみたいです。自分が蒔いたものが広がって、より大きくなり自分に返ってくる、そしてまた自分もまたそこから大きなものを返し、どんどんと育てていく。
その響きを生み出せるのは、物を作ろうとしている人々、自分と同じ気持ちを持っている人々なのかと思います。この人と仕事がしたいと思うように、この人にこの曲を演奏して欲しいと思うように、この人と世界を作りたいと思えるような、そんな出会いを広げていきたいです。
ただ、難しいのは人間関係を広げすぎないことです。最高のものを作りたいと言う欲求より、繋がりを大事にすることが優先すると、歪んでしまうこともあります。付き合いを広げると正直言って楽しいですが、本当に作りたいもの、表現したいものは遠ざかっていきます。時間を取れなければいいものは作れません。
同人誌という結果は、久我にとってはあくまでも「自分と読者」のものであって、「友人と仲良くする手段」ではありません。あと1〜2年で完全に終わらせるので、この辺りを間違えず、常に考えられる限りの最高の同人誌を、作り続けようと思います。
最高の作り手を目指す人たちに、仲間として認められるような本を。
読者にとって、世界が広がるような本を。